おもわく。
おもわく。

「永続的かつ普遍的な魅力があり、英文学の最も偉大な作家の1人と認められる」と絶賛され、2017年から英国の新10ポンド札に肖像が印刷されると発表された、作家ジェイン・オースティン(1775 – 1817)。彼女の最高傑作とされる「高慢と偏見」は、人気映画「ブリジット・ジョーンズの日記」の元ネタになるなど今も世界中の人に愛されている小説です。「虚栄心」「偏見」といった人間が陥りがちな落とし穴がいかに人生を左右してしまうのかを、克明な人物描写、心理描写を通して見事に描き出したこの作品から、現代人にも通じるさまざまな問題を読み解いていきます。
 厳しいイギリスの階層社会の中で、男子がいないベネット家では、娘たちがうまく結婚相手をみつけなければ、財産を受け継ぐことができません。一刻も早く婿を探そうとする母は、娘エリザベスに卑屈で尊大な牧師と結婚させようとしますが、知的で才気にあふれたエリザベスには到底受け容れがたいのです。そんな中、彼女は、二人の魅力的な男性に出会います。そのうちの一人ダーシーは、紳士然としながらも態度が鼻持ちならりません。もう一人のウィッカムに事実と異なる偏見を吹き込まれ、ますます心が離れていくエリザベス。しかし、二人は、偶然ともいえる幾度かの再会の中で、いつしか惹かれあっていきます。ところが、積み重ねられた「偏見」や自らを守る「プライド」から、どうしても素直になれず、誤解と拒絶を繰り返します。物語は、エリザベスとダーシーの恋愛が、障害を乗り越えて成就するかどうかを巡って展開していきます。
ジェイン・オースティンの作品を長年研究してきた、廣野由美子教授(京都大学)は、「高慢と偏見」が巷間いわれているような単なる「恋愛小説」ではなく、人間の本質を見事にとらえた洞察を読み取ることができる作品であるといいます。
今年はジェイン・オースティン没後200年。廣野教授に彼女の最高傑作「高慢と偏見」を新しい視点から読み解いてもらい、「人間は虚栄心や偏見をどうやったら乗り越えられるか」という現代人にも通じる普遍的な問題を考えていきます。

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第1回 偏見はこうして生まれた

【放送時間】
2017年7月3日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2017年7月5日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2017年7月5日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
廣野由美子(京都大学教授)
…19世紀の英文学研究の第一人者。
【朗読】
ミムラ(女性の登場人物担当)、川口覚(男性の登場人物担当)

人間は誰しも、生まれ育ちや家族関係によって形成される気質から逃れることはできない。オースティンは巧みな設定によって登場人物たちの気質や性格を見事に浮かび上がらせる。自己肯定感に溢れた姉や妹に対して、主人公エリザベスはどこか屈折し、強い「成り上がり意識」をもっている。これには、母からの愛情不足と知性を無駄遣いすることしかできない父への失望が大きく影響している。認知療法理論では、こうして形成される性格の基盤を形成する枠組を「スキーマ」と呼ぶ。そのスキーマと現実のずれから、登場人物たちの行動を分析できると廣野教授は指摘する。第一回は、この認知療法の概念を借りて、主人公たちの置かれた状況を浮き彫りにすることで、オースティンの鋭い「人間観」に迫っていく。

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第2回 認識をゆがめるもの

【放送時間】
2017年7月10日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2017年7月12日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2017年7月12日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
廣野由美子(京都大学教授)
…19世紀の英文学研究の第一人者。
【朗読】
ミムラ(女性の登場人物担当)、川口覚(男性の登場人物担当)

エリザベスの前には、三人の結婚相手の候補があらわれる。彼らへのエリザベスの対応を詳細にみていくと、人間の認識がいかにしてゆがめられていくかを知ることができる。幸運のみによって成り上がり尊大になった牧師コリンズ、機知によって地位を獲得した狡猾なウィッカム、生まれながらの風格をもつ大富豪ダーシー。それぞれの存在と言動がエリザベスの「スキーマ」を刺激し、彼女の中に偏見が形成されていく。反面教師として人間はどうしたら偏見から自由になれるかも知ることができる。第二回は、さまざまな登場人物との関係から見えてくる、「認識をゆがめるもの」を解剖していく。

名著、げすとこらむ。ゲスト講師: 廣野由美子
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第3回 恋愛のメカニズム

【放送時間】
2017年7月17日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2017年7月19日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2017年7月19日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
廣野由美子(京都大学教授)
…19世紀の英文学研究の第一人者。
【朗読】
ミムラ(女性の登場人物担当)、川口覚(男性の登場人物担当)

人間誰もが期せずして陥ってしまう恋愛。「虚栄心」と「偏見」にはばまれながらも、惹かれあっていく主人公エリザベスとダーシーの心の動きを追っていくと、その巧妙なメカニズムが浮かび上がってくる。人間は「好意」や「すりより」によって惹かれるだけではない。そんな「媚」にではなく、ときに、溌剌とした自負心や媚ない批判精神に惹かれていくものだ。一筋縄ではいかない恋心の複雑なゆらめき。オースティンはそのドラマを見事にとらえた。第三回は、エリザベスとダーシーの恋愛の進展を追いながら、誰しもが陥る「恋愛のメカニズム」を解き明かしていく。

アニメ職人たちの凄技アニメ職人たちの凄技
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第4回 「虚栄心」と「誇り」のはざまで

【放送時間】
2017年7月24日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2017年7月26日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2017年7月26日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
2017年7月31日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
2017年8月2日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2017年8月2日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
廣野由美子(京都大学教授)
…19世紀の英文学研究の第一人者。
【朗読】
ミムラ(女性の登場人物担当)、川口覚(男性の登場人物担当)

オースティンのねらいは「プライド・アンド・プレジュディス」という原題の意味を念頭に置くとはっきり見えてくる。「プライド」には「高慢」というマイナスの意味と「誇り」というプラスの意味が二重に込められている。「プライド」はあるときは「偏見」を生み出し二人の恋愛をはばんでしまうが、それが「誇り」というプラスの方向に働くとき、人を惹きつける魅力やさまざまな障害をはねのける武器ともなる。オースティンは、主人公二人の行動を通して、この両義性を描き出そうとしたのであり、そこにこそ、人間が「虚栄心」や「偏見」を乗り越えるヒントもあるのだ。さまざまな障害が立ちふさがる中、エリザベスとダーシーの恋の行方やいかに? 第四回は、ラストシーンに至る怒涛の展開を通して、人間が虚栄心や偏見を乗り越えるために必要なものは何かを考えていく。

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高慢と偏見 2017年7月
2017年6月24日発売
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こぼれ話。

「高慢と偏見」こぼれ話

お恥ずかしながら「高慢と偏見」をきちんと読みとおしてみようと思ったのは、BBCドラマ「高慢と偏見」をみたのがきっかけでした。皆さんも同じかもしれませんが、ダーシー役のコリン・ファースの魅力に、私自身もやられたクチです(笑)。でも原作は読んでいなかったんですよね、最近まで。普段から文学好きを自称している私が、イギリスを代表する作家、ジェイン・オースティンの代表作をなぜ最近になるまで読んでいなかったのか? それには理由がありました。

所詮、「幸せな結婚をゴールにするハッピーエンドの婚活物語」ではないか、という「偏見」が私の頭を覆っていて、どうしても興味を惹かれなかったのです。ところが! 家族にすすめられてBBCドラマ「高慢と偏見」を見始めて、まるで印象が変わりました。ごくごく狭い範囲内の人間関係の中で、ここまで人々の心の動きを生き生きとダイナミックに描いた作品があったのかと驚かされたのです。何か大きな事件が起こるわけではないのに、ストーリーテリングだけで観るもの、読むものをここまでひきこんでしまう力量。ジェイン・オースティンは只者ではないなと思った瞬間でした。

しかし、単にストーリーは面白いということだけでは「100分de名著」の題材にはなりません。ジェイン・オースティン関係の論文はかなりの分量を読んでみたものの、まじめな英国文学研究という枠内のものばかり。現代とつながる視点のものはなかなか見つかりませんでした。そんな中、「フランシュタイン」の講師をつとめてくださった廣野由美子さんが、オースティン関連の著作を準備されているというお話をお聞きし、どんな視点で論を展開しているのか興味をそそられ(「フランケンシュタイン」の分析がとても斬新で面白かったということもあって)、その内容を聞きにうかがいました。

やはり今回もとても面白い視点をお持ちでした。それは、「認知療法理論」という現代の臨床心理学の分析手法を、文学作品に適用してみるという大胆な試み。各キャラクターをこの方法で分析してみると、「ああ、そうそう、ぼくの周囲にもあるある、こんなこと」と膝を打つことばかり。この方法を使えば、作品自体に興味をもっていない人にでも、実感をもって人間心理の面白さを伝えることができるのではないかという直観をもったのが番組化の大きなきっかけでした。

主人公エリザベス・ファンにとっては、ちょっと辛口の解説になったかもしれませんが、現実離れしていない等身大のキャラクターが持つ魅力を浮き彫りにできたのではないかと思います。そして、私個人、廣野さんとはちょっと違った解釈を一つだけ提示して、「こぼれ話」の締めにしたいと思います。

物語後半、エリザベスの前に最後に立ちはだかる強敵、ダーシーの叔母のキャサリン・ド・バーク夫人。彼女との対決シーンは、後半の大きなクライマックスの一つです。エリザベスのような身分の低い親戚がいる女性と、自分の甥が結婚することは断じて許せないと怒りをぶちまける夫人に対して、プライドを傷つけられたエリザベスは、本気でキレて徹底抗戦します。「私の親戚がなんであれ、あなたの甥御さんに異存がなければ、あなたには関係のないことです」と。

廣野さんは、このエリザベスの行為に対して、「エリザベスはまたもや偏見で身構えて、プライドを保とうとしています。このように、どこまでも『プライド』と『偏見』から解放されないエリザベスの姿が見られるのです」(テキストP94)と解釈されています。

私の解釈は、少しエリザベス寄り。この時点で、エリザベスはまだダーシーの思いがこちらに傾いているかどうか全くわからない状態です。その上で、もしかして、ダーシーとも親しい叔母に喧嘩をふっかけるような行為を行うことが、ダーシー本人にも悪影響を与えるかもしれないことは当然エリザベスも認識していたことでしょう。それにもかかわらず、エリザベスは、自分の尊厳とプライドをかけて、世間の身分意識に縛られて発言する夫人に対して、徹底的な反論を試みるのです。

ドラマの影響もあるかもしれませんが、私は、このシーンを「エリザベス、よく言った!」ととても痛快な思いをもったのです。ですから、私は、廣野さんとは逆に、このシーンをエリザベスが「偏見」から解放されないシーンではなく、むしろ、エリザベスが「自らの尊厳、プライド」を武器として、人間として、不当な差別と戦うシーンととらえました。どんな悪い結果を招いてもかまわない(たとえダーシーと結婚できなくても)。私は私なのだ、身分などを理由に人からとやかくいわれる筋合いはない。私は、自分自身の尊厳をどんなことがあっても守り抜くのだ、というエリザベスの内心の声が聞こえたような気がしました。

「高慢と偏見」の「高慢」が、プラスの意味である「プライド、自負」として働いたときに、人は、もしかしたら「偏見」を乗り越えられるのかもしれない。そんな立場からオースティンは、もしかしたら、エリザベスの口を借りて、個人の「誇り高さ」をスポイルしかねないイギリスの身分制度に対して、静かな批判の声を上げているのではないかとさえ思いました(深読みのしすぎかもしれませんが)。

このように、一つのシーンでもさまざまな意味が読み取れるのが、優れた名著の素晴らしいところです。みなさんも、この番組をきっかけに再読していただき、あなただけの「高慢と偏見」を見つけてくださったら、これ以上の幸せはありません。

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