もどる→

もっと「ファーブル昆虫記」

これらの生き物は、かわるがわる盗る者、盗られる者となり、食う者、食われる者となる。それは種の保存のために自然が課す、宿命的で情け容赦のない闘いなのである。それぞれの寄生者がその目的を達するために用いる手段にはまったく感心するしかないけれど、その賛嘆の念に、一抹の苦痛にも似た感情が混じるのを禁じ得ない。
(第2巻16章)

死は終わりではない、より高貴な生への入り口である
(アンリ・ファーブルの墓碑銘より)

「ファーブル昆虫記」は昆虫観察の書としても読めるが、人生論や哲学としても読める。今回この本を読み直して思ったことはそのことです。上記の二つの言葉は、そんな一面を凝縮した言葉だと思います。
いろいろな解釈が可能な言葉で、みなさんもそれぞれに受け止め方は違うと思いますが、私は、自然界というものが、過酷でありながらも、どんなに小さな生き物もそれぞれが大切な役割を担い、全てがつながりあい循環しあう一つの大きな「いのち」なのだ、という世界観を示しているように思われてなりません。
人間もそのピースの一つだと自覚するとき、人はいったいどう生きるべきなのか? そう問いかけられているようにも思えます。
ファーブルの生涯は、いわば昆虫への知的好奇心に突き動かされた一生といってもよいと思いますが、自分の一番大好きなことをつきつめた結果、一つの世界観、人生観にまでたどり着きました。 そんなファーブルの珠玉の言葉に学びたいと思います。

ページ先頭へ