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名著、げすとこらむ。

◯『フランケンシュタイン』ゲスト講師 廣野由美子
『フランケンシュタイン』との出会い

私が大学院の博士課程に在籍していたころのことです。客員講師として招かれた若いイギリス人研究者が、こう言いました。「『フランケンシュタイン』は玉葱のような作品で、皮をむくと、次々と内側から物語が出てくる」。
この講義の内容については、他のことはあまり覚えていませんが、“Frankenstein is a novel like an onion” という言葉だけは、いまも耳に残っています。この表現を聞いた瞬間、「これは文学的に価値のある小説なのだ」と、私は直観的に悟りました。そして早速、原作を読むことにしたのです。
十九世紀を中心とする時代のイギリス小説を研究していながら、私がそれまで『フランケンシュタイン』(初版一八一八年)を手にとっていなかったのは、一般に流布している〈フランケンシュタイン〉のイメージがあまりにも強烈なため、典型的なゴシック小説(十八世紀後半から十九世紀初頭に流行した超自然的な内容の恐怖小説)だと思い込み、かえって読む気をそがれてしまっていたからかもしれません。しかし、その先入観は完全に打ち破られました。実に読み応えのある、深い小説であることを発見したのです。
数年後、私が山口大学に教員として赴任し、最初の大学院の授業ではりきって取り上げたのが、この『フランケンシュタイン』です。原書の英語はなかなか難解で、学生たちは予習に苦労したようですが、読み進めるうちに、彼らもしだいに作品に魅せられていきました。「夜、勉強しながらふと窓のほうを見ると、黄色い顔をした怪物が覗き込んでいるような気がした」という学生もいたほどの取り憑かれぶりで、怪物の語りの部分では、 みんなが「かわいそうだ」と共感を覚えるに至りました。
その授業も終わりに差しかかったころ、ちょうどケネス・ブラナー監督・主演の『フランケンシュタイン』(一九九四年、原題はMary Shelleyʼs Frankenstein )が封切られ、学生たちに誘われて、私もいっしょに映画館へ見に行きました。原題でわざわざ「メアリ・シェリーの」と作者の名前を冠につけるぐらいですから、従来のホラー型の映画とは趣が違うはず、と期待したのですが、これでもかこれでもか、というようなおぞましい映像の連続に、私たちはみなげんなりしてしまいました。
たしかに、マイナーな登場人物なども描かれていて、比較的原作に沿った内容ではありました。にもかかわらず、「何かが違う」と私たちが感じたのは、なぜでしょう? そのときこそ私たちは、『フランケンシュタイン』を読むことがどんなに楽しく、原作がいかに美しい作品であったかを痛感したのです。たとえストーリーを忠実に辿っても、いったん映像化すると、視覚的な効果が優先され、本質的な魅力が抜け落ちてしまう場合があります。原作にも、怪物はどうしようもなく醜い存在だと書かれています。しかし、その姿がいったん具体的な像を伴うと、観る者は醜さに嫌悪感を抱き、外観に圧倒されて、内に隠された怪物の「内面」に気づけなくなってしまうのです。皮をむいていった〝玉葱〟の中心部にある「怪物の語り」をとおして、その心の奥底を直接読者に覗かせてくれるのは、やはり「語り」という形式を基本とした「小説」にしかできないことだとわかりました。こうして『フランケンシュタイン』は私に、「小説とは何なのか」ということを知るきっかけを与えてくれたのです。
以後も、研究者として何度もこの作品と出会い直す契機が訪れました。京都大学に転任し、小説の読み方や批評理論について講じる授業を行ったときにも、材料として頭に浮かんだのが『フランケンシュタイン』で、この講義はのちに『批評理論入門──「フランケンシュタイン」解剖講義』(二〇〇五年、中公新書)という本になりました。あるいは〈教育〉という観点から、この小説を用いて一般向けの講演をしたこともあります。
そしてこのたび、「100分de名著」の番組でお話しさせていただくことになりました。必ずしも愛読書として意識していなくても、期せずして何度も出会いのある作品──あたかも向こうからやって来るように感じられる作品──というものが、誰にとっても存在するのではないかと思います。私にとって『フランケンシュタイン』は、そのような不思議な縁のある作品のひとつです。『フランケンシュタイン』は独創的なストーリーを軸に、現代にも通じるさまざまな問題を投げかけてくる万華鏡のような作品です。みなさんにとっても、この番組とテキストが『フランケンシュタイン』との有意義な出会い、または再会のきっかけとなれば幸いです。

廣野由美子
(ひろの・ゆみこ)
京都大学大学院教授

プロフィール 1958年生まれ。京都大学文学部文学科(独文学専攻)卒業。神戸大学大学院文化学研究科博士課程(英文学専攻)単位取得退学。学術博士。山口大学教育学部助教授、京都大学総合人間学部助教授を経て、現在、京都大学大学院人間・環境学研究科教授。専門分野は、英文学、イギリス小説。1996年、第4回福原賞受賞。著書に、『批評理論入門──「フランケンシュタイン」解剖講義』(中公新書)、『一人称小説とは何か──異界の「私」の物語』『視線は人を殺すか──小説論11講』(ともに、ミネルヴァ書房)、『ミステリーの人間学──英国古典探偵小説を読む』(岩波新書)、『「嵐が丘」の謎を解く』(創元社)、『十九世紀イギリス小説の技法』(英宝社)など、翻訳書に『ジョージ・エリオット』(彩流社)などがある。

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