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もっと「フロム」

※今回は「愛するということ」の著者、
エーリッヒ・フロムの半生を紹介します。

エーリッヒ・フロムは、1900年にドイツのフランクフルトで、ユダヤ人夫婦の一人息子として生まれました。先祖代々ラビ(ユダヤ教における宗教的指導者・律法学者)の家系で、曽祖父も祖父も著名なラビ。フロムの父親もラビとして生きることを望んでいたものの、願いが叶わず、不本意ながらも生活のために小さな果実酒店を営んでいました。フロムは祖父の影響で、幼い頃からタルムード学者(ユダヤの教えの研究者)に憧れを抱くようになり、13歳の時からラビのもとで、タルムード学者になるための本格的な勉強をスタートします。

  ちょうどその頃(1914年)、第一次世界大戦が勃発します。この戦いは当時のドイツの人々にとっては衝撃的な出来事でした。他国と陸続きにあるヨーロッパでは、それまでも領土を巡る紛争が頻繁に起こってはいましたが、以前の戦争と第一次世界大戦はまったく違っていました。それまでの戦争は局地戦が主で一般市民が被害にあうことはほとんどなかったのに、この戦いはまたたくまにヨーロッパ全土に広がり、軍人だけでなく民衆をも巻き込んだ、まさしく全面戦争へと発展していったのです。
 第一次世界大戦によって、古き良きヨーロッパの伝統文化はもとより、人々がそれまで信じ、守り続けていたものすべてが音を立てて崩れていきました。当時の人たちにとっては文明の終わり、いや世界の終わりと言ってもいいほどの出来事だったはずです。まだ十代の若者だったフロムにとっても、この戦いは価値観がひっくり返されるほどの大きな意味を持っていたようです。

  第一次世界大戦が終焉を迎えた年、フロムはフランクフルト大学で法律を専攻していましたが、「法律には自分の望んでいる学びはない」と考えて1年で大学を自主退学。その後はハイデルベルク大学で社会学、心理学、哲学を学びはじめます。おそらく彼は戦争を体験したのをきっかけに、より広い視野から社会のあり方や人間の行動を研究してみたくなったのでしょう。

  その後のフロムは、大学でさまざまな分野の学問を学ぶとともに、ユダヤ人コミュニティにも積極的に参加し、多くの知識人との交流を深めていきます。そんな中でフロイトの精神分析学と出会った彼は、人間の心理に強い興味を抱くようになり、やがては精神分析学の研究に没頭するようになります。

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