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名著、げすとこらむ。

中島岳志
(なかじま・たけし)
東京工業大学教授

プロフィール

1975年大阪府生まれ。大阪外国語大学外国語学部卒業、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程修了。専門は南アジア地域研究、近代政治思想史。『中村屋のボース』(白水社、2005年)で大佛次郎論壇賞、アジア・太平洋賞大賞を受賞。『ガンディーからの〈問い〉』(NHK出版)、『パール判事』(白水社)、『「リベラル保守」宣言』(新潮文庫)、『秋葉原事件』(朝日文庫)、『現代の超克』(若松英輔との共著、ミシマ社)など著書多数。

◯『獄中からの手紙』 ゲスト講師 中島岳志
ガンディーの思想が現代に投げかけるもの

まず、一九四六年のインド・カルカッタ──今はコルカタといわれている町ですが──からお話をはじめたいと思います。

当時のインドは、十九世紀から続くイギリス植民地支配から脱しようという独立解放運動のさなかにありました。しかし同時に、国内におけるヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の対立が強まっており、一九四六年八月、ついにインド東部のベンガル地方にあるカルカッタで、激しい宗派間抗争が起こるのです。

ここで登場するのが、今回の主役であるガンディー(フルネームはモーハンダース・カラムチャンド・ガンディーで、「偉大なる魂」を意味する「マハートマー」と呼ばれることも多い)です。彼は、ヒンドゥー教徒とイスラーム教徒は共存して、いっしょに一つの国をつくるべきだと考えていましたから、もちろんこの抗争に強く反対しました。そして、争いを止めるために自らカルカッタへと赴くのです。

彼は、周辺の村々を回り、抗争の鎮静化を訴えました。そして「あなたたちが戦いをやめるまで私は断食する。死んでもかまわない」と人々に迫ったのです。

それを何度も繰り返すうちに、実際に戦火はやんでゆきました。昨日まで争っていたヒンドゥー教徒とイスラーム教徒が、ガンディーが訪れた後に抱き合って和解する、という奇跡のようなことがあちこちで、何度も起こった。最終的に抗争がおさまったという報告を受けたとき、ガンディーはガリガリにやせ細っていたのですが、窓の外を見て火の手が上がっていないことを確認して、やっと一口食べ物を口に入れたといいます。

武器も何も使わず、「断食」という方法だけで戦火をおさめる。そんなことが、今からたった七十年前に起こっていたわけです(ご存じのとおり、この後もインド全体ではヒンドゥーとイスラームとの対立はおさまらず、翌一九四七年にインドとパキスタンは分離独立を迎えることになるのですが……)。

私が問いたいのは、「これは、ガンディーだけがたまたま起こせた奇跡なのか」ということなのです。断食をして人々の心に訴えかけることで、ガンディーが食を断ってやせ細っていく姿をみんなが想像することによって、紛争がやんだ。こういう話は、私たちが今まで学んできた西洋発信の近代政治学の中には決して登場しません。

つまり、近代政治学の方法論とはまったく違うやり方で、ガンディーはヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の根深い対立に──もちろん、根本的な解決には至らなかったにしても──実際に和解をもたらした。その意味を政治学の中で考えたいというのが、政治学者としての私の中核にずっとある問いなのです。

これは、言い換えれば「政治と宗教」という問題でもあります。近代に生きる私たちは、どうしても政治と宗教は別のもので、政教分離は当然のことだと考えがちですが、本当にそんなに厳密にいえるものなのでしょうか? 人間の根本には必ず宗教的な要素があり、そこから世界や自分を見つめ直すという観点がある。それなのに、「政治だけはそこから除外ですよ」と、そんなに単純に言ってしまっていいのでしょうか。

もちろん、特定の宗教が政治を操ったり、政府が特定の宗教を抑圧・弾圧するようなことはあってはなりません。しかし、それとは別次元のところで、政治と宗教が密着している構造というものの重要性について、改めて考えてみる必要があるのではないか。特に、「IS(いわゆるイスラーム国)」の問題をはじめ、宗教的対立が世界各地で激しくなっている今、宗教者であり政治家でもある、そして「断食による和解」をはじめさまざまなことを成し遂げてきたガンディーという人の姿から、学ぶべきことはたくさんあると思うのです。


今回取り上げる『獄中からの手紙』(一九三二)は、ガンディーが六十代に入ってから書いたものなので、思想的には成熟した時期の本といってよいと思います。

タイトルのとおり、彼はその当時獄中にありました。「塩の行進」という、彼の生涯の中でもおそらくもっとも有名な政治行動の後に逮捕され、監獄につながれたのです。その中でも、ここは自分にとっての「マンディル(お寺)」、つまり絶好の修行場であるといって、自ら開いた修養道場である「アーシュラム」の弟子たちに向けてのメッセージを送り続けた。それをまとめたのがこの本です。

ガンディーがすごいと思うのは、宗教的に高度な哲学者でありながら、それを自分の身体を使って、誰にでも分かりやすい行為や行動の形で示したことです。つまり、食べない、歩く、祈る、所有しないといった、私たちの日常に転がっている、そして今、次の瞬間からでもやってみることができる、そういう行為を通じて非常に壮大な哲学を展開しようとした。二十世紀に登場した政治家の中でも、ガンディーだけがなしえたことではないでしょうか。

一方で、ガンディーの言動はしばしば、非常に極端に映ります。その最たるものは、「欲望の抑制」でしょう。食欲や所有欲、性欲など、私たちの日常の中の喜びともいえるものにまで彼は手を突っ込み、「抑制せよ」という。それだけに、ある部分ではとても近しく感じられるけれど、ある部分ではとても遠い人に見える。ガンディーはなぜそんなことをやろうとしたのか、第2回でその意味を考えたいと思います。

ガンディーのシンボルのようになっている「非暴力」も難しい問題です。第3回で詳しくお話ししますが、ガンディーは単に「暴力がない状態」をよしとしたわけではない。場合によっては暴力を選択する場合もあると明言しています。その真意を私たちはよく知っておかなくてはならないし、この考え方は二十一世紀の現代にこそ輝きを放つ、非常に重要なものだと私は思っています。

もう一つ、第4回でお話しする「スワデーシー」も、現代に大きなメッセージを投げかけています。「自国産品愛用運動」といわれるものですが、実際にはもっと深い意味を含んでいる。糸紡ぎなどの手作業や、今でいう地産地消を重視し、顔と顔が見える小さなコミュニティを大事にしようというガンディーの主張は、TPP(環太平洋パートナーシップ協定)に象徴されるような、グローバル資本主義といった言葉が飛び交う現代への、重要なメッセージを含んでいるのではないでしょうか。

『獄中からの手紙』で語られるガンディーの思想や行動を通じて、こうした現代につながるさまざまな問題を、皆さんといっしょに考えていければと思います。

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