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もっと「ブッダ 最後のことば」もっと「ブッダ 最後のことば」

今回からこのコーナーでは、プロデューサーAが選んだ名著の注目フレーズの解説に加えて、「100分de名著」を盛り上げてくれるアニメーターの皆さんの活躍にスポットを当てる「アニメ職人たちの凄技」を不定期に掲載していきます。

アニメ職人たちの凄技

【第一回目】
今回、スポットを当てるのは、
ケシュ♯203

プロフィール

ケシュ#203(ケシュルームニーマルサン)
仲井陽(1979年、石川県生まれ)と仲井希代子(1982年、東京都生まれ)による映像制作ユニット。早稲田大学卒業後、演劇活動を経て2005年に結成。NHK Eテレ『グレーテルのかまど』などの番組でアニメーションを手がける。手描きと切り絵を合わせたようなタッチで、アクションから叙情まで物語性の高い演出を得意とする。100分de名著のアニメを番組立ち上げより担当。仲井希代子が絵を描き、それを仲井陽がPCで動かすというスタイルで制作している。ともに演出、画コンテを手がける。

ケシュ#203のお二人に、「ブッダ 最期のことば」のアニメ制作でこだわったポイントをお聞きしました。

古代のインドらしさを出すにあたって、色味とコントラストに気を配りました。独特の色味を表現するのに参考にしたのが、インドの赤い土の色と神話をモチーフにした絵画の類です。例えば葉っぱの緑色ひとつとっても印象がガラリと変わりますし、コントラストの強さは日の強さを表しています。

またいつもはもっと映画的なカット割りが多く、実写に近いような奥行きのある構成にするのですが、今回はあえて平面的なカメラワークにしています。そうすることで仏教説話の絵本やインドの影絵のような、寓話的なテイストが出ることを狙っています。

またブッダに限らずいつもそうですが、単なる説明映像ではなく、感情を動かすようなものになるよう心がけています。それがアニメであることの意味だと思っているので、ほんの少しでもクスッとしたりしんみりしたり、見てる人の感情が動けばうれしいです。

ぜひケシュ♯203の凄技にご注目ください!

「何かを弟子に隠すような師匠の握り拳などない」

(涅槃経)

プロデューサーAはこの一説を読んで大きな衝撃を受けました。「師匠の握り拳」というのは平たくいえば「師匠が弟子に対して隠しておくような秘密」ということです。ブッダは、自分の死が間近なのを感じ取り、「私は教えるべきことは全て教えた。隠すような秘密の教えなどなにもない」といい切ったのです。しかもその直後に「私は自分のことを指導者だと思っていない」とも宣言しています。これは大変革命的なことだと思います。

とかく世間でリーダーとか師匠と呼ばれる人達は、部下や弟子達に「私はあなたたちの知らないことを知っている。だから私についてきなさい」という形で、自分のリーダーシップを保ちます。もっと悪いケースだと、自分への尊敬を強要したり、自分のいうことをきくように恫喝したり……。

ところが、ブッダほど偉大で、リーダーとしての尊敬を自然に集めている人が「私は指導者ではない」といい切る。いったいこれはどういうことなのか?

今回講師を担当してくださった佐々木閑先生は、これが「謙虚さ」とか「奥ゆかしさ」とかではなくて、逆に自分の生き方に対する絶対的な自信の表れなのではないかといいます。ブッダは「全知全能の救済者などどこにもいない」という確信のもと、「普通の人間が自分の力で究極の安楽を見いだすにはどうしたらよいか」という問題を自力で解決し、その方法をまわりの人達に伝え続ける「一人の人間」であると自覚していた。いわば、自分のことをインストラクターのような存在と考えていたのです。ブッダが「もう教えることはない、自分は指導者ではない」といっているのは、その役割を全て果たし終えたという満足感の現れだったのではないか、というのが佐々木先生の説です。

結果として、ブッダは2500年以上も存続するサンガという組織を死後に残すことができた。これは歴史上の快挙といえるでしょう。リーダーの死後も長期間に渡って安定的の継続する組織を設計したブッダ。時代をになうリーダー論などがかまびすしく議論される昨今、「涅槃経」は、常識を覆すような「リーダー論」「組織論」のヒントにあふれていると思えてなりません。

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