おもわく。

「茶の本」

新渡戸稲造「武士道」とほぼ同じ時期に英語で出版され、日本文化の啓蒙書として世界中で読み継がれている岡倉天心著「茶の本」。初詣、おせち料理、書初め等…日本の文化を強く意識する新年、「100分de名著」では、「茶の文化」を通して日本や東洋文明の底流に流れている特異な世界観をわかりやすく紹介した「茶の本」を読み解き、日本とは、そして、日本人とは何かをあらためて見つめなおします。
「茶の本」といっても、茶道の指南書ではありません。近代欧米の物質主義的文化と対比して、東洋の伝統精神文化の奥義を解きつくそうという壮大な構想をもとに書かれた天心流の文明論です。明治時代、文部官僚として日本美術の再興に尽力した天心ですが、ボストン美術館で東洋美術収集の仕事をするようになってから、欧米社会にいかにして日本文化の奥深さを伝えるかを自らのミッションと考えるようになりました。その頃、日清・日露戦争を契機に日本人への関心が高まっていましたが、「武士道」等の影響で、日本人の「戦闘的精神」のみがクローズアップされることに天心は違和感をもっていました。そこで、それとは全く対極的な「平和的」「内省的」文化である「茶」にこそ日本の神髄があると主張しようとしたのです。
「茶の本」を読み解いていくと、建築、庭園、衣服、陶芸、絵画といった日本文化の隅々にいたるまで、「茶の思想」の深い影響が及んでいることがわかります。またごく日常的な営みに美や崇高さを感じ取る日本人ならではの感受性がいかにして育まれていったかを知ることができます。いわば、「茶の本」は、日本人のよい面、悪い面全てを映し出す「鏡」のような本ともいえるでしょう。
岡倉天心研究の第一人者、大久保喬樹教授(東京女子大学)は、「茶の本」を現代に読む意味は、「近代化の中で表面的には忘れ去ってしまっているが、無意識のうちに我々を規定している日本文化の基層に触れることができる」ことだといいます。大久保教授に岡倉天心「茶の本」を現代の視点から読み解いてもらい、「日本人」や「日本文化」の根底に流れる世界観を解き明かします。また第四回には、世界的な建築家・隈研吾さんをゲストに招き、「茶の本」に込められた思想をどのように建築設計に生かしているかをお聞きします。

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第1回 茶碗に満ちる人の心

【放送時間】
2015年1月7日(水)午後11:00~11:25/Eテレ(教育)
【再放送】
2015年1月14日(水)午前5:30~5:55/Eテレ(教育)
2015年1月14日(水)午後0:25~0:50/Eテレ(教育)
※放送時間は変更される場合があります
【ゲスト講師】
大久保喬樹(東京女子大学教授)

天心は「茶道」の根本思想を「俗事中の俗事たる茶を飲む行為のようなごく日常的な営みを、究極の芸術であり宗教ととらえる日本独特の世界観」と紹介する。これは「日常生活」と「芸術や宗教」を別次元のものと分け隔てる西欧近代思想と対極にある価値観である。この価値観を天心は「美しくも愚かしいこと」という一言に象徴させる。天心は「茶の精神」を、つまるところ「一抹の夢」にすぎない現実世界の無常を美しいものと観じ微笑んで受け入れる境地であると考えた。そしてそこに、欲望に狂乱する現代世界の混乱を収拾するヒントがあるという。第一回は、西欧近代の価値観と対比しながら、「茶の思想」に現れた日本独特の価値観を浮き彫りにする。

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第2回 源泉としての老荘と禅

【放送時間】
2015年1月14日(水)午後11:00~11:25/Eテレ(教育)
【再放送】
2015年1月21日(水)午前5:30~5:55/Eテレ(教育)
2015年1月21日(水)午後0:25~0:50/Eテレ(教育)
※放送時間は変更される場合があります
【ゲスト講師】
大久保喬樹(東京女子大学教授)

「茶の思想」の根本には、老荘思想や禅の影響を受けた「虚(不完全性)」「小さいものの偉大さ」という二つの理念が存在する。「水差しは中が空虚であるからこそ水を注ぎ入れることができる」という老子のたとえ話のように、人間は不完全であるからこそ完成に向けて無限の可能性が開かれているという人間観が「茶」にはある。また、「極小の中に宇宙大の真理が宿る」という禅の思想の影響から、日常茶飯のひとつひとつが修行であり、その中に至上の境地を見いだすという「茶の精神」が生まれたという。第二回は、禅と老荘思想から「茶の本」を読み解き、「虚(不完全性)」「小さいもの」といった一見マイナスに見える価値の中に、現代を生きるヒントを見いだしていく。

名著、げすとこらむ。ゲスト講師:大久保喬樹「百年前に自然との共生を説いた先見の書」
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第3回 琴には琴の歌を歌わせよ

【放送時間】
2015年1月21日(水)午後11:00~11:25/Eテレ(教育)
【再放送】
2015年1月28日(水)午前5:30~5:55/Eテレ(教育)
2015年1月28日(水)午後0:25~0:50/Eテレ(教育)
※全豪オープンテニス放送のため下記の通り変更になります
2015年1月30日(金)午前2:15~2:39/Eテレ(教育)※木曜深夜
※放送時間は変更される場合があります
【ゲスト講師】
大久保喬樹(東京女子大学教授)

誰が弾いても決して鳴ることがなかった名琴を、名人・伯牙はこともなげに鳴らす。その極意は、自分の歌を歌わせるのではなく琴自身に歌わせ、琴と自分が一体となることだった。道教説話に出てくるこのエピソードこそ、芸術に触れる際の「茶道」の極意だと天心は説く。西欧近代の美学では、しばしば芸術家、鑑賞者双方が我をむき出しにし、自己主張し合う。しかし、それでは、芸術の本質は理解できない。自己を空しくし芸術に身をゆだねることによって、自己を超越した「自他一体の境地」に至ることこそ「茶」が教える芸術の奥義だという。第三回では、茶が教える美の極意「自他一体の境地」や、茶の美意識が貫かれている「茶室」に込められた意味を解き明かす。

もっと「茶の本」
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第4回 花、そして茶人の死

【放送時間】
2015年1月28日(水)午後11:00~11:25/Eテレ(教育)
【再放送】
2015年2月4日(水)午前5:30~5:55/Eテレ(教育)
2015年2月4日(水)午後0:25~0:50/Eテレ(教育)
※放送時間は変更される場合があります
【ゲスト講師】
大久保喬樹(東京女子大学教授)
【ゲスト】
隈研吾(建築家)

天心は、茶道と連携しながら発展した「華道」に着目する。そして、ここに日本人が自然に対するときの根本思想が現れているという。現代社会では、花は物質的資源として人間の好き勝手に浪費され、使用済みとなれば無用のごみとなる。天心はこうした態度が一般化すると、自然環境を人間の都合に合わせて一方的に利用・破壊してしまう人間中心主義に陥ると批判する。これに対して、茶人はただ花を選ぶだけで、その先は、花それぞれが自身の物語を語るにまかせるという態度を貫く。いわば「茶」は、自然と人間は対等であることを理想としているのだ。第四回は、「茶の本」に込められた「自然観」を、世界的建築家・隈研吾さんと読み解いていく。

NHKテレビテキスト「100分 de 名著」はこちら
○NHKテレビテキスト「100分 de 名著」
「茶の本」2015年1月
2014年12月25日発売
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こぼれ話。

「茶の本」と「建築」が、もしかしたら、つながる?

そんな直観がひらめいたのは、一緒に番組を制作している外部プロダクションのメンバーとゲスト案について話し合っていた最中でした。メンバーの一人が「他の番組でご一緒したことがある隈研吾さんに当たってみましょうか?」との提案をしてくださったときのこと。実は、私も「森舞台」という隈さんの作品をみて以来の大ファン。脳裏に隈さんが設計した建築が幾つか浮かび、なんだか岡倉天心が論じている「茶室」のイメージと隈さんの建築が重なってみえてきて……。

そういえば、隈研吾さんのキー・コンセプトは「負ける建築」。これってもしかすると、天心のいう「虚」の思想に通じるものがあるのでは……と次々に連想がつながっていくものの、「分刻みで世界中を飛び回っている隈さん、まさかアポをとれないだろうなあ」と半分諦めていたのでした。ところが数日後、「アポとれました! しかも『茶の本』にとても思い入れがあるそうですよ」との報告が届き、正直色めきたちました(笑)。

世界の隈研吾が「茶の本」を語る! 岡倉天心の思想が現代に生きていることを示す事例としてこれ以上タイムリーなことはないなあと興奮しつつ収録日を迎えました。まさにその期待通りの天心論を展開してくださった隈さん。第四回まで番組をみていただいた皆さんも、同じような感想をもってくださっているのではないでしょうか?

番組では全てご紹介しきれなかった、「茶の本」と隈研吾さんが通じ合う部分について、ちょっとだけご紹介しましょう。

○建築における「孔」=岡倉天心が論じる「虚」
隈さんは、「ぼくは建築自体を作るよりも、むしろ『孔』を作りたいのかもしれない」と、著書の中で書いています。番組でもご紹介した「那珂川町馬頭広重美術館」をみてもわかるとおり、隈さんの建築には、真ん中にぽかーんと「孔」があいていることが多い。で、建築の向こう側に美しい風景が借景のように見えて、周囲の自然と見事に調和している。 取材の際に、隈さんは、建築の中に「孔」を設けることで、人と人や、異なるもの同士をつなぐ「通路」を作り出したいんだ、ということをおっしゃっていました。これは、まさに天心のいう「虚」の思想の応用ではないか? 建築の中に「虚」を設けることで、無限の可能性を呼び込む。そこに人の流れを呼び込んだり、四季折々の風景をとりこみ大自然と調和した美を生み出したり……。まさに「茶の本」の見事な応用だと感じました。

○コンクリートではなく「積み木」=かりそめの家としての茶室
「コンクリートはとりかえしがつかない素材だ」と、やはり隈さんは著書の中で書いています。コンクリートは、一度できてしまったら周囲を支配してしまうような威容をつくってしまいます。隈さんはそのことを「全体主義的」と表現します。ところが「木」は、気に入らなかったらすぐ壊せ、また元に戻せる。とても「デモクラティック」な素材だといいます。
隈さんは、幼い頃、「積み木」が大好きで、何かを積み上げては壊す遊びに飽きることなく興じていました。そのことが、「木」という素材の面白さに気づく原点だったのではないかと語っていました。
これは、まさに天心のいう「かりそめの家としての茶室」の思想と相通じると感じました。「茶室」は後世に長々と残すものではなく、そのときの茶人の好みに合わせて、その場限りでしつらえるのが理想だと、天心はいいました。それが「数寄家」に「好き家」という言葉が当てられる理由だと。変転極まりない「移ろい」にこそ美を求める日本の美意識がここにあります。隈さんの発想の原点はここにもありそうです。

「条件をいったん全て受け入れるところから、新しいものが生まれる」

失われた10年といわれる90年代、地方で伝統の技を守り続ける職人達と仕事を続ける中で、隈さんがみつけた「負ける建築」というコンセプトを一言で言い表すとこういえるでしょうか? 近代建築に代表される、周囲を威圧するような「勝つ建築」ではなく、変化してやまない状況やあらゆる条件をしなやかに受け入れる「負ける建築」。ここには、岡倉天心が「茶の本」に描いた精神が生き生きと息づいているような気がします。

ともすると、「強いこと」「勝つこと」が強調されることが多い現代の日本にあって、岡倉天心が放つメッセージは、今こそ、より輝きを増し始めていると思えてなりません。

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