おもわく。
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「ブッダ 最期のことば」

およそ2500年前に誕生した仏教。創始者ブッダの死後まもなく、弟子たちによって編纂され、数ある経典の中で、ブッダ本人の死のありさまが最も忠実に記述されていると考えられているのが、古代インドのパーリ語で記された「マハーパリニッバーナ・スッタンタ」(「大般涅槃経」)です。直訳すれば「偉大なるブッダの死」という意味になるこの経典は、東南アジアでは基本経典の一つとして重要視され、国の異なる僧侶同士が会話する時には、今でもパーリ語が使われているほどです。
番組では、古代仏教史や戒律の研究者、花園大学の佐々木閑教授が「大般涅槃経」をわかりやすく解説します。佐々木さんによれば、ブッダの教えは単なる宗教ではありません。悩みを抱えている人が自分自身を見つめ、さまざまな苦しみを克服していくための「自己鍛錬システム」だといいます。とりわけ「大般涅槃経」には、自分が死んでリーダーが不在になった後も、このシステムが長期にわたって維持・管理できるような工夫や知恵が数多く記されています。これは他の宗教にはあまりみられない特徴です。
合理的な知恵によって心の本質を見極め、苦しみからの脱却を目指そうとしていたブッダ。彼が死の直前に私たちに残そうとしたメッセージとは何だったのでしょうか? 仏教を【自己鍛錬システム】ととらえる視点で、ブッダが最期の瞬間まで自らの姿を通して示した【人間のあるべき生き方】、長期に渡って維持・存続する組織の条件を問う【組織論】などを、「大般涅槃経」から読み解いていきます。

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第1回 涅槃への旅立ち

【放送時間】
2015年4月1日(水)午後10:00~10:25/Eテレ(教育)
【再放送】
2015年4月8日(水)午前6:00~6:25/Eテレ(教育)
2015年4月8日(水)午後0:00~0:25/Eテレ(教育)
2015年6月14日(日)午前0:45~1:09 ※13(土)深夜/Eテレ(教育)
※放送時間は変更される場合があります
【ゲスト講師】
佐々木閑(花園大学教授)
【朗読】
大杉 漣(ブッダ・パート)
【朗読】
音尾 琢真(アーナンダ・パート)

80歳を迎えたブッダは霊鷲山に滞在していた。身体の衰えがひどく自身の死期が近いことを覚ったブッダは故郷を目指して最後の旅に旅立つことを決意する。その大きな目的の一つは、自分の死後、これまで解き明かしてきた真理や修行方法などをできるだけ多くの人たちに教え伝えることだった。旅立ち前にまず行ったのは意外にも、隣国への侵略計画をすすめる阿闍世王への忠言。そこには真に繁栄する国の条件が示されていた。佐々木閑さんは、その裏に、自分の死後、仏教や教団が永く維持・存続するための教えが込められているという。第1回は「大般涅槃経」の全体像を概観しつつ、ブッダが「自己鍛錬システム」として説いてきた仏教の本質と、それをいかにして長く存続させるかというブッダの知恵を読み解く。

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第2回 死んでも教えは残る

【放送時間】
2015年4月8日(水)午後10:00~10:25/Eテレ(教育)
【再放送】
2015年4月15日(水)午前6:00~6:25/Eテレ(教育)
2015年4月15日(水)午後0:00~0:25/Eテレ(教育)
2015年6月14日(日)午前1:09~1:33 ※13(土)深夜/Eテレ(教育)
※放送時間は変更される場合があります
【ゲスト講師】
佐々木閑(花園大学教授)
【朗読】
大杉 漣(ブッダ・パート)
【朗読】
音尾 琢真(アーナンダ・パート)

ブッダは最後の旅において、自分の死後に指標となるような教えを繰り返し説き続けた。その代表例が「自灯明・法灯明の教え」。「私がいなくなっても真理の法は生きている。自らを灯明とし自らを拠り所としなさい。法を灯明とし法を拠り所としなさい」。この言葉は、自分の死後リーダーが不在になったとしても、修行を続けていける方途を示したものだ。いわば「教祖」のようなものを否定した画期的な教えである。またブッダは、遊女アンバパーリーの招待をすすんで受けるなど、貴賎の差を問わない絶対平等の立場で行動を続ける。自らの姿をもって弟子達に真理を教え続けたのだ。第2回は、旅の途上のさまざまなエピソードを通して、ブッダの死後も生き続ける「生き方の指針」を読み解いていく。

名著、げすとこらむ。ゲスト講師:佐々木 閑「仏教という宗教の本質を説く経典」
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第3回 諸行無常を姿で示す

【放送時間】
2015年4月15日(水)午後10:00~10:25/Eテレ(教育)
【再放送】
2015年4月22日(水)午前6:00~6:25/Eテレ(教育)
2015年4月22日(水)午後0:00~0:25/Eテレ(教育)
2015年6月14日(日)午前1:33~1:57 ※13(土)深夜/Eテレ(教育)
※放送時間は変更される場合があります
【ゲスト講師】
佐々木閑(花園大学教授)
【朗読】
大杉 漣(ブッダ・パート)
【朗読】
音尾 琢真(アーナンダ・パート)

ブッダの死因は、鍛冶屋チュンダが供養した食事だったとされる。しかし、ブッダは一切チュンダを責めることはしない。それどころか「涅槃に入る前の最後の施食は、ほかのどんな供養よりもはるかに大きな果報と功徳がある」と説き、チュンダの後悔の念を和らげようという深い慈悲を示す。またその直前には、まるで総決算のように、六つの町でこれまで説いてきた教えのエッセンスを、命を削りながら説き続けた。ブッダ最後の旅は、「諸行無常」という真理をわが身をもって示す旅でもあった。第3回は、最後の旅における説法を通してブッダの思想のエッセンスを紹介するとともに、最後の瞬間まで慈悲に貫かれたブッダの行為から、人間としてのあるべき姿を読み解く。

もっと「ブッダ 最期のことば」
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第4回 弟子たちへの遺言

【放送時間】
2015年4月22日(水)午後10:00~10:25/Eテレ(教育)
【再放送】
2015年4月29日(水)午前6:00~6:25/Eテレ(教育)
2015年4月29日(水)午後0:00~0:25/Eテレ(教育)
2015年4月29日(水)午後10:00~10:25/Eテレ(教育)
2015年5月6日(水)午前6:00~6:25/Eテレ(教育)
2015年5月6日(水)午後0:00~0:25/Eテレ(教育)
2015年6月14日(日)午前1:57~2:21 ※13(土)深夜/Eテレ(教育)
※放送時間は変更される場合があります
【ゲスト講師】
佐々木閑(花園大学教授)
【朗読】
大杉 漣(ブッダ・パート)

ついにブッダの死に死が訪れようとしていた。沙羅双樹の樹下に横たわったブッダは、弟子たちに向けて遺言ともいうべき言葉を語り始める。「葬儀のあり方」「修行の大切さ」「時代にあわせて柔軟に戒を運用すること」を伝えるなど、最期の最期まで、自分の死後に残された人たちが困らないよう細かい心配りをするブッダ。それは、生涯をかけて積み上げてきたものだけが示せる荘厳な死だった。第4回は、ブッダの死が意味するものやそれを私たちがどう受け止めたらよいのかを考えるとともに、仏教やそれを支えるシステムが、ブッダの死後2500年以上も長きにわたって存続してきた秘密にも迫っていく。

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「ブッダ 最期のことば」2015年4月
2015年3月25日発売
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こぼれ話。

「ブッダ 最期のことば」こぼれ話

「『涅槃経』っていう2000年以上前の経典がまさか現代の私たちに『使える』テキストとは思わなかった」

司会の伊集院光さん、武内陶子さんが番組終了時にもらしていた言葉です。かくいう私自身も「涅槃経」という響きから、ブッダの死のありさまを荘厳に描きだした経典で、ありがたいけど、なんとなく「抹香くさい」感じの教えなのだろう…くらいに、たかをくくっていたのです。

ところが、「涅槃経」が仏教にとどまらない「組織論」に役立つものだ…という解説を、最初の打ち合わせのときに佐々木閑先生にうかがって、目からウロコがおちまくりました。

番組制作を終えた今、「涅槃経」を現代に読む意義について、私自身の解釈を交えての実感をあえて語ってみると、「涅槃経が説く組織論」は、今、世界を席巻しつつあるグローバル経済への対抗原理になりうるのではないかということです。

真理や生きがいを追究するサンガのような組織は、それ自体では経済的に成り立たないため、その追求のありさまを徹底して情報公開し、非の打ち所がないくらい立派な姿を一般社会に示していくことで、人々に理解を求めてお布施をいただくことで支えてもらう。こういう仕組みをもったからこそ、仏教は、世俗的な常識にとらわれない新しくて豊かな文化や芸術を2500年もの間生み出し続けていけた。こうした「二重構造」がブッダの組織論の中核だというのが、佐々木先生の説です。

これは仏教の組織だけでなく、真理の追究、芸術の振興、文化の育成等々、公共の利益を追求している現代の組織にも通じると、佐々木先生はいいます。佐々木先生は、番組では、宇宙物理学の研究者の組織とその研究費を支える一般社会という例でわかりやすく解説されていました。

これって私たちの身の回りにもたくさんありますよね。たとえば、いろいろな町にある市民オーケストラ。純粋にいい音楽を奏でることを追求するこの組織は、その組織単体だけではたぶん運営費をまかなえません。私たちが支払うチケット代、寄付金、行政からの補助金などがあって初めて成り立ちます。いってみればこれは「お布施」です。その代わりに、この市民オーケストラは、素晴らしい音楽を私たちに聴かせてくれることでそのお返しをしてくれます。またその結果、その町の文化度があがったり、将来音楽家を目指す子供達の感性を養ったりと、さまざまな形で「果報」を得ることができるのです。

ところが、こうした組織が、純粋な経済原理からみて非効率なものととみなされつつあるのが現代です。特にグローバル経済の波にあらわれて競争が激しくなる昨今、こうした文化活動にかかる予算って年々削減されつつあるという話をよく聞きます。「伝統芸能」を継承していこうという団体などが厳しい状況に追い込まれている例も聞いたことがあります。学術の分野だってそう。法人化の波の中で、大学組織などでは、直接的かつ即効で役立つような研究分野や注目が集まる研究分野だけが研究費を獲得し、長い目でみないと研究成果が現れてこないような地味な分野が滅びつつあるという慨嘆の声も聞かれます。本来真理を追究すべき学術組織までもが、熾烈な競争原理にさらされ、成果にあせりすぎてとんでもない失敗を犯すといった現象も見受けられます。

もちろん厳しい経済状況の中で、財政の建て直しのために効率化をはかっていくことはある程度仕方がないことなのかもしれません。しかし、私は、ブッダの組織論が示す原点を忘れてはならないと思います。経済原理だけで全てをはかり、「文化」や「公共の利益」の領域を切り捨ててしまっては、「豊かな文化の苗床」を殺してしまうことになります。

佐々木先生は、ブッダの組織論を「ものさし」だとおっしゃっていました。それはもちろん理想であり、完璧には実現できないかもしれないが、みんなが心の中にもっておくことで、現状がどれだけ歪んでいるのか、理想から遠のいているのかをはかることができる「ものさし」であると。

私たちは、ブッダの組織論を「ものさし」としつつ、社会が偏った方向へ向かっていかないようきちんと監視していかなければならないのでないか? そんなことを強く思いました。

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