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名著、げすとこらむ。

大久保喬樹
(おおくぼ・たかき)
東京女子大学教授

プロフィール

1946年生まれ、横浜に育つ。東京大学教養学部教養学科フランス科、同大学院比較文学比較文化修士課程を経て、フランス高等師範学校およびパリ第三大学に学ぶ。現在、東京女子大学日本文学専攻教授。『岡倉天心 驚異的な光に満ちた空虚』(小沢書店)で第1回和辻哲郎文化賞受賞。訳書に岡倉天心『新訳 茶の本』(角川ソフィア文庫)、編著に九鬼周造『「いき」の構造』(角川ソフィア文庫)、主な著書に『日本文化論の名著入門』(角川選書)、『川端康成 美しい日本の私』(ミネルヴァ書房)、『洋行の時代 岩倉使節団から横光利一まで』『日本文化論の系譜 『武士道』から『「甘え」の構造』まで』(ともに中公新書)などがある。

◯『堕落論』 ゲスト講師 大久保喬樹
混迷する社会に立ち向かうために

坂口安吾は、敗戦後の日本社会で一世を風靡したいわゆる「無頼派」を代表する作家として、太宰治、織田作之助らと並び称される存在です。

一九〇六(明治三十九)年、新潟の旧家に生まれた安吾は、家庭にも学校にもなじまない少年時代を送った後、上京して、仏教、フランス文学などを集中的に学び、ついで、小説創作に転じました。フランス流のファルス(風刺的笑劇)を狙いとした『風博士』(一九三一[昭和六]年)等により特異な才能を認められて作家生活に入り、長篇『吹雪物語』(一九三八[昭和十三]年)等を発表しましたが、戦前、戦中期は、時代状況の制約もあり、その真価を十分に発揮するまでにはいたりませんでした。
やがて終戦となり、これを境に、それまで閉塞していた言論、出版活動が急速に息を吹き返し始めると、その先導者のように、安吾は一挙に文壇、言論界の前面に登場します。一九四六(昭和二十一)年、『堕落論』によって道徳意識の革命を説き、小説『白痴』でその具体像を描き出して、世間に大きな衝撃を与えたのです。
たちまちのうちに安吾は当代の流行作家となり、現代小説と並行して、『桜の森の満開の下』のような民話的小説、『信長』のような歴史小説、『不連続殺人事件』のような推理小説、『安吾新日本地理』のようなルポルタージュ文学など、さまざまなジャンルにわたって筆をふるいました。

また安吾は、作品だけでなくその私生活においても、無頼派ぶりが際立っていました。同じ無頼派でも、太宰治が自分を卑下し破滅へ向かおうとする弱気のタイプであるのに対し、安吾は自分の生き方や主張というものを積極的に行動に移した強気のタイプでした。たとえば、税務署による差し押さえを不服として国税局と闘ったり、競輪で不正が行われたと見れば検察にそれを告発したりと、自分がおかしいと思えば権力にも何に対しても闘う人だったのです。
そうしたことも含めて、世間から見れば、まさに世の中の慣習に挑戦、挑発する無頼派作家というイメージを体現したのが安吾でした。安吾は、それまでの社会常識の一切がご破算となった戦後の混沌とした状況を作品でも生き方でも象徴する存在として、世の中に大きな影響を与えたのです。
それを最も端的に示すのが、今回取り上げる『堕落論』です。『堕落論』は、敗戦直後の混迷する社会状況を鋭く見抜き、それに立ち向かうための生き方を大胆に提示してみせた評論です。

では、戦後七十年を経たいま、この『堕落論』を読む意義はどんなところにあるのでしょうか。

昨年、憲法改正是非の問題などでさまざまな議論がなされたように、いま、日本人や日本社会は、どのような方向に向かっていけばよいのかという進路が明確に見えにくくなってきています。そうした状況に私たちはどう立ち向かえばよいのか─。
『堕落論』の中で安吾は、そうした時には原点に還ることが必要だと述べています。世の中の規範、道徳、常識といった前提条件をいったんすべて外し、いわば素っ裸の人間になって現実に直面してみろというのです。安吾が放つ、固定化された前提を突破していくエネルギー、常識的な生き方や硬直した文化観をひっくりかえしてくれるエネルギーは、常識的な人間にとって目から鱗が落ちるように刺激的なものです。特に、人生の転機に立った人、いままでの自分のやり方ではこれ以上進めないと感じている人にとっては、大変〝効く〟評論であるとも思います。

安吾は、裸になって現実に直面することの必要性を「堕落」という言葉をもって論じました。この「堕落」とは、どういう意味なのでしょうか。なぜ原点に還ることが重要なのでしょうか。これから四回にわたり、『堕落論』と、つづけて発表された『続堕落論』、戦中に発表された『日本文化私観』もあわせて読みながら、また安吾の思想の戦後への継承もふまえながら、「堕落」に込められた安吾のメッセージを読み解いていきたいと思います。

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