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名著、げすとこらむ。

◯『遠野物語』ゲスト講師 石井正己
「古くて新しい物語の世界へ」

東北地方の一角、遠野の山あいにある土淵村(現在の岩手県遠野市土淵町)で生まれ育った佐々木喜善(一八八六~一九三三)は、小説家になることを夢見て上京し、柳田国男(一八七五~一九六二)と知り合いました。
佐々木は故郷に伝わる神や妖怪の話、家々の伝承などの豊かな語り手でした。やがて独自の民俗学を切り拓いていくことになる柳田国男が、佐々木の語った不思議な話を聞いて、研ぎ澄まされた文章にまとめたもの──それが、明治四十三年(一九一〇)に初版が発刊された『遠野物語』です。
この作品には、山の神、里の神、家の神をはじめ、天狗、山男、山女、河童、幽霊、まぼろし、狼、熊、狐、鳥などの現れる短い話が、百十九話収められています。
岩手県の中央部に位置する遠野は、北上山地の中南部、周囲を山々に囲まれた盆地にあります。北に標高一九一七メートルの早池峰山、東に一二九三メートルの六角牛山、西に一〇三八メートルの石上山という遠野三山に囲まれており、盆地底は標高二五〇メートルあまりですが、気候の厳しい寒冷地です。現在の遠野市は、約八二六平方キロメートルの面積の地域に、三万人弱の人々が暮らしています。
遠野というと、辺陬の地というイメージがあるかもしれません。しかし、江戸時代には遠野南部氏一万石の城下町として栄え、内陸と海を結ぶ交易の中継地として賑わいました。内陸の花巻と沿岸の釜石からは、それぞれおよそ四〇キロメートルの距離にあります。
『遠野物語』の序文には、「遠野の城下は則ち煙花の街なり」と書かれています。「煙花の街」とは華やかに賑わう街という意味ですから、明治の終わりになっても、一万石の城下町の余韻が残っていたのです。
改めて考えてみれば、『遠野物語』にあるような話が数多く残ったのは、遠野がたんに山深い場所だったからではなく、城下町の文化力が影響したからに違いありません。山村と城下町が間近にあるという環境だからこそ、古くて新しい話が伝わってきたのでしょう。
やがて、大正四年(一九一五)、花巻─ 仙人峠間に岩手軽便鉄道が開通し、さらに昭和二十五年(一九五〇)の釜石線全通によって、しだいに町から人と物の集散地としての機能は失われていきました。
岩手国体が開催された昭和四十五年(一九七〇)は、『遠野物語』の発刊からちょうど六十年目にあたり、その頃から遠野はこの物語を観光資源とした町づくりを進めて、「民話のふるさと」として知られるようになります。特に曲がり家の囲炉裏端で語り部のお婆さんが昔話を語る様子は、テレビでも繰り返し放送され、遠野といえば昔話の土地というイメージがすっかり定着したように思われます。
しかし、『遠野物語』には、実はそうした観光の場には出てこない「負の遺産」とでもいうべき陰の部分があります。それは例えば、「子殺し」や「親殺し」といった、いささかおどろおどろしい事件なのですが、私はこういう「負の遺産」にも、人間のもつ普遍的な問題を考えるうえで、とても大きな価値があると思っています。
明治二十九年(一八九六)の三陸大津波の話もここには出てきますが、特に東日本大震災以降のいま、この国のあり方を考え、また家族や故郷といったものを考えていくひとつの大きな原点として、改めてこの作品を位置づけたいと思うのです。昔の人がいろいろと思い悩みながら生きてきた「負の遺産」を読み解くことによって、決して上っ面だけでは処理できない、人間の心の奥底にある問題を、より深く探ることができるのではないでしょうか。
『遠野物語』の初版刊行から、一世紀と少し経ちました。自然について、神様について、人間の生死について、あるいは社会のありようについて、かつての日本人が何を感じ、どのように考えて生きていたかを知ることは、たんに昔を懐かしむだけではなく、現代の私たちが未来の生き方を豊かに考えていくための、大切なよすがともなり得るはずです。

石井正己
(いしい・まさみ)
東京学芸大学教授

プロフィール 1958年東京都生まれ。東京学芸大学教育学部卒業、同大学院修士課程修了。同大学講師、助教授を経て現職。専門は日本文学、口承文芸学。一橋大学大学院連携教授、柳田國男・松岡家記念館顧問を兼務。著書に『遠野物語の誕生』(ちくま学芸文庫)、『『遠野物語』を読み解く』(平凡社新書)、『『遠野物語』へのご招待』(三弥井書店)、『いま、柳田国男を読む』『図説 遠野物語の世界』(ともに河出書房新社)、『桃太郎はニートだった!』(講談社+α新書)、『文豪たちの関東大震災体験記』(小学館101新書)などがある。

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