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名著、げすとこらむ。

佐々木 閑
(ささき・しずか)
花園大学教授

プロフィール

1956年、福井県に生まれる。京都大学工学部工業化学科、および文学部哲学科仏教学専攻卒業。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。米国カリフォルニア大学バークレー校留学を経て、花園大学文学部仏教学科教授。文学博士。専門は仏教哲学、古代インド仏教学、仏教史。日本印度学仏教学会賞、鈴木学術財団特別賞受賞。著書に『出家とはなにか』『インド仏教変移論』(以上、大蔵出版)、『日々是修行』(ちくま新書)、『「律」に学ぶ生き方の智慧』(新潮選書)、『NHK「100分de名著」ブックス ブッダ 真理のことば』『NHK「100分de名著」ブックス 般若心経』(以上、NHK出版)、『ゴータマは、いかにしてブッダとなったのか』(NHK出版新書)、『仏教は宇宙をどう見たか』(化学同人)、『科学するブッダ 犀の角たち』(角川学芸出版)など。共著に『生物学者と仏教学者七つの対論』(ウェッジ選書)。

◯『ブッダ 最期のことば』ゲスト講師 佐々木 閑
「仏教という宗教の本質を説く経典」

日本は今、少子高齢化や正規雇用率の低下など、解決すべき多くの問題を抱えています。全世界的に見ても、各地で凶悪な暴力事件や紛争が頻発し、心の重くなるニュースばかりが耳に入ってきます。これほど文明の進んだ二十一世紀の世の中で暮らしているのに、私たちの胸の内は暗い閉塞感で一杯です。こういった状況の中、今注目されているのが、「自分の力で自分の生き方を変えていこう」という自己鍛錬の重要性を説く原始仏教、すなわちブッダの教えです。

二千五百年前にブッダが生み出した仏教は、その後の歴史の中で様々に変化し、本来のブッダの教えとは全く違うことを主張する流派もたくさん現れました。日本の大乗仏教も仏教の一つですが、内容的にはブッダが最初に説いた教えとは、似ても似つかないものになっています。大乗の考え方は、どちらかと言うとキリスト教やイスラム教に近く、私たちの外に存在する大きな力に救いを求めるものです。それに対して原始仏教は、外界ではなく心の内側に目を向け、努力による自己改革を目指します。人知を超えた不思議な力に頼ろうとするのではなく、自分の心のあり方を変えていくことに救いを見いだす──という点で、原始仏教は合理的、論理的に物事を思考する現代人にもマッチする教えといってよいでしょう。

本書では、この原始仏教の教えの一つである『涅槃経』について語っていきますが、最初に言葉の説明をしておきましょう。まずブッダという名称ですが、この本では、釈迦という実在した一人の人物を指します。大乗仏教の時代になると阿弥陀様とか薬師様とかいろいろなブッダが登場するのですが、原始仏教ではまだそういったブッダは現れていません。ブッダと言えば釈迦のことを意味しているのです。そのブッダの作ったオリジナルの仏教を一般には原始仏教と呼ぶのですが、「原始」という言葉には「未熟な」という意味も入っているのであまり好ましくありません。そこで本書の中ではそれを、私の造語で「釈迦の仏教」と呼ぶことにします。ですから本書の目的は、『涅槃経』という、「釈迦の仏教」を代表する経典をとりあげて、ブッダの教えをご紹介していくということになるのです。

「100分de名著」では以前、「釈迦の仏教」の代表的経典である『ダンマパダ(真理のことば)』をご紹介しましたが、今回は同じ「釈迦の仏教」に属する『マハーパリニッバーナ・スッタンタ』、日本では『涅槃経』と呼ばれているお経についてお話しします。『涅槃経』には、「釈迦の仏教」の流れを汲む古い『涅槃経』と、大乗仏教で新たに作られた『涅槃経』の二種類があって、同じタイトルでありながら、書かれている内容は全く異なっています。これから私がお話しするのは古いほうの『涅槃経』です。日本の一般の人にはあまり馴染みのない経典ですが、タイやスリランカなどの南方仏教国では、今も基本経典の一つとして大変重要視されています。

このお経には、八十歳でこの世を去ることになったブッダの「最後の旅」の様子がストーリー仕立てで描かれています。旅先で起こった出来事や、旅の途中でブッダが弟子たちに残したメッセージ、ブッダの死を嘆き悲しむ弟子の様子、そしてお葬式の顚末などが書かれていて、一般的には「ブッダを追慕する経典」と捉えられています。しかし私は、このお経には別の重要な意味が潜んでいると考えています。それは、ブッダが作り上げた独自の「組織論」です。仏教の本質を捉えながら読み解いていくと、このお経はブッダの死をノンフィクション風に綴りながら、そのじつはブッダ亡き後の仏教僧団をどうやって維持・管理していけばよいのか、その基本理念を説いたものだということが新たに見えてくるのです。仏教の組織論を語る経典などというと「私はお坊さんではないんだし、仏教の組織なんて興味ない」と思う方もいらっしゃるでしょう。しかし、ブッダが亡くなって二千五百年もの間、連綿と形を変えずに受け継がれてきた仏教僧団の仕組みや組織運営のノウハウを知ることは、仏教の教えの本当の意味を知ることにもつながっていきます。実を言えば仏教という宗教の本質は「生きがいを追求するための組織」なのです。

仏教のことを、祈ったり拝んだりして、外界の不思議なパワーで助けてもらう宗教だと思っておられる方は多いと思います。大乗仏教ならそれでいいのですが、「釈迦の仏教」は違います。ブッダの教えを守って堅実な生活を送りながら、煩悩を一つずつ消していって、一歩一歩悟りへと近づいていくのが仏教本来の目的です。仏教の本義は、教えの実践をベースとした「自己鍛錬システム」にあるのです。そのためブッダは、「サンガ」と呼ばれる自己鍛錬のための組織を作り、その中で暮らしながら煩悩を消すためのノウハウを説き残しました。それこそが「ブッダの教え」、つまり仏教なのです。したがって、本当の意味での仏教を知るためには、サンガのことも理解しておかねばなりません。

ブッダは最後の旅で、様々な言葉を弟子たちに残しています。それを組織論とつなげて読んでみることで新たな「気づき」が生まれます。いったいブッダはその最期になにを伝えようとしたのか──。一緒に紐解いていくことにしましょう。

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