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名著、げすとこらむ。

國分功一郎
(こくぶん・こういちろう)
哲学者、東京工業大学教授

プロフィール

1974年千葉県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。高崎経済大学准教授を経て現職。専攻は哲学。2017年、『中動態の世界』(医学書院)にて第16回小林秀雄賞受賞。主な著書に、『スピノザの方法』(みすず書房)、『暇と退屈の倫理学 増補新版』(太田出版)、『ドゥルーズの哲学原理』(岩波現代全書)、『来るべき民主主義』(幻冬舎新書)、『近代政治哲学』(ちくま新書)、『民主主義を直感するために』(晶文社)など。訳書にドゥルーズ『カントの批判哲学』(ちくま学芸文庫)、ガタリ『アンチ・オイディプス草稿』(共訳、みすず書房)、などがある。

◯スピノザ『エチカ』 ゲスト講師 國分功一郎
ありえたかもしれない、もうひとつの近代

スピノザは十七世紀オランダの哲学者です。一六三二年、アムステルダムのユダヤ人居住区に生まれた彼は、一六七七年にハーグでわずか四十四歳の生涯を終えるまで、生前には二冊の本しか出版していません。
今回、名著として取り上げる『エチカ』を含めた残りの著作は、彼の死後、友人たちの手によって遺稿集として刊行されました。スピノザの思想の核となる部分は、彼が死んでから世に知られるようになったのです。
生前に匿名で出版した『神学・政治論』が無神論の書として取りざたされたため、スピノザはずっと危険思想家として扱われることになります。死後もスピノザへの攻撃は続きました。しかし、その思想が忘れられたことはありませんでした。三百年以上を経たいまも、多くの思想家・哲学者に影響を与え続けています。
書名の「エチカ」とは、倫理学という意味です。しばしば読むのがとても難しい本だといわれます。たしかに、スピノザの書き方や思想のあり方はすこし変わっています。この本を読み解くためには、何かしらの手引きが必要かもしれません。番組とテキストを通じて、皆さんに読書の手引きになるお話ができればと思っています。
それにしてもなぜ十七世紀の本を、いま読む必要があるのでしょうか。
スピノザが生きた十七世紀という時代は、歴史上の大きな転換点でした。たとえば、いま私たちが知っているタイプの国家はこの時期に誕生しています。この国家形態は「主権」という言葉で特徴づけられますが、私たちが「国民主権」という表現を通じて慣れ親しんでいるこの考え方がヨーロッパで始まるのも十七世紀です。
学問に目を向ければ、デカルト(一五九六~一六五〇)に始まる近代哲学や近代科学が大きく発展してゆくのもこの時期です。ホッブズ(一五八八~一六七九)やロック(一六三二~一七〇四)の社会契約説も登場しました。現代へとつながる制度や学問がおよそ出揃い、ある一定の方向性が選択されたのが十七世紀なのです。
スピノザはそのように転換点となった世紀を生きた哲学者です。ただ、彼はほかの哲学者たちとは少し違っています。スピノザは近代哲学の成果を十分に吸収しつつも、その後近代が向かっていった方向とは別の方向を向きながら思索していたからです。やや象徴的に、スピノザの哲学は、「ありえたかもしれない、もうひとつの近代」を示す哲学であると言うことができます。
そのようにとらえる時、スピノザを読むことは、いま私たちが当たり前だと思っている物事や考え方が、決して当たり前ではないこと、別のあり方や考え方も充分にありうることを知る大きなきっかけとなるはずです。
たとえば人間の「自由」についてのスピノザの考え方は、私たちが囚われている常識を覆すものです。現代では、「自由」という言葉は「新自由主義」のような仕方でしか使われなくなってしまいました。過酷な自己責任論が幅を利かせる世の中で生きづらさを感じている人も少なくありません。「自由」の全く新しい概念を教えてくれるスピノザの哲学は、そうした社会を捉え直すきっかけになります。
ただ、先ほど述べた通り、基本的な考え方が私たちとはすこし違っています。ですから、この哲学を理解するためには多少注意が必要になります。
私事になりますが、私自身もかつて学生の頃、十七世紀の政治思想や哲学への強い関心があったにもかかわらず、スピノザにはなかなか手を出せずにいました。その頃スピノザはとても人気がありましたが、ほかの哲学者と違って、読んでもすぐには分からないのです。
しかし逆にその「分からなさ」が大きな魅力でもありました。どうにかして理解したいと思ったのが、私が二十年前、スピノザを研究対象に選んだきっかけです。
私はスピノザ哲学を講じる際、学生に向けて、よくこんなたとえ話をします。
── たくさんの哲学者がいて、たくさんの哲学がある。それらをそれぞれ、スマホやパソコンのアプリ(アプリケーション)として考えることができる。ある哲学を勉強して理解すれば、すなわち、そのアプリをあなたたちの頭の中に入れれば、それが動いていろいろなことを教えてくれる。ところが、スピノザ哲学の場合はうまくそうならない。なぜかというと、スピノザの場合、OS(オペレーション・システム)が違うからだ。頭の中でスピノザ哲学を作動させるためには、思考のOS自体を入れ替えなければならない……。
「ありえたかもしれない、もうひとつの近代」と言う時、私が思い描いているのは、このような、アプリの違いではない、OSの違いです。スピノザを理解するには、考えを変えるのではなくて、考え方を変える必要があるのです。そのことの意味を、全四回を通じて説明していきたいと思います。
番組とテキストは『エチカ』の主要な四つの概念を紹介する形で進めていきます。手元に『エチカ』があるとより分かりやすいかもしれませんが、必須ではありません。また哲学の前提知識も必要ありません。
では全四回、よろしくお願いします。

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