近代歌人たちは熱い思いをこめて、万葉集の研究・鑑賞にとりくみました。万葉集の作品全体にわたる注釈書を書き上げた近代歌人が三人もいます。『万葉集評釈』の窪田空穂、『評釈万葉集』の佐佐木信綱、『万葉集私注』の土屋文明。万葉集は何しろ四千五百余首からなる大部な歌集ですから、単独で全部の歌の注釈を完成させるのは大事業です。近代にそれをなしとげた人は十人ほどしかいません。そのうち三人が歌人だった事実に、私は注目します。この三人のほかにも、斎藤茂吉は全五冊の大著『柿本人麿』を著し、かつてのベストセラー『万葉秀歌』を出版しています。さらに、島木赤彦『万葉集の鑑賞及び其批評』、尾山篤二郎『大伴家持の研究』など、近代歌人によって書かれた万葉集に関する本はたくさんあります。
彼らは万葉集歌を批評するときにいくつかのキーワードを用いています。代表的ないくつかを紹介しておきましょう。「実用性」「文芸性」「気分」(窪田空穂)、「おのがじし(各自それぞれ)」(佐佐木信綱)、「全身的」「混沌」(斎藤茂吉)。
ここでは、彼らがこうした批評語によって、万葉集の歌のどこに注目していたのか、どういう角度で万葉集の歌を見ていたか、を考えておきたいと思います。
多くの近代歌人たちが万葉集の研究・鑑賞をするにいたったのは、『校本万葉集』完成によって万葉集のテキストが整備され、手に入れやすい良質のテキストが出回ったことが大きな理由の一つでした。『校本万葉集』とは何か。万葉集の原本はむろんありません。平安朝以後に書写された断簡、鎌倉時代以後の写本を集め、校合して、まぼろしの原本に近いテキストを作る。大正前半の時点で全国から集めえた百三十五部(抄本・断簡を含む)のすべてを校合したのが『校本万葉集』です。佐佐木信綱、橋本進吉ら五名が十余年の歳月をかけた労作で、完成は大正十三年(一九二四)でした。そこで、昭和になって岩波文庫をはじめ信頼性の高いテキストが出るようになったのです。
良質の万葉集のテキストが手軽に手に入るようになったことが、万葉集研究の隆盛につながっていたことはたしかですが、それだけではなかった。近代の歌人たちは、万葉集の研究・鑑賞をとおして、日本の詩の根本的な問題、さらには自身の作歌の要諦にかかわる問題を考えたかったのだと思います。それをさぐる糸口として、私は次の三点を考えています。
<1>万葉集時代に短歌形式が定着し、一挙に普及した。<2>万葉集の時代百三十年の間に、歌は「集団の声」から「個の声」に徐々に移行した。<3>一回限りの時間という新たに獲得された意識が、万葉集の歌の抒情の基盤を形成した。この三点それぞれについて、考えてゆきましょう。
<1>古事記・日本書紀に挿入されている歌謡には、不定形の歌がかなりあるのですが、万葉集になるとほぼ短歌と長歌に集約されます(旋頭歌体六十二首、仏足石歌体一首と、わずかな例外はあります)。短歌形式が普遍化しはじめた始発期の歌は、これは②とかかわってくるわけですが、「集団の歌」つまり複数の声を抱き込んでいた。たとえば村落共同体の全員が一つの歌を共有するケースがそれです。そうした歌には、個人の歌には見られない「混沌」がある。茂吉はここに注目しました。現代詩歌に欠けている「集団の声」を問題にした大岡信さんの「宴と孤心」を思い出す読者もおられるでしょう。
<2>いま記したように、初期の万葉歌には「集団の声」が聞こえるのですが、それが次第に洗練されて「個の声」に変わってゆく。この背景に、窪田空穂は「実用性」の歌から「文芸性」の歌へ、という文脈を読みます。そして彼は、「個の声」に「気分」という刻々変化してやまない、デリケートな、他者と共有できない感覚の作品化を見ます。「気分」は近代短歌の核をなす一つでした。
<3>古墳の時代から火葬の時代へ移行し、彼岸と此岸が断絶します。編年体の歴史書が作られて、干支や四季のように循環する時間ではない一方に進行する時間の観念が獲得されます。一回限りの今、くり返しのきかない生。そこに個の抒情が芽生えます。茂吉は「全力的」な生と表現を読みます。佐佐木信綱は、個人が「おのがじし」を生き、感じ、思い、表現しはじめることに注目します。たとえば雲も、おのがじしの目でとらえられ、おのがじしの言葉で表現されます。
「……色では白雲、青雲、時では朝雲、形では横雲、布雲、豊旗雲、浪雲、その状態については、立つ雲、ゐる雲、飛ぶ雲、いさよふ雲、行く雲、たなびく雲、かかる雲、延ふ雲、横切る雲……」(「万葉集の雲」)。信綱は特に「豊旗雲」「布雲」「浪雲」の独特さを論じています。これほどバラエティに富んだ雲のありようは、万葉集だけのものです。後の勅撰集の雲は、自分独自の目や言葉ではなく固定化された角度で見られ、和歌的世界に染まった用語で表現されるようになってゆくのです。
佐佐木幸綱
(ささき・ゆきつな)
歌人・早稲田大学名誉教授
1938年東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒業、同大学院修士課程修了。1966年河出書房新社入社、「文藝」編集長を経て同社を退職。1984年より早稲田大学政治経済学部助教授、1987年より2009年まで同教授、2009年より同名誉教授。1974年より歌誌「心の花」編集長、2011年より同主宰。2002年紫綬褒章受章。歌集に『群黎』(第15回現代歌人協会賞)、『瀧の時間』(第28回迢空賞)、『ムーンウォーク』(第63回読売文学賞)などが、著書に『万葉集の〈われ〉』(角川選書)、『柿本人麻呂ノート』(青土社)などがある。