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名著、げすとこらむ。

魚住孝至
(うおずみ・たかし)
放送大学教授

プロフィール

1953年兵庫県生まれ。放送大学教授。83年東京大学大学院博士課程単位取得満期退学。博士(文学)。専門は日本思想、実存思想、身体文化。国際武道大学教授を経て現職。著書に『宮本武蔵─日本人の道』(ぺりかん社)、『定本 五輪書』(新人物往来社)、『宮本武蔵――「兵法の道」を生きる』(岩波新書)、『ビギナーズ日本の思想 宮本武蔵「五輪書」』(角川ソフィア文庫)、『芭蕉 最後の一句』(筑摩選書)、『道を極める─―日本人の心の歴史』(放送大学教育振興会)、訳書にE・ヘリゲル『新訳 弓と禅』(角川ソフィア文庫)などがある。

◯『五輪書』 ゲスト講師 魚住孝至
二十一世紀によみがえる『五輪書』

宮本武蔵といえば、すぐに佐々木小次郎との「巌流島の決闘」が思い浮かぶのではないでしょうか。けれどもこれは、武蔵にとって数ある勝負の一つに過ぎないものです。もう少し詳しいと、「少年時代、父に反抗して武者修行に出て以来、一度も負けなかったが、勝つためには何でもした」「沢庵和尚によって精神的に成長したが、生涯『浪人』で放浪した。晩年になってようやく熊本で落ち着き、『五輪書』を書いた」といったイメージをお持ちかもしれません。
けれども、これらは「巌流島の決闘」の顚末も含めて、吉川英治が書いた小説『宮本武蔵』による虚像です。この小説は、映画や芝居、ラジオやテレビ、マンガなどで繰り返し変奏され、そのイメージがあまりに強固なものになっています。
吉川自身が、小説のフィクションと史実が混同されることを恐れて『随筆宮本武蔵』を書き、その中で武蔵について史実として確かなものはたった三千字程だと言っていました。実際に『五輪書』を読んでみれば、小説のような武蔵には、とても書けるはずがない内容であることが分かります。
私が初めて『五輪書』を読んだのは、三十年程前に「武道の三大古典」の解説を書く仕事をした時のことです。「三大古典」とは、柳生宗矩の『兵法家伝書』、沢庵の『不動智神妙録』、そして宮本武蔵の『五輪書』を指します。この三つを読んでみると、『五輪書』が圧倒的にすばらしいと感じました。記述がきわめて具体的で明晰で、人間のからだに即しており、まさに武道の「思想」を論じた書だったからです。卓越した論理構成力にも驚かされました。このような、近世以前には類を見ないすぐれた文章を書いた武蔵という人間が、ただの狷介孤高の浪人とはとても考えられません。本当の武蔵はどうだったのか、研究を始めました。
実はここ四十年程の間に、武蔵とその周辺の人物についての資料や、武蔵が関係した藩の文書などが数多く発見されています。また、これまで通念とされてきた武蔵像が、厳密な史料批判によって再検討されてきました。私も各地を調査して、武蔵の著作は『五輪書』を含めて六点もあることが分かりました。これらの研究の結果、二十一世紀になってようやく武蔵の実像が明らかになってきたのです。
小説『宮本武蔵』やその影響を受けたフィクションは、青年期の武者修行の勝負までを主に描くので、「素浪人・武蔵」のイメージが強いのですが、武蔵の思想を考える上で重要なのは、むしろ壮年期以降です。譜代大名に「客分」として迎えられ、藩主の息子や家臣に剣術を指導した武蔵は、一方で禅僧や林羅山などの知識人たちと交流を持ち、諸芸を嗜む自由もありました。また養子を採って大名の側に仕えさせましたが、養子は後に藩の家老にまでなります。『五輪書』が剣術の鍛練に止まらず、何事においても人に優れんとする武士の「生き方」まで説くことができたのは、広い視野を持ち、武家社会の中枢も知っていたからだと思います。
『五輪書』は、まず社会の中で武士を位置づけ、武士の職分を説明します。その上で、個人としての武士と、千人、万人を指揮する大将のあり様を分けて論じます。後者ではリーダー論も述べています。これが第1回で解説する「地の巻」です。
第2回の「水の巻」は、剣術の技法・鍛練の仕方を解説しています。日常の生活から、心の持ち方や姿勢を常に鍛練していく。また、太刀の構えと太刀遣いの原理を明らかにして稽古法を示しますが、これらをマニュアルのように覚えるのではなく、太刀を振る感覚を自分で研ぎ澄ませていくことこそ大事だと強調しています。さらに、常に実戦でどう戦うかを考えて稽古せよと言っています。
第3回は「火の巻」です。武蔵は、勝つには勝つ道理があるとして、戦う場と敵をよく知って、自分が有利に戦えるように徹底して工夫しています。敵を崩すために、技でも心理戦でも仕掛けて、敵に崩れが見えた瞬間を間髪容れずに勝つ。生涯無敗であったのもなるほどと思われます。加えて、剣の戦い方は合戦の戦い方にも応用できることを示しています。
第4回では「風の巻」と「空の巻」の内容を扱います。「風の巻」は、他流剣術の誤りについて考えることで、確かなものを浮かび上がらせています。その上で武蔵は、自らの術理が現実にいついかなる場でも通用するか、絶えず大きなところ─「空」から見ていました。迷いなく、自らの感覚を磨いて、鍛練を徹底していけば、やがて自在な境地に開かれる。それが「空の巻」の目指すところです。
『五輪書』で武蔵は、「ここに書かれていることを自分で試して工夫せよ」と繰り返し勧めます。その勧めにしたがい、私自身が真剣や武蔵自作の木刀の複製を振り、二天一流の伝承の形を試してみることで、武蔵が苦心して言葉にしようとしたことが分かってきました。このテキストで、その一端をお伝えします。
『五輪書』は、最初の英訳から四十年余り経ち、今や十以上の言語に訳され、世界中で読まれています。
二十一世紀はグローバル時代と言われますが、確固とした人生観・世界観を持ち難い時代です。そんな二十一世紀にあって、戦国から江戸へと変わっていく激動の時代、自らの道を貫いて確固たる自己を生きた武蔵の『五輪書』は、大きなヒントを与えてくれる、普遍性のある書物だと思います。
では、これから一緒に『五輪書』を読んでいきましょう。

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