おもわく。
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小泉八雲「日本の面影」

「並外れた善良さ」「辛抱強さ」「素朴な心」「察しのよさ」……今や失われようとしている、私たち日本人がかつてもっていた美質。異邦人ならではの視点から、当の日本人ですら見過ごしていた日本の美しさ、精神性の豊かさを瑞々しい言葉で描き出してきた文学者・小泉八雲(旧名ラフカディオ・ハーン)。その初期の代表作が「日本の面影」です。7月の「100分de名著」では、優れた紀行文学であり、卓越した日本文化論としても読み解ける「日本の面影」を通して、「日本とは何か?」そして「異文化を理解するとはどういうことか?」をあらためて見つめなおしたいと思います。
小泉八雲が日本には到着したのは1890年(明治23年)。自らの居場所を求め続けた八雲が漂泊の果てにたどり着いた場所でした。時あたかも日本が西欧近代化に向けて邁進し始めた時期でしたが、地方にはまだ「古きよき日本」が色濃く残っていました。八雲はそうした「失われつつある日本」をこよなく愛し、それこそ日本の真髄だとして作品に書きとどめることで救い出そうとしたのです。
しかし、「日本の面影」は単なる日本礼賛の本ではありません。八雲は類い希なる感性で、あらゆる音に耳をすませ、全身で世界と共振しながら、自分とは全く異なる文化の深層を感じ取ろうとしました。この作品は、多様化し対立し合う現代の世界にあって、「異なる価値観」「異文化」を理解するための大きなヒントを私達に与えてくれます。小泉八雲の研究者、池田雅之早稲田大学教授は、八雲がそうできた理由を、「アイルランド人の父とギリシア人の母の間で自らのアイデンティティを引き裂かれながらも、世界中を旅することを通じて、どんな土地にでも溶け込んでしまえる『オープンマインド(開かれた心)』を獲得するに至ったからではないか」といいます。
番組では池田雅之さんを指南役として招き、小泉八雲が追い求めた世界観を分り易く解説。「日本の面影」を現代の視点から読み解いてもらい、そこにこめられた【日本文化論】や【異文化理解のヒント】【自分探し】など、現代の私達にも通じる普遍的なテーマを引き出していきます。

佐野史郎さんからのメッセージ

  • ラフカディオ・ハーン、小泉八雲ゆかりの地、島根県、松江を故郷に持つ俳優の私が八雲の作品を朗読するようになって久しい。朗読は、「語り聞かせる」という、俳優にとってとても重要な、基本となる表現である。松江では「ヘルンさん」として親しまれている八雲の作品を朗読することは、俳優修行であり、同時にまた、故郷への想いを強くする場ともなっていった。年に一度、松江と銀座で、定期的に小泉八雲の朗読会を行うようになって十年が経つ。
    自分で八雲の作品を、毎回テーマを決めて構成し、シナリオを書く。それを、やはり松江の高校の級友でありギタリストの山本恭司に音楽を担当してもらい、二人で八雲の幽玄の世界、古き良き日本の面影を蘇らせる。「息を合わせる」こともまた表現の基本。同じ空気を吸ってきた二人ゆえ、それもまた楽しい。子供の頃から怪談や妖怪が好きだった。「怪談」で知られる小泉八雲を「ヘルンさん」と、身近に感じていたこともあり、朗読を重ねる度に、その親しみにも導かれ、奥底の深い世界観にのめりこむ。
    今回、「100分de名著」にお誘いいただき、光栄だ。と同時に、永く小泉八雲の朗読を続けているだけに、責任の重さを強く感じた。番組で取り上げられた八雲の作品のほとんどは朗読してきたものだったし、その世界観を「頭で理解せず」に「身体で感じる」ように伝えることができるよう、神経を張りめぐらせた。プロデューサー、ディレクター、スタッフのみなさんは、それでもテレビメディアに求められる「わかりやすさ」を外すことなく、「説明がつく」ことと「説明をしない」ことを同時に成立させようと丁寧に現場を進めてくださった。百数十年前の「日本の面影」を「今」感じることで、視聴者一人一人のみなさんが、現在の、そして、これからの「日本の面影」に想いを馳せてくださるならばこれ以上のことはない。

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第1回 原点を訪ねる旅

【放送時間】
2015年7月1日(水)午後10:00~10:25/Eテレ(教育)
【再放送】
2015年7月8日(水)午前6:00~6:25/Eテレ(教育)
2015年7月8日(水)午後0:00~0:25/Eテレ(教育)
※放送時間は変更される場合があります
【ゲスト講師】
池田雅之(早稲田大学教授)
…比較文学者。小泉八雲に関する著書多数。
【朗読】
佐野史郎(俳優)
…小泉八雲の大ファン。世界各地で小泉八雲の朗読を行っている。

「人間は知識よりも幻想や想像力に依存する」。知識に偏重した西欧近代の価値観に反発した小泉八雲は、自らの人間観をそう表現し日本の豊かさをすくい上げるために知識で分析するような方法は一切放棄する。彼が異文化である日本を理解する方法は、庶民の暮らしに向き合うこと、伝承や神話に耳をすませることだ。その背景には、母を奪った父に代表される西欧社会への根深い敵意があった。日本を巡る旅は、母の記憶につながる原初の楽園的な世界を日本のうちに求めようという自分探しの旅、自らの原点を探す旅でもあった。第一回は、小泉八雲の人となりや執筆の背景を掘り下げながら、八雲が異文化日本を見つめた熱いまなざしに迫っていく。

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第2回 古きよき日本を求めて

【放送時間】
2015年7月8日(水)午後10:00~10:25/Eテレ(教育)
【再放送】
2015年7月15日(水)午前6:00~6:25/Eテレ(教育)
2015年7月15日(水)午後0:00~0:25/Eテレ(教育)
※放送時間は変更される場合があります
【ゲスト講師】
池田雅之(早稲田大学教授)
…比較文学者。小泉八雲に関する著書多数。
【朗読】
佐野史郎(俳優)
…小泉八雲の大ファン。世界各地で小泉八雲の朗読を行っている。

小泉八雲は、私たち日本人が当たり前のものとして見過ごしてきたものの中に、日本人の深層にあるものを見つけ出していく。八雲は、文献だけにたよらず、庶民の信仰や暮らしのただ中に分け入り、「盆踊り」の中に原初的な「大地の美しい叫び」を、「出雲大社」の中に日本人の「本能」「活力」「直観」を読み取る。それらには、太古から日本人を育み、豊かにしてきた文化の基層があったのだ。第二回は、目に見えない「霊的なもの」を感受する八雲独自の直観で探り当てた、古きよき日本の深層に迫っていく。

名著、げすとこらむ。ゲスト講師:池田雅之 異文化に対するやわらかな眼差し
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第3回 異文化の声に耳をすます

【放送時間】
2015年7月15日(水)午後10:00~10:25/Eテレ(教育)
【再放送】
2015年7月22日(水)午前6:00~6:25/Eテレ(教育)
2015年7月22日(水)午後0:00~0:25/Eテレ(教育)
※放送時間は変更される場合があります
【ゲスト講師】
池田雅之(早稲田大学教授)
…比較文学者。小泉八雲に関する著書多数。
【朗読】
佐野史郎(俳優)
…小泉八雲の大ファン。世界各地で小泉八雲の朗読を行っている。

ささやかな音への感受性、悲しいときにも微笑む日本人のふるまい…小泉八雲は、西欧人たちには理解が困難だった日本人の特質に新たな光を当てる。悲しいときの微笑みは「究極の克己心にまで達した謙譲」や「他人への気遣い」のあらわれだと読み解いた八雲。なぜここまで日本人の本質に迫れたのか? そこには「五感を研ぎすませて対象に向き合う」「相手の立場になりきる」といった八雲の資質があった。池田雅之教授は、八雲の方法には、私たちが異文化に向き合う際のヒントが数多く秘められているという。第三回は、五感を駆使し、異なる声に耳をすませ続けた八雲の「異文化理解の方法」を明らかにしていく。

もっと「日本の面影」
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第4回 心の扉を開く

【放送時間】
2015年7月22日(水)午後10:00~10:25/Eテレ(教育)
【再放送】
2015年7月29日(水)午前6:00~6:25/Eテレ(教育)
2015年7月29日(水)午後0:00~0:25/Eテレ(教育)
2015年7月29日(水)午後10:00~10:25/Eテレ(教育)
2015年8月5日(水)午前6:00~6:25/Eテレ(教育)
2015年8月5日(水)午後0:00~0:25/Eテレ(教育)
※放送時間は変更される場合があります
【ゲスト講師】
池田雅之(早稲田大学教授)
…比較文学者。小泉八雲に関する著書多数。
【朗読】
佐野史郎(俳優)
…小泉八雲の大ファン。世界各地で小泉八雲の朗読を行っている。

アイルランド人の父とギリシア人の母の間でアイデンティティを引き裂かれ魂に傷をおった小泉八雲。八雲はその魂の傷を癒すものとして日本の古い民話や説話を発見し「日本の面影」の中に採録する。やがて八雲は「再話文学」という方法を使ってそれらを「怪談」という傑作へと昇華していく。「怪談」の中には、自らの魂の軌跡や洋の東西を超えた普遍的なイメージ、近代への鋭い批判など、多様なテーマが見事に融合されている。それは「開かれた心」を持ち続けた八雲だからこそなしえた芸術作品だった。第四回は、「日本の面影」が傑作「怪談」に結実するまでの軌跡を追い、八雲が目指した「魂の理想」を描き出す。

NHKテレビテキスト「100分 de 名著」はこちら
○NHKテレビテキスト「100分 de 名著」
「日本の面影」2015年7月
2015年6月25日発売
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こぼれ話。


異文化の声に耳をすます


小泉八雲が「異なる文化や価値観に向き合うときの姿勢」を一言で表現すると、この言葉に凝縮されるのではないか? 「日本の面影」を何度も読み直す中で、強く感じ続けてきたことです。番組第三回のテーマにこの言葉をすえたのも、八雲の精神をぜひ伝えたいという意図からでした。

西欧で生まれ育った小泉八雲は、あまりにも自分たちの価値観や感性と異なる日本文化に出会ったとき、おそらく初めはとまどったに違いありません。ですが、八雲はそこで思考停止しなかった。自らの五感を研ぎ澄まし、庶民の暮らしや文化と全身で共振し、徹底して相手の立場に立って考えてみる。常に変わらぬこの姿勢こそが、あそこまで日本の本質に迫る文章を生み出した極意だったのではないかと思います。

翻って、今の私達が置かれている状況を見つめ直してみるとどうでしょう?

「自分とは異なる意見や主張を蹴散らして平気な顔をする」「少数者の意見をまるでないもののように無視する」「異文化や異なる価値観に対して理解しようと努力せず、ひたすら嫌悪と憎悪をつのらせる」

小泉八雲が「日本の面影」の中で礼賛してやまなかった「自分とは異なる他者や異邦人をやわらかく受け入れる明治の日本人」とは、まるで正反対の行為や態度が横行していないでしょうか? 自分自身の反省も含めて強くそう感じますし、小泉八雲に対して恥ずかしくて顔向けができないとすら思います。

どんなときにも、異なる価値観や異文化の声に耳を澄まし、全力でそれを表現しようとし続けた小泉八雲。公共放送という仕事に携わる人間として、この八雲の姿勢を心に刻み続けたいと思います。

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