おもわく。
おもわく。

インターネットやSNSの隆盛で常に他者の動向に細心の注意を払わずにはいられなくなっている私たち現代人。自主的に判断・行動する主体性を喪失し、根無し草のように浮遊し続ける無定形で匿名な集団のことを「大衆」と呼びます。そんな大衆の問題を、今から一世紀近く前に、鋭い洞察をもって描いた一冊の本があります。「大衆の反逆」。スペインの哲学者オルテガ・イ・ガセット(1883 - 1955)が著した、大衆社会論の嚆矢となる名著です。

社会のいたるところに充満しつつある大衆。彼らは「他人と同じことを苦痛に思うどころか快感に感じる」人々でした。急激な産業化や大量消費社会の波に洗われ、人々は自らのコミュニティや足場となる場所を見失ってしまいます。その結果、もっぱら自分の利害や好み、欲望だけをめぐって思考・行動をし始めます。自分の行動になんら責任を負わず、自らの欲望や権利のみを主張することを特徴とする「大衆」の誕生です。20世紀にはいり、圧倒的な多数を占め始めた彼らが、現代では社会の中心へと躍り出て支配権をふるうようになったとオルテガは分析し、このままでは私たちの文明の衰退は避けられないと警告します。

オルテガは、こうした大衆化に抗して、自らに課せられた制約を積極的に引き受け、その中で存分に能力を発揮することを旨とするリベラリズムを主唱します。そして、「多数派が少数派を認め、その声に注意深く耳を傾ける寛容性」や「人間の不完全性を熟知し、個人の理性を超えた伝統や良識を座標軸にすえる保守思想」を、大衆社会における民主主義の劣化を食い止める処方箋として提示します。

政治家学者の中島岳志さんによれば、オルテガのこうした主張が、現代の民主主義の問題点や限界を見事に照らし出しているといいます。果たして、私たちは、大衆社会の問題を克服できるのか?現代の視点から「大衆の反逆」を読み直し、歴史の英知に学ぶ方法やあるべき社会像を学んでいきます。

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第1回 大衆の時代

【放送時間】
2019年2月4日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2019年2月6日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2019年2月6日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
中島岳志(東京工業大学教授)…著書『保守と立憲』『保守と大東亜戦争』等の著書で知られる政治学者。
【朗読】
田中泯(舞踊家)
【語り】
小口貴子

大衆は「みんなと同じ」だと感じることに、苦痛を覚えないどころか、それを快楽として生きている存在だと分析するオルテガ。彼らは、急激な産業化や大量消費社会の波に洗われ、自らのコミュニティや足場となる場所を見失い、根無し草のように浮遊を続ける。他者の動向のみに細心の注意を払わずにはいられない大衆は、世界の複雑さや困難さに耐えられず、「みんなと違う人、みんなと同じように考えない人は、排除される危険性にさらされ」、差異や秀抜さは同質化の波に飲み込まれていく。こうした現象が高じて「一つの同質な大衆が公権力を牛耳り、反対党を押しつぶし、絶滅させて」いくところまで逢着するという。第一回は、オルテガの社会分析を通して、大衆社会がもたらすさまざまな弊害や問題点を浮き彫りにしていく。

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第2回 リベラルであること

【放送時間】
2019年2月11日(月・祝)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2019年2月13日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2019年2月13日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
中島岳志(東京工業大学教授)…著書『保守と立憲』『保守と大東亜戦争』等の著書で知られる政治学者。
【朗読】
田中泯(舞踊家)
【語り】
小口貴子

オルテガは、大衆化に抗して、歴史的な所産である自由主義(リベラリズム)を擁護する。その本質は、野放図に自由だけを追求するものではない。そこには「異なる他者への寛容」が含意されている。多数派が少数派を認め、その声に注意深く耳を傾けること。「敵とともに共存する決意」にこそリベラリズムの本質があり、その意志こそが歴史を背負った人間の美しさだというのだ。そして、自らに課せられた制約を積極的に引き受け、その中で存分に能力を発揮することこそが自由の本質だと主張する。第二回は、オルテガの思想を通して、自由やリベラリズムの本質を明らかにしていく。

名著、げすとこらむ。ゲスト講師:中島岳志
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第3回 死者の民主主義

【放送時間】
2019年2月18日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2019年2月20日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2019年2月20日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
中島岳志(東京工業大学教授)…著書『保守と立憲』『保守と大東亜戦争』等の著書で知られる政治学者。
【朗読】
田中泯(舞踊家)
【語り】
小口貴子

オルテガによれば民主主義の劣化は「すべての過去よりも現在が優れているといううぬぼれ」から始まる。過去や伝統から切り離された民主主義は人々の欲望のみを暴走させる危険があると警告するオルテガは、現在の社会や秩序が、先人たちの長い年月をかけた営為の上に成り立っていることに気づくべきだという。数知れぬ無名の死者たちが時に命を懸けて獲得し守ってきた諸権利。死者たちの試行錯誤と経験知こそが、今を生きる国民を支え縛っているのだ。いわば民主主義は死者たちとの協同作業によってこそ再生されるという。第三回は、「死者たちの民主主義」という視点から、現代の民主主義の問題点や限界を照らし出す。

安部みちこのみちこ's EYE敵と共に生きる!
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第4回 「保守」とは何か

【放送時間】
2019年2月25日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2019年2月27日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2019年2月27日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
中島岳志(東京工業大学教授)…著書『保守と立憲』『保守と大東亜戦争』等の著書で知られる政治学者。
【朗読】
田中泯(舞踊家)
【語り】
小口貴子

オルテガは現代人が人間の理性を過信しすぎているという。合理的に社会を設計し構築していけば、世界はどんどん進歩してやがてユートピアを実現できるという楽観主義が蔓延しているというのだ。しかし、どんなに優れた人でも、エゴイズムや嫉妬からは自由になることはできない。人間は知的にも倫理的にも不完全で、過ちや誤謬を免れることはできないのだ。こうした人間の不完全性を強調し、個人の理性を超えた伝統や良識の中に座標軸を求めるのが「保守思想」だが、オルテガはその源流につながる。歴史の中の様々な英知に耳を傾けながら「永遠の微調整」をすすめる彼らの思想は、急進的な改革ばかりが声高に叫ばれる現代にあって、大きなカウンターになりうると中島岳志さんはいう。第四回は、オルテガの思想を保守思想の源流とつなぎながら読み解き、長い時間をかけて培われてきた良識や経験知に学ぶ方法を明らかにしていく。

アニメ職人たちの凄技アニメ職人たちの凄技
NHKテレビテキスト「100分 de 名著」はこちら
○NHKテレビテキスト「100分 de 名著」
『オルテガ「大衆の反逆」』 2019年2月
2019年1月25日発売
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こぼれ話。

熱狂を疑え!

「社会の行く末を左右するような決定が、丁寧に議論されないまま、いつの間にか決まってしまっている」「大きな不祥事が生じても誰も責任をとろうとしない」「それどころか不都合な事実については誰もが口を閉ざし、事実が隠蔽されてしまう」……世界や日本で今、起こっている出来事をみていると、暗澹たる思いに沈んでしまいます。…と書き始めて、この冒頭の文章がガンディー「獄中からの手紙」のこぼれ話とほとんど同じことを書いていることに気づき愕然としています。その放送が今からちょうど2年前のことでした。状況は変わらないどころか、事態はさらに深刻さを深めていることを日々実感しています。

オルテガ「大衆の反逆」を番組で取り上げようと考えたのは、上述のような危機感の中で、ある言葉が胸の奥から浮上してきたからでした。

「敵とともに生きる! 反対者とともに統治する!」

この言葉はいったい誰の言葉だったのだろう? ネット上で調べてみて、ようやくそれがオルテガの言葉だということを突き止め、もう一度「大衆の反逆」を読み返すことにしました。驚くべきことに、この本は今からおよそ90年前の本であるにもかかわらず、現代の民主主義が直面している困難や問題点を予言するかのように言い当てている本でした。大学時代に一度通読していたにもかかわらず、そんな論点が展開されていたなど全く忘れていました。

さらに、そんなオルテガの思想を現代と結び付けて論じられている中島岳志さんの著書とも出会い、中島さんに、オルテガのもつ現代性を掘り起こしてもらうと、講師をお願いすることにしました。

「敵とともに生きる! 敵とともに統治する!」 この言葉に込められたオルテガの洞察は、中島岳志さんが解説してくれた下記の文章を読んでいただければわかるでしょう。それは中島さんが依拠する「保守思想」の根幹ともいうべき思想です。

「大衆の時代である現代、人々は自分と異なる思考をもつ人間を殲滅しようとしている。自分と同じような考え方をする人間だけによる統治が良い統治だと思い込んでいる。それは違う、とオルテガは言うのです。自分と真っ向から対立する人間をこそ大切にし、そういう人間とも議論を重ねることが重要なのだ、と」(NHKテキストP45より)

この言葉に、まず自分自身が刺し貫かれました。チームでいろいろなプロジェクトを進めているときに、果たして自分は異なる意見にきちんと耳を澄ませていただろうか? そういう意見の人たちとじっくりと議論を積み重ねる努力をしてきただろうか? 自分の地位や数の論理にあぐらをかいて強引に物事を進めてきたことはなかっただろうか? 「民主主義」といってもそれは自分の「外」のシステムのことではない。私たち自身の足元の問題なのだと反省させられました。

かつての日本人たちは、異なる意見の人たちと丁寧に議論を積み重ねる叡知を持ち合わせていたと思います。たとえば、自らの所属する組織に向けてあえて厳しい批判を述べて正そうとした人が出てきても、その人を忌避することなく、むしろ有益な助言者として受け入れ評価しようとした事例を、私は数多く知っています。反対派の意見にも一理あると考えれば、丁寧に耳を傾け、双方の意見を「落としどころ」に練り合わせていくという努力も、数多くの人たちが行っていました。「敵ながらあっぱれ」という古くからの言葉には、そうした日本人の知恵が込められているとも感じます。

ところが、現代は、オルテガが「大衆の時代」と述べて厳しく批判した現象と全く同じような出来事が頻繁に起こっています。「組織のために有益な批判を行った人をも徹底的に冷遇する」「反対派の意見には一切耳を傾けず、鼻で笑うような対応をする」「多数派という立場にあぐらをかいて、丁寧な議論をすっ飛ばし、数の論理だけで強引に物事を進めていく」。オルテガが生きていれば、こんなあり方は、「保守」でも「民主主義」でもないと喝破するでしょう。それは、オルテガが示した大衆の典型的なイメージ、自らの能力や理性を過信した「慢心したお坊ちゃん」の業であると批判することでしょう。

オルテガが唱える真正の保守思想とは何か? 「自らとは異なる意見や少数派の意見に丁寧に耳を傾け、粘り強く議論を積み重ねる」「自らの能力を過信することなく、歴史の叡知を常に参照する」「短期的な目先の利益だけのために物事を強引に進めない」「敵/味方といった安易なレッテル貼りに組しない『懐疑する精神』を大切にする」「大切なものを守っていくために『永遠の微調整』を行っていく」。いずれも、危機に瀕した民主主義を再生するための重要なヒントにあふれています。

オルテガが示してくれたように、「本物の保守」と「偽物の保守」を見極めなければならない。そのためには、中島岳志さんが繰り返し述べていた「熱狂を疑え」という姿勢を肝に銘じなければならない。そう、痛感しています。

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