おもわく。
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太宰治「斜陽」

太宰治の代表作「斜陽」は、敗戦直後の混乱の中で没落しゆく貴族階級の人々の心情や人間模様を、情感豊かに描きだした作品です。出版当時「斜陽族」という言葉を生み出すほど爆発的なブームを巻き起こした小説ですが、今も多くの人に読み継がれています。現代の視点からみると、。「斜陽」からはどんなメッセージが読み解けるのでしょうか?
グローバル経済の席巻、ままならぬ東日本大震災からの復興、世界各地で頻発するテロ……現代という時代も、敗戦直後と同様、既存の価値観が大きくゆらぎ、何をよすがに生きていけばよいかわからない混迷の時代といえます。作家の高橋源一郎さんは、既存の階級システムが崩壊する中、時代に翻弄されながらも生きる道を探り続ける人物たちのあがきを描いた「斜陽」は、今を生きるヒントに満ちているといいます。
物語は、旧体制を象徴するような「最後の貴族」母と、その母を尊敬する娘・かず子の暮らしから始まります。つつましいながらも安定していたかにみえたその暮らしは、GHQによる急激な民主化政策によって基盤を奪われ、二人は時代に大きく翻弄され始めます。弟・直治の戦地からの復員、直治を退廃の道へ巻き込む作家・上原との恋、そして母の死。さまざまな出来事に遭遇する中で、やがてかず子は、既存の価値観を突き破り、「恋と革命」という一見無謀ともいえる生き方を選びとります。「戦闘、開始」という掛け声は、時代に押しつぶされそうになっていたかず子が、新しい生き方に向かって走り出す「のろし」でもありました。
この小説に描かれている人物たちは、太宰治自身の分身だともわれています。「滅びゆく階級」に身をおく母、かず子、直治。そして無頼の作家、上原。それぞれが運命に翻弄される中で、「既存の価値観と新しい価値観」の狭間で葛藤し、自分の生き方を見つけようともがき苦しみます。それは敗戦によっても、何も変わることがなかった「戦後社会」に違和感を持ち続けた太宰自身が、向き合わざるを得なかった苦悩でもありました。それは、激しい時代の変化の中で真摯に生きようとする現代人なら、誰もが直面する苦悩ともいえます。 番組では、作家・高橋源一郎さんを講師に迎え、「斜陽」を新しい視点から捉えなおし、時代に対する痛烈な批判、既存の価値観にとらわれない新しい生き方など、現代に通じるメッセージを読み解きます。

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第1回 「母」という名の呪縛

【放送時間】
2015年9月2日(水)午後10:00~10:25/Eテレ(教育)
【再放送】
2015年9月9日(水)午前6:00~6:25/Eテレ(教育)
2015年9月9日(水)午後0:00~0:25/Eテレ(教育)
※放送時間は変更される場合があります
【ゲスト講師】
高橋源一郎
…作家、明治学院大学教授。代表作「さようなら、ギャングたち」「優雅で感傷的な日本野球」など。
【朗読】
伊勢佳世
…俳優。映画「プライド」、ドラマ「チームバチスタ3」等に出演。
【ナレーション】
加藤有生子

あらゆる仕草が生まれついての優雅さをもつ「最後の貴婦人」と呼ばれた「母」。娘のかず子はそんな母を尊敬しながらも疎ましく思う心を芽生えさせていた。やがて「お母さまのお命をちぢめる気味わるい小蛇が一匹はひり込んでいる」と感じ始め、母に象徴される旧い価値観から脱出したいと願うようになる。太宰はこの「母娘関係」を通して何を表現しようとしたのか? 高橋源一郎さんは、かず子が母との葛藤の中で心の中に育てていく「蛇」が、社会が長らく抑圧してきた「女性原理」の象徴ではないかと読み解く。第1回では、太宰治の人となりや「斜陽」執筆の背景などを紹介しながら、「斜陽」に描かれる「母娘関係」を通して、女性たちの心のうちに潜む「蛇」の意味を読み解き、「斜陽」の現代性を浮き彫りにする。

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第2回 かず子の「革命」

【放送時間】
2015年9月9日(水)午後10:00~10:25/Eテレ(教育)
【再放送】
2015年9月16日(水)午前6:00~6:25/Eテレ(教育)
2015年9月16日(水)午後0:00~0:25/Eテレ(教育)
※放送時間は変更される場合があります
【ゲスト講師】
高橋源一郎
…作家、明治学院大学教授。代表作「さようなら、ギャングたち」「優雅で感傷的な日本野球」など。
【朗読】
伊勢佳世
…俳優。映画「プライド」、ドラマ「チームバチスタ3」等に出演。
【ナレーション】
加藤有生子

かず子は、母の死をきっかけに、「恋と革命」に生きることを目指して冒険を始める。その果てに、「古い道徳とどこまでも争い、太陽のように生きる」と宣言して、不義の子を産み一人で育てていくことを決意するのだった。最初は、常識も生活力もまるでなかったかず子は、大地を踏みしめるような暮らしを通して、誰かのいいなりになるだけの「人形」から「人間」へと目覚め始める。その飛躍のためにかず子は、古い道徳や常識をぶち壊すような「恋」を選び取った。そのかず子の行動の意味とは何だったのか? 高橋源一郎さんは、太宰が、時代や社会に苦しめられている人たちに対して、表面的な政治革命ではなく、人間のもっとも深いところからの「革命」とはどういうことなのかを伝えようとしたのではないか、という。第2回は、既存の価値観を突き抜けたかず子の生き方を通して、太宰が「恋と革命」に象徴させた「新しい倫理」を読み解く。

名著、げすとこらむ。ゲスト講師:高橋源一郎 ぼくたちには太宰治が必要なんだ
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第3回 ぼくたちはみんな「だめんず」だ

【放送時間】
2015年9月16日(水)午後10:00~10:25/Eテレ(教育)
【再放送】
2015年9月23日(水)午前6:00~6:25/Eテレ(教育)
2015年9月23日(水)午後0:00~0:25/Eテレ(教育)
※放送時間は変更される場合があります
【ゲスト講師】
高橋源一郎
…作家、明治学院大学教授。代表作「さようなら、ギャングたち」「優雅で感傷的な日本野球」など。
【朗読】
伊勢佳世
…俳優。映画「プライド」、ドラマ「チームバチスタ3」等に出演。
【ナレーション】
加藤有生子

かず子の弟・直治は貴族という生まれを呪い庶民に同化したいと願い続けた。そのためにあえて麻薬や酒に溺れようとする。しかし彼の願いは受け入れられず最期に「ぼくは貴族です」と書き遺して自殺した。一方、作家の上原は、社会に反抗するかのように退廃的な生活にひたり、札つきの不良として振舞う。一見「だめんず」とも見える二人の生き方には、太宰自身の必死の叫びがあると高橋源一郎さんはいう。自らの悪を白日の下にさらけ出す二人は、そうすることで、大きな罪や矛盾をごまかし見ないふりを続ける世間の欺瞞に対して、「ほんとうのこと」を突きつけようとしているというのだ。第3回は、直治と作家・上原の生き方を通して、太宰治自身の、時代や社会への痛烈な批判を読み解く。

もっと「斜陽」
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第4回 「太宰治」の中にはすべてが入っている 

【放送時間】
2015年9月23日(水)午後10:00~10:25/Eテレ(教育)
【再放送】
2015年9月30日(水)午前6:00~6:25/Eテレ(教育)
2015年9月30日(水)午後0:00~0:25/Eテレ(教育)
2015年9月30日(水)午後10:00~10:25/Eテレ(教育)
2015年10月7日(水)午前6:00~6:25/Eテレ(教育)
2015年10月7日(水)午後0:00~0:25/Eテレ(教育)
※放送時間は変更される場合があります
【ゲスト講師】
高橋源一郎
…作家、明治学院大学教授。代表作「さようなら、ギャングたち」「優雅で感傷的な日本野球」など。
【朗読】
伊勢佳世
…俳優。映画「プライド」、ドラマ「チームバチスタ3」等に出演。
【ナレーション】
加藤有生子
【スペシャルゲスト】
又吉直樹(お笑いタレント)
…小説「火花」で第153回芥川賞受賞。

現代でも太宰治の作品は多くの人をひきつけてやまない。時代を超えて愛され続ける太宰の魅力とはいったい何なのか? 高橋源一郎さんは、太宰が「世界で何が起こっているかを静かに聴くことができる耳」の持ち主だったからだという。だからこそ、太宰は、未来に起こることを全て知っていたのではないかと思わせるほどの鋭い洞察を、作品の中に込めることができたのではないかというのだ。第4回では、タレントで作家の又吉直樹さんを交え、「斜陽」だけでなく、「女生徒」「恥」「御伽草子」など、自分がひかれる太宰作品の幾つかを挙げてもらいながら、太宰治が今も多くの人達をひきつけ続ける理由や、太宰作品を現代に読む意味について語り合う。

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「斜陽」2015年9月
2015年8月25日発売
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こぼれ話。


一つの作品から何かを学び尽くすということはどういうことか?

今回、高橋源一郎さんと又吉直樹さんを番組にお招きし、お話を聞いて痛感したのはそのことです。

高橋さんとの一番最初の番組打合せに臨んだ際、実はとても困っていました。「斜陽」という小説がとても面白くて、何か現代に通じる深いメッセージを読み取れそうな予感をもちながらも、具体的にどう論じたらいいか、考えあぐねていたからです。高橋さんは、そんな私が書いた下手くそな「構成たたき台」にこめた思いをくんでくださり、見事に現代に通じる切り口からの解説案を提示してくださいました。「斜陽」を読み尽くしている高橋さんならではの新鮮な解釈でした。

又吉直樹さんとの打合せのときもそうでした。又吉さんならこんな話をしていただいたらいいかな…と、過去のインタビュー記事を読んで頭の中でおおまかな案を考えていたのですが、そんなちっぽけな考えはことごとく粉砕されました。お笑いライブの合間の短い時間の打合せだったにもかかわらず、太宰の一つ一つの作品について、丁寧にご自分の思いを語ってくださり、目から鱗が落ちまくりました。又吉さんは、単なる太宰の愛読者を超えて、太宰の作品を「身で読んでいる」と実感しました。

その二人の読みの深さは、第四回をご覧いただいた皆さんもお感じいただいたのではないでしょうか?

お二人の姿勢から感じたことは、「一つの作品から何かを学び尽くす」ことの素晴らしさです。又吉さんは、太宰作品を中学生のときに読み始めて以来ずっと、定点で太宰を読み続けているそうです。そして毎回違うところにひっかかるそうです。そのつど、発見があり、全く飽きることがないといいます。私には、ここまで徹底して、一つの作品に向き合うことがあっただろうかということを反省させられました。

「何かを学ぶこと」の素晴らしさ。それは役に立つ、立たないなどという次元を超えています。それがたとえば就職や実際の仕事に直接的に役立たないからといって無意味なことでしょうか? 私はそうではないと思います。

敗戦という極限状況の中で、死に物狂いで次の世代に何かを教えようとしていた人々、そしてそこから何かを学び取ろうとした人たちの感動的なエピソードを、哲学者の鷲田清一さんが著書の中で紹介されていました。少し長いですが、引用させてください。

劇作家であり美学者でもある山崎正和が敗戦後の満州で受けた教育のことである。外は零下二十度という極寒のなか、倉庫を改造した中学校舎は窓ガラスもなく、寄せ集めの机と椅子しかない。引き揚げが進み、生徒数も日に日に減るなかで、教員免許ももたない技術者や、ときには大学教授が、毎日、マルティン・ルターの伝説を読み聞かせたり、中国語の詩を教えたり、小学唱歌しか知らない少年たちに古びた手回し蓄音機でラヴェルの「水の戯れ」やドヴォルザークの「新世界」のレコードを聴かせた。そこには「ほとんど死にもの狂いの動機が秘められていた。なにかを教えなければ、目の前の少年たちは人間の尊厳を失うだろうし、文化としての日本人の系譜が息絶えるだろう。そう思ったおとなたちは、ただ自分一人の権威において、知る限りのすべてを語り継がないではいられなかった」(「もう一つの学校」、山崎正和『文明の構図』所収)。

ーーー鷲田清一「京都の平熱」より

極限状況にあった彼らが死に物狂いで伝えようとした「知」は、すぐに役立つ実学などではありませんでした。それは「マルティン・ルターの伝説」であり、ラヴェルの「水の戯れ」であり、ドヴォルザークの「新世界」でした。何かを教え、語り継がなければ、「人間の尊厳」も「文化としての日本人の系譜」も息絶えてしまうという死に物狂いの動機。こんな思いに支えられてきたのが本物の「知」ではないでしょうか?

翻って現在、私達が置かれている状況はどうでしょう? 「すぐに役に立たない分野は廃止を」「社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組め」等々の掛け声の下、教育機関の再編成が推し進められていると聞きます。旧態依然とした横並びから脱し、グローバル化や大学ごとの特色を出すために努力することは、私も大切だと思います。ですが、上記のような「教える情熱」「学ぶ情熱」を押し殺すようなことだけはあってはならないと思います。


高橋源一郎さんと又吉直樹さんのお話を聞きながら、そんなことを感じました。そして、私自身も「100分de名著」を、人々の「学ぶ機会」「学ぶ情熱」に応え続けられるような番組にしていきたいという思いを新たにしました。

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