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名著、げすとこらむ。

仲正昌樹
(なかまさ・まさき)
金沢大学法学類教授

プロフィール

1963年広島県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程修了(学術博士)。専門は法哲学、政治思想史、ドイツ文学。古典を分かりやすく読み解くことで定評があり、近年は演劇などを通じた思想の紹介にも取り組む。著書は『今こそルソーを読み直す』(NHK出版生活人新書)、『集中講義! 日本の現代思想』『集中講義! アメリカ現代思想』(以上、NHKブックス)、『今こそアーレントを読み直す』(講談社現代新書)、『ハンナ・アーレント「人間の条件」入門講義』(作品社)、『教養としてのゲーテ入門─「ウェルテルの悩み」から「ファウスト」まで─』(新潮社)など多数、訳書に『完訳 カント政治哲学講義録』(ハンナ・アーレント著、ロナルド・ベイナー編/明月堂書店)などがある。

◯『全体主義の起原』 ゲスト講師 仲正昌樹
今なぜアーレントを読むか

ハンナ・アーレントは、一九〇六年にドイツで生まれ、主にアメリカで活躍した政治哲学者です。第二次世界大戦後、特に一九五〇年代から六〇年代にかけて西欧諸国の政治思想に大きな影響を与えました。その著作や言説は政治哲学の枠を超えて、今も様々なジャンルで取り上げられています。五年ほど前に映画『ハンナ・アーレント』が公開されたとき、日本でもちょっとしたアーレント・ブームのような事態になりました。

 アーレントがドイツの大学で専攻したのは、政治哲学ではなく、純粋な「哲学」でした。マルティン・ハイデガーやカール・ヤスパースなど気鋭の哲学者に師事し、博士論文のタイトルは「アウグスティヌスの愛の概念」。古典文学にも造詣が深く、教授資格を得るための研究論文では十九世紀初頭のサロン文化人にスポットを当てるなど、若い頃はどちらかというと文学寄りの哲学を志向していた印象があります。

 ところが二十代半ば頃から、アーレントの主たる関心と思索は「政治」へと向けられるようになります。そのきっかけは、ドイツに台頭したナチスの反ユダヤ主義政策でした。ドイツ系ユダヤ人であるアーレントは、一九三三年にナチスが政権を獲得すると、迫害を逃れるためパリを経由してアメリカに亡命。そのなかで、自分が「常識」だと思っていたことが覆る、という体験をします。

 ユダヤ人の歴史は迫害の歴史ともいわれますが、西欧の近代社会においては(少なくとも形式的には)平等に扱われ、それは市民社会的な常識として定着している─と、アーレントは考えていました。しかし彼女が前提としたその常識は、ユダヤ人問題に対するナチスの「最終解決」によって完全に打ち砕かれます。戦後になって明るみに出た組織的大量虐殺の実態は、アーレントの想像をはるかに超えるものでした。

 こうした体験に基づいて一九五一年に発表されたのが、今回取り上げる『全体主義の起原』です。全体主義という言葉は、第二次世界大戦中からドイツのナチズムやソ連のスターリン主義などを形容するものとして、ネガティブなニュアンスで用いられていましたが、漠然としたイメージにすぎませんでした。

 全体主義は、いかにして起こり、なぜ誰も止められなかったのか。この茫漠(ぼうばく)とした現象の起原と機序を、「歴史的」考察によって突き止めようと試みたのが『全体主義の起原』です。アーレントは十九世紀初頭にまで遡り、歴史学的史料のみならず、文学や哲学的言説も含めて広く考察することで、その起原が自分たちの足元にあること─西欧の近代の歴史と深く結びついているということを明らかにしました。

 本著で政治哲学者として一躍注目を集めたアーレントは、一九五八年に主著の一つとなる『人間の条件』を発表。これによって一定の名声を得た彼女を、さらに有名にしたのが六三年に出版された『エルサレムのアイヒマン』でした。

 アイヒマンはナチス親衛隊の中佐で、ユダヤ人虐殺計画を実務的に取り仕切る立場にあった人物です。戦後、アルゼンチンに潜伏していた彼をイスラエルのモサド(諜報機関)が見つけて強制連行し、エルサレムで公開裁判が行われました。

 アーレントは自ら出版社に志願し、この裁判を特派員として取材します。しかし、そこで彼女が目の当たりにしたアイヒマンは、多くの人が想像し、期待していた「いかにも悪人」然とした人物ではありませんでした。彼女が自著で伝えたアイヒマン像や裁判の実際は、人々のイメージを裏切るものであっただけでなく、ナチスを擁護する言説と受け取る人もいて、出版直後から大きな反発を受けました。

 『全体主義の起原』と、波紋を呼んだ『エルサレムのアイヒマン』は、現在も全体主義をめぐる考察の重要な源泉となっています。この二作を通じてアーレントが指摘したかったのは、ヒトラーやアイヒマンといった人物たちの特殊性ではなく、むしろ社会のなかで拠りどころを失った「大衆」のメンタリティです。現実世界の不安に耐えられなくなった大衆が「安住できる世界観」を求め、吸い寄せられていく─その過程を、アーレントは全体主義の起原として重視しました。

 人々の間に国家への不信、寄る辺のない不安が広がっているのは今の時代も同じではないでしょうか。政情不安、終わりの見えない紛争、そして難民問題。世界はどこへ向かおうとしているのか、それを動かす社会の仕組みがどうなっているのかということについて、多くの人が「教科書的ではない」説明を求めています。

 日本も例外ではありません。今世紀に入った頃から、政治について関心があり、「かなり分かっている」つもりの人たちでさえ展開が読めないことが多くなり、言い知れぬ不安を感じる人が増えている気がします。

 ただ安穏としているのも困りますが、だからといって不安に感じすぎるのも問題です。極度の不安は、明快で強いイデオロギーを受け入れやすいメンタリティを生む、とアーレントは指摘しています。

 自分が置かれている状況の変化をきちんと把握しつつ、「分かりやすい」説明や世界観を安易に求めるのではない姿勢を身につけるには、どうすればよいのか。それを考える上で、今回取り上げる二つの著作が参考になると思います。

 かなり難解で「分かりにくい」名著ではありますが、適宜、現在の政治や社会に照らしながら読み進めていくことにしましょう。

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