おもわく。
おもわく。

国などの救済対象となった被害者だけでもおよそ5万人にも及び、世界に例をみないほど大規模な公害問題を引き起こした水俣病。その被害者である漁民たちの運動や患者たちの苦悩・希望を克明に描ききった一冊の本があります。「苦海浄土」。1950~60年代の日本の公害問題を知る上での原点ともいうべき本であるとともに、そこに込められた深い問いやメッセージの普遍性から「20世紀の世界文学」という評価も受けている名著です。「100分de名著」では、水俣病公式確認から60年の節目を迎える今年、「苦海浄土」に新たな光を当て、現代の私たちに通じるメッセージを読み解いていきます。
著者の石牟礼道子(1927-)はもともと一介の主婦でした。しかし自らの故郷を襲った惨禍に出会い、やむにやまれない気持ちから水俣病患者からの聞き書きを開始、「苦海浄土」を書き始めます。以来、水俣病患者や彼らにかかわる人々に寄り添い続け、全三部完結まで足かけ四十年以上、原稿用紙にして二千二百枚を越える文章を書き継ぎました。第一部が出版された1969年の日本は高度経済成長の只中。いわば経済発展の犠牲者ともいえる水俣病患者たちは、まだメディアで断片的にしか伝えられることはなく、その全貌はほとんど知られていませんでした。そんな中での「苦海浄土」出版は、経済成長に酔いしれる日本人たちに大きな衝撃を与えたのです。
この書は単に公害病である「水俣病」を告発するだけにとどまりません。「苦海浄土」に描かれた人々の生き方からは、「極限状況にあっても輝きを失わない人間の尊厳」「苦しみや悲しみの底にあってなお朽ちない希望」が浮かび上がってくます。さらには、公害を生んだ近代文明の根底的な批判や、そうした近代の病を無意識裡に支えてきた私たち一人一人の「罪」についても鋭く抉り出します。この本は、単なる公害告発の書ではなく、文明論的な洞察がなされた著作でもあるのです。
 番組では、批評家・若松英輔さんを講師に招き、新しい視点から「苦海浄土」を解説。そこに込められた「人間の尊厳」「近代文明批判」「歴史観と生命観」「罪とゆるし」など現代に通じるテーマを読み解くとともに、想像を絶する惨禍に見舞われたとき、人はどう再生し、生きていくことができるかを学んでいきます。

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第1回 小さきものに宿る魂の言葉

【放送時間】
2016年9月5日(月)午後10:25~10:50/Eテレ(教育)
【再放送】
2016年9月7日(水)午前5:30~5:55/Eテレ(教育)
2016年9月7日(水)午後0:00~0:25/Eテレ(教育)
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
若松英輔
…「井筒俊彦―叡智の哲学」「生きる哲学」「悲しみの秘儀」等の著作で知られる批評家。 
【朗読】
夏川結衣(俳優)
…NHKドラマ「トップセールス」で主演。

「水俣病」の真実の姿を世に知らしめようと書かれた名著「苦海浄土」。石牟礼道子がとりわけこだわったのは、言葉すら発することができなくなった患者たちの「声なき声」だった。「ものをいいきらんばってん、人一倍、魂の深か子でござす」。例えばそう語られる患者の一挙手一投足に目を凝らし、彼らが本当にいいたいことに耳をすます。その結果記録されたのは、魂の奥底から照らし出されるような力強い言葉だった。その言葉の数々は、苦しみや悲しみの底にあってもなお朽ちることのない何かがあることを私たちに教えてくれる。第一回は、石牟礼道子が「苦海浄土」に記録し続けた患者たちの「声なき声」の深い意味を読み解くことで、想像を絶する惨禍に見舞われたとき、人はどう再生し、生きぬいていくことができるかを学んでいく。

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第2回 近代の闇、彼方の光源

【放送時間】
2016年9月12日(月)午後10:25~10:50/Eテレ(教育)
【再放送】
2016年9月14日(水)午前5:30~5:55/Eテレ(教育)
2016年9月14日(水)午後0:00~0:25/Eテレ(教育)
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
若松英輔
…「井筒俊彦―叡智の哲学」「生きる哲学」「悲しみの秘儀」等の著作で知られる批評家。 
【朗読】
夏川結衣(俳優)
…NHKドラマ「トップセールス」で主演。

「生命の根源に対してなお加えられつつある近代産業の所業とはどのような人格としてとらえなければならないか」。そう宣言し、石牟礼は「みんながやったんです」「私の責任じゃないんです」といった責任回避の論理を徹底して否定してみせる。そういう曖昧な捉え方をしていては、今起こっている出来事の正体を見過ごしてしまう。近代には、我々が普通に考えている人格とは違う、「化け物」のような人格があるということを見極めることが大事だと石牟礼はいう。第二回は、近代産業社会が解放してしまった人間の強欲、自然をことごとく破壊しても何かを成し遂げようとする人間の業といった、「近代の闇」と向き合うすべを学んでいく。

名著、げすとこらむ。指南役:西 研 真に自由な人間を育てるために『』
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第3回 いのちと歴史

【放送時間】
2016年9月19日(月)午後10:25~10:50/Eテレ(教育)
【再放送】
2016年9月21日(水)午前5:30~5:55/Eテレ(教育)
2016年9月21日(水)午後0:00~0:25/Eテレ(教育)
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
若松英輔
…「井筒俊彦―叡智の哲学」「生きる哲学」「悲しみの秘儀」等の著作で知られる批評家。 
【朗読】
夏川結衣(俳優)
…NHKドラマ「トップセールス」で主演。

「苦海浄土」に描かれているのは人間だけではない。魚や貝や鳥たち…最も弱き者たちから傷つけられていくのが「水俣病」なのである。この状況を見つめるとき、人間は、自分をはるかに超えた大きな生命の一部だという厳粛な事実に気づかされる。こうした生命観を回復しなければ人は再び同じ過ちを犯してしまうかもしれないということを「苦海浄土」は教えてくれる。一方で、水俣病患者や彼らにかかわる人たちは、大きな問題に直面したとき「足尾鉱毒事件」という公害問題の原点というもいうべき歴史に立ち帰っていく。そのときの情報や知識だけではなく、歴史の叡知に立ち戻ってもう一度問題を考え直してみるのだ。第三回は、自然や歴史という大いなるものを見つめぬいたからこそ得られる叡知の大切さを学んでいく。

もっと「永遠平和のために」
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第4回 終わりなき問い

【放送時間】
2016年9月26日(月)午後10:25~10:50/Eテレ(教育)
【再放送】
2016年9月28日(水)午前5:30~5:55/Eテレ(教育)
2016年9月28日(水)午後0:00~0:25/Eテレ(教育)
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
若松英輔
…「井筒俊彦―叡智の哲学」「生きる哲学」「悲しみの秘儀」等の著作で知られる批評家。 
【朗読】
夏川結衣(俳優)
…NHKドラマ「トップセールス」で主演。

「苦海浄土」は魂のリレーのように今に受け継がれている。水俣病患者であるにもかかわらず「チッソは私だった」と自分自身の内なる罪をも同時に告発しようとする緒方正人さん。言語を絶する苦しみにさらされながらも「私たちは許すことにした」と語る杉本栄子さん。「絶対に許さないから握手をするんだ」「終わりはないけど一緒に終わりのない道を歩くから握手をするんだ」といって原因企業であるチッソと対話をしようとする患者たち。そこには、憎悪の連鎖を断ち切ろうとする水俣の叡知があり「苦海浄土」の残響がはっきりと読み取れる。第四回は「苦海浄土」と今を生きる水俣病患者たちの声をつないで読み解くことで、「水俣病」という未曾有の出来事が、私たち現代人に何を遺したのか、そして、そこから何を受け継いでいくべきかを深く考えていく。

NHKテレビテキスト「100分 de 名著」はこちら
○NHKテレビテキスト「100分 de 名著」
苦海浄土 2016年9月
2016年8月25日発売
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こぼれ話。

今こそ読みなおすべき「苦海浄土」

「苦海浄土」は今こそ読みなおすべき本である……そう痛感したのは、2015年5月、ある勉強会で福島の被災地を訪ねたことがきっかけでした。実際に訪ねるまで、頭ではわかっていたつもりで、実は全く理解できていなかったあまりにも過酷な現実。しかし、そんな絶望的な状況の中で、決して希望を失わず力強く歩み続ける被災者たち。底知れぬ闇のように復興の先がみえない過酷な状況と、その中で決して朽ちることのない、人々の希望や力。そのあまりにも激しすぎる光と闇のコントラストを自分の中でどうとらえたらよいか、そして、自分自身にいったい何ができるのか……を考えあぐねて途方にくれました。

この光景をどこかでみたことがある……勉強会の帰りの列車の中で、デジャヴュのようなものが頭をよぎりました。記憶の中をまさぐり続けてようやく思い出したのが「苦海浄土」という一冊の本でした。1980年代半ば、熊本大学在学中に「熊本に住んでいるならこの本は必読だ」と大学の先輩に薦められて読んだ本でした。強烈な印象をもったものの、あまりにも重すぎる本だったため、それ以来読み返すことはありませんでした。しかし、もしかしたらこの本が福島での体験を少しでも照らし出すヒントになるのではないかと思い立ち、再び手にとったのです。

初読のときには半分も理解できなかった「苦海浄土」ですが、この歳になって読み返してみて、この本が単に公害を告発するだけの本ではないということに気づかされました。福島で感じたあの「光」の部分、「極限状況にあってもなお輝きを失わない人間の尊厳」「苦しみや悲しみの底にあってなお朽ちない希望」といったものが患者さんの姿を通して確かに描かれている。そして、「苦海浄土」で描かれた構造は今も変わっていないのではないか。大多数の繁栄や安全のために一部の地域が犠牲になり切り捨てられる構造。そして、それが綻んだときに、その事実を隠蔽したり、自分には関係のないこととして無視してしまう構造。この本は、決して私たちから遠く離れたことを描いた本ではない。今も変わらない普遍的なメッセージが間違いなくある。そう痛感したことを今でもありありと思い出します。

そんなこともあって、「100分de名著」でこの本を取り上げるという企画は、ここ1年近く温め続けてきたアイデアでした。存命中の作家の作品を取り上げるのは初めてことで、かなりの冒険ではありましたが、水俣病問題をライフワークとして追い続ける、私が尊敬する先輩・吉崎健ディレクターのさまざまな尽力のおかげで、なんとか放送にこぎつけることができました。

もう一人の恩人は、今回、講師を担当してくださった批評家の若松英輔さんです。「苦海浄土」について語っている論者の人はたくさんいらっしゃいましたが、上述のような、私の中ではまだもやもやしてきちんと形にできていなかった問題意識を、豊かな言葉で言語化してくれる人は他にいませんでした。若松さんの著作「悲しみの秘儀」の中にある「花の供養に」という石牟礼道子さんの文章を紹介した章が、そのことを知るきっかけとなりました。

上記の文章に触れて感銘を受けた私は、内村鑑三「代表的日本人」で講師を担当していただいた直後、まだ番組になるかどうかわからない状況の中で、若松さんに「苦海浄土」についての特別講義をお願いして、2時間弱お話をお聞きしました。実は、今回の番組の骨格は、このときのお話がベースになっています。

番組の中では、石牟礼道子さんが水俣病事件に直面する中で道を見出せないでいたときに「足尾銅山鉱毒事件」に立ち戻ったというエピソードが紹介されました。石牟礼さんは、水俣病事件に先立つこと70年も前の「足尾銅山鉱毒事件」の中に深い叡知を見出していったのです。では、現代に生きる私たちはどうか? 水俣病公式確認から今年で60年。私たちは、これにならって、今こそ「苦海浄土」から歴史の叡知を学びとらなければならないと痛感します。

石牟礼さんは、水俣病という「近代の闇」に立ち向かう際に、「一人で闘うつもりでした。今も闘っています」と述べています。若松さんは、この言葉について、番組テキストの中でこう解説しています。
「力と量によってのみ価値をはかろうとする『近代産業』の暗部に生まれた、命名し難い化け物に立ち向かうためには、人はひとりにならなければならないと石牟礼は感じている。化け物は、群集によってつくられた。群れと闘い得るのは、もう一つの群れではなく、個である、という確信がここにある。人は、群れた途端に見えなくなるものがあります。だが、ひとりでいるときには、はっきりと見える。石牟礼はそのことに気づき、ひとりで闘った。(中略)水俣病の運動で人々は、集うことはあっても群れません。それぞれの志、それぞれの立場を持って集うけれど、けっして群れない」

ネット社会の匿名性の中で、「個」を失い、思考を停止して紋切り型のレッテル貼りだけを行い、他者を切り捨て、憎悪の感情のみをひたすら煽り立てるようなことが横行する現代社会。「苦海浄土」は、私自身も陥りがちなこうした「群れることの罠」を厳しく警告しています。石牟礼さんの厳しい言葉を心に刻み、私も、決して群れることなく、さまざま問題に対して「個」として立ち向かっていきたいと心から思っています。

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