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名著、げすとこらむ。

磯田道史
(いそだ・みちふみ)
歴史家・静岡文化芸術大学教授

プロフィール

1970年岡山県生まれ。2002年慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(史学)。専攻は日本近世社会経済史・歴史社会学・日本古文書学。茨城大学准教授、国際日本文化研究センター客員准教授などを経て、現職。『武士の家計簿 「加賀藩御算用者」の幕末維新』(新潮新書)がべストセラー。『殿様の通信簿』(新潮文庫)、『日本人の叡智』(新潮新書)、『龍馬史』『無私の日本人』(ともに文春文庫)、『NHK さかのぼり日本史⑥江戸“天下泰平”の礎』(NHK出版)など著書多数。

◯『司馬遼太郎スペシャル』 ゲスト講師 磯田道史
司馬さんからのメッセージ

司馬遼太郎さんは、歴史と人間について、とくに日本の歴史と人間について非常に深く掘り下げた作家であるとともに、同時代の日本人の歴史観に最も影響を与えた作家であっただろうと思います。作家生活の後半、司馬さんは多くのエッセイや史論を発表するようになったことで、小説家というよりも歴史家と思われるようになりました。本人が好むと好まざるとにかかわらず、「司馬史観」という言葉が使われるようになり、私たちは彼を「歴史家」としてとらえるようになっています。しかし、そのキャリア全体を見れば、やはりその本質は小説を書くことにあったといって間違いないでしょう。
司馬さんが遺した膨大な数の作品群のなかで、とくに代表作といわれているのが、『竜馬がゆく』『翔ぶが如く』『坂の上の雲』の三大長編です。これは、明治以来の近代日本国家がどのようにできたのかということを、「準備段階」「実行段階」、そして「絶頂」に至る過程に沿って描いたものだと言っていい。坂本龍馬、大久保利通と西郷隆盛、秋山真之をはじめとする日露戦争の群像が躍動し、アジアで唯一の列強へと駆け上がってゆく──その日本の自画像を描いた物語です。これらの作品を読む日本人は、幕末から近代にかけての歴史を、非常に痛快な、明るい歴史ととらえました。
一方で司馬さんは、日本についてのある種の悩みや影を抱えた人物でもありました。それは彼の戦争体験によるものです。幕末から明治にかけての日本は、軍事力を基盤とした権力体を築き、植民地化の危機を脱しただけでなく、自らが植民地を獲得する側に立ちました。しかし、それが司馬さん自身の青春を非常に暗いもの、辛いものにする時代へ、つまり昭和の戦争の時代へとつながっていきます。司馬さんは自らが生きた昭和の時代については、ついに小説作品を遺すことはありませんでした。

この番組とテキストでは、司馬遼太郎さんの作品から、戦国、幕末、明治、そして司馬さんが異常な時代─―「鬼胎(もしくは異胎)」と呼んだ昭和前期(広義では、日露戦争後の一九〇五年から四五年の終戦までの四十年)、さらには戦後の日本および日本人を見つめ直していきます。晩年の司馬さんは「二十一世紀に生きる君たちへ」という文章を残し、自身は新しい世紀を見ることはないだろうと予言して、そのとおりに一九九六年に亡くなられました。二十一世紀を生きる私たちは、二十世紀に至るまでの日本と日本人を見つめ続けた司馬さんのメッセージを、今こそ読み取らなければいけない時期にきていると思います。
文学を語るとき、議論は文学作品そのもののなかで完結すべきで、それが外に与える影響まで考えなくていいという意見もあると思います。しかし、司馬さんの文学というのは──これは漫画家の手塚治虫さんにも通じることかもしれませんが──、読み手の人生をよりよくし、また読んだ人間がつくる社会もよりよくしたい、という、つよい思いがこめられた作品です。

司馬さんにとって、日本国家の失敗というのは、やはり「昭和前期」でした。昭和を題材にした小説はついに描くことはできませんでしたが、もし司馬さんが昭和史の小説を書いたとしたら、何を言いたかったかは、むしろその時代を影絵のように塗り残していることでよく見えてきます。司馬さんが描けなかった、影絵のように塗り残してしまった部分には、二十一世紀を生きる私たちが考えなければいけない問題がたくさん含まれています。 司馬さんは、日本国家が誤りに陥っていくときのパターンを何度も繰り返し示そうとしました。たとえば、集団のなかに一つの空気のような流れができると、いかに合理的な個人の理性があっても押し流されていってしまう体質。あるいは、日本型の組織は役割分担を任せると強みを発揮する一方で、誰も守備範囲が決まっていない、想定外と言われるような事態に対してはレーダー機能が弱いこと。また情報を内部に貯め込み、組織外で共有する、未来に向けて動いていく姿勢をなかなかとれないといった、日本人の弱みの部分をその作品中に描き出しています。
こうした、その国の人々が持っている「たたずまい」、簡単に言えば「国民性」といったものは、百年や二百年単位でそう簡単に変わるものではありません。であるならば、二十世紀までの日本人を書いた司馬遼太郎さんを、二十一世紀を生きる私たちが見つめて、自分の鏡として未来に備えていくことはとても大切ですし、司馬さんもそれを願って作品を書いていったはずなのです。もちろん、自身が歴史好きということはあったでしょう。また、文学として自己完結したいと思ったかもしれません。でも、いちばんの根元にあったのは、後世をよくしたい、それに少しでも力を添えたい─―という、戦争にも行った世代ならではの使命感と志だったと思います。だからこそ、亡くなって二十年が経過した今なお司馬さんは国民作家として愛され続けているのです。そのことを十二分に踏まえながら、これから作品を読んでいきたいと思います。

※司馬遼太郎の「遼」の字は、本来、「しんにょうの点がふたつ」です。

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