「100分de名著」100シリーズ記念対談
「名著を100冊読んだら人生変わっちゃうかも?」
   伊集院光さん × プロデューサーA

8月放送のエンデ「モモ」のシリーズで、2011年にスタートした「100分de名著」がついに100シリーズ目を迎えました。そこで、歴代もっとも長く司会を務めた伊集院光さんと同じく歴代もっとも長くプロデューサーを務めたAが、裏話を交えながら100シリーズを振り返り、外からでは見えにくかった、番組の魅力の源に迫る対談を企画しました。前後編でお送りします。ぜひご一読ください。(構成:仲藤里美)
※写真は、対談開始前の約1分間ほどの時間で撮影したもので、対談本編は、ソーシャルディスタンス、換気、消毒などに十分な配慮をして行いました。

  • 前編
  • 後編

現実が変わって、本のジャンルが変わってしまった

伊集院
今年の4月には、2018年6月にやったカミュの『ペスト』が再放送されましたが、あれも見返していてゾッとしました。もちろんコロナ禍との類似性に震えたわけですが、それよりも、最初の放送からたかだか2年で、この本の「読み方」がまったく違ってしまっていることに驚いたんです。
2年前、講師の中条省平先生が最初に、「この小説は『ゴジラ』などと同じジャンル、一種のパニック小説として読むと読みやすいですよ」とアドバイスしてくれました。ペストや伝染病に関しての実感はなくても、平穏な世の中を突然ゴジラのようなパニックが襲ったらどうなるんだ、というところに着目して読めばいい、と。たしかに僕も、そのアプローチから入ることで、物語がすっと頭に入ってきたんです。
プロデュ
ーサーA
(以下A)
ペストや伝染病といってもみんなピンと来ないだろうし、そこにフォーカスしてしまうと普遍性がなくなってしまうから、むしろ「伝染病のような不条理なことが起こったときに人間はどう動くか」という不条理小説として解釈しようというのが、番組としての意図でした。
伊集院
ところが今回見返すと、僕にとって非常に大切だったその最初の解説が、もはやいらなくなっている。「何も説明しなくてもみんな分かるよね」という、ものすごく身近な世界を描いた小説として読めてしまったんです。現実のほうが変化することで、本のジャンルそのものが変わってしまったんですよね。
「身近に感じてもらおう」と考慮して提示した解釈が、この2年でまったく不要になってしまった。ある意味で稀有な「名著」体験だと思います。
伊集院
すごい逆転現象だな、と思いました。それだけ普遍的なことが書かれている本だともいえるし、逆にそれだけとんでもないことが今、起きてるんだとも言えると思います。

『野生の思考』と古典落語

伊集院
あと、先にAさんが触れられていた『野生の思考』(2016年12月)も、僕にとってもすごく印象深い本です。
見ていて、伊集院さんがノリノリなのがよく分かりました。講師の中沢新一さんもすごく熱を入れて話してくれましたよね。
特にすごかったのが、北米先住民族のある小さな部族に伝わる「鷹狩り」の話。月経中の女性を囮に使う儀式があって、それだけ聞いたら「なんでそんなことするんだ」という感じなんだけど、実は月経中の女性がいないと狩りに行けないから、狩りの周期が空いて「鷹を獲りすぎない」ことにつながるんですよね。さらには、それによって女性が社会の中で役割を果たすことにもなっているんだ、という話でした。
伊集院
食物連鎖のトップ近くにいる鷹を獲りすぎると自然のバランス全体が狂ってしまう。彼らはそれを知っていたわけではないけれど、わざわざ面倒な方法で鷹狩りをすることで、結果的に自然界のバランスを保っていたわけですよね。
彼らのような小さな部族は、これまでの歴史の中でいやっていうほど現れては消えていったわけで、その中で彼らが生き残ってきたことには、絶対に何か理由がある。中沢さんが「スーパーコンピューターによるシミュレーションをゆっくり何億年がかりでやってきたのと同じ」だと説明してくれましたけど、僕らからすれば奇妙に見える風習であっても、単なるオカルトとして片付けるべきではない、「残ってきた」こと自体がすごいのであって、その結果に対しては尊重すべきじゃないか、という話には、すごく納得がいきました。
というのは、話を聞きながら、僕がかつてやっていた古典落語のことが思い浮かんだんです。古典落語もまた「昔から残ってきた」ものですよね。で、どれも面白いんですけど、実はその陰には、その落語が「新作」だった時代に消えていったもの、面白くないからって語り継がれなかったものがたくさんあるはずなんですよね。
途中で淘汰されていった作品があるわけですね。
伊集院
途中で流行り廃りがあったりしながら、「これ面白くないよね」「こっちは面白いね」って選ばれてきたものだけが江戸時代から今に至るまで残り続けている。そりゃ面白いに決まってるよね、と。落語の存在っていうのは、相変わらず自分の中ででかいなあと思った回でもありました。

ピノッキオは「悪童」だった!

伊集院
それから、最近のものですごく好きだったのが『ピノッキオの冒険』(2020年4月)ですね。
イタリア文学者の和田忠彦さんに解説いただきましたが、ディズニーの映画で知られているのとはまったく違うというところが面白かったですね。映画だとピノッキオはどこか憎めない、愛らしいキャラクターで、「嘘をつく悪い子がよい子に生まれ変わるお話」というイメージですが、原作のピノッキオは愛らしいどころではない筋金入りの悪童。「嘘をつくと鼻が伸びる」という設定も、「嘘をつく」ことをそれほど強く戒めているわけではない……というお話でした。
伊集院
そうなんです。ディズニーの映画版はずいぶんとデオドラントされてるんだな、と思って。まあ、それでも名作なんですが。
作者のカルロ・コッローディの人生を追った回も最高でした。才能はめちゃくちゃある人なんだけど、『ピノッキオ』は本人が書きたかったわけではなく、借金を返すためにだけ書いていたお話だった。だから、借金を返し終わるともう連載をやめたいというので、「はい、ピノキオは死にました」と、無理矢理最終回にしちゃう(笑)。
だけど、作品にはすごく魅力があったので、全国の子どもたちから「続けてくれ」という嘆願書が来て、「しょうがないから書くか」となるんですよね。
伊集院
また適当に「ピノッキオは魔法で生き返りました」なんて書いて。
でもそれが、結果的にすごく面白い。「人間になれてよかったね」という単純な話にはなっていなくて、人形だった時代のピノッキオ、いたずらや悪行の限りを尽くしたはちゃめちゃな生き方をも温かく肯定しているというところがすごいんです。
伊集院
あの面白さは、ものすごい才能のある人が、行き当たりばったりで書いたものの面白さなんだと思います。

天才が「力業」で描いた物語の面白さ

伊集院
そう考えたときに思い浮かぶのが「昭和の漫画」です。僕は最近の漫画も好きですけど、今の漫画は編集者がしっかりペース配分していたり、たくさんのアシスタントと一緒に作っていたりするから、あまりめちゃくちゃなことにはなりません。昔はそうじゃなくて、作者が極限まで追いつめられながら描いているから、途中で物語が破綻しまくることもよくあった。でも、才能のある人はそこから力業でつじつまを合わせてきて、結果として最初から計算したんじゃ絶対描けないとんでもない漫画になるということがよくあったんです。
『あしたのジョー』の話を聞いてびっくりしました。主人公の矢吹丈と、ライバルになる力石徹が刑務所の中で初めて会うシーンがあるんだけど、実は二人の体格差が大きすぎて、ボクシングじゃ階級違うから戦えないじゃん、ということになっていたという……。
伊集院
そう。原作者の梶原一騎さんは格闘技が大好きなんだけど、作画のちばてつやさんはボクシングを全然知らなくて。文字で原作を読んで、「これだけ強い奴ならデカいんだろう」って思って力石すごくデカく描き、ジョーのほうは「チンピラなんだから小っさいだろう」って小柄に描いちゃった。雑誌に掲載された第1回を見て、梶原さんたちが「これじゃライバルにならないよ!」って焦ったんだけど、そこから生まれたのが力石がジョーと闘うために、過酷な減量に挑む話だったんだそうです。
あれがなかったら、『あしたのジョー』はあそこまで感動的な物語にならなかったですよね。
伊集院
同じようなことを、僕は『ピノッキオ』にも感じました。
天才は、ある種のつじつま合わせの中でものすごい感動的な物語を生んでしまうことがある……。その典型ともいえる話でしたね。
伊集院
それとつながるのかもしれませんが、すごく人間観察力の優れている著者が、登場人物を生き生きと描くと、結果としてそれが最新の心理学のセオリーと一致している、という話も何度か出てきましたよね。『フランケンシュタイン』(2015年2月)なんかでもそんな話になったと思います。
ジェイン・オースティンの『高慢と偏見』(2017年7月)などもそうでしたね。イギリスを舞台に、5人姉妹の「婚活」を描いた恋愛物語なんですが、講師に出ていただいた英文学者の廣野由美子さんによると、登場人物が繰り広げる心理劇が、すべて現代の最新の心理学で分析できてしまうという。
伊集院
バラエティ番組だったら「著者は現代の心理学を知っていた」「予言の書だ!」みたいな取り上げ方をするのかもしれないけど、やっぱりそれはミスリードなんですよ。心理学を知っているわけではなくても、徹底的に人間を観察しているから、物語の中に完璧に「人間」が封じ込められている。だから「こういう場面では、人はこう行動するだろう」ということが非常にリアルに描かれていて、最先端の心理学とも矛盾がないということなんですよね。
過去に書かれた内容が、最新の科学理論にもつながってしまう。それだけ作家の洞察力が優れているということで、これもまた「名著」の醍醐味だなと思います。

「名著」の基準とは?

伊集院
こうやって話してくると、「名著」の力というものを改めて感じるんですが、番組で取り上げる本はいつも、どうやって選んでいるんですか。
まず考えるのはジャンルのバランスですね。視聴率がいいのは哲学や宗教系の本なのですが、それだけに偏っても単調になってしまうので、やっぱり文学作品もやりたいし、時には『モモ』や『ピノッキオの冒険』のような児童文学も取り入れたい。そういうふうに、ある程度はバランスを考えるようにしてしています。
ただ、一番強く意識しているのは、「今起こっている問題とどうリンクしているか」という点ですね。いい本に書かれていることってやっぱり普遍的で、時代が変わっても必ず何らかの現実を照らし出してくれるし、今私たちが直面している問題について、少し違う見方を提示してくれると思うんです。その意味では、唯一の基準は「現代を読む教科書」になっているかどうか、かもしれません。そこの視点がぶれなければ、自然とバランスは取れてくると考えています。
伊集院
これまで取り上げてきたものの多くは「古典」といわれる本ですけど、何百年前のものもあれば、比較的最近の本もいくつか出てきましたよね。新しいものと古いもののバランスについてはどう考えてますか。
新しいものをどのくらい入れるかというのは本当に迷うところで、常に試行錯誤しています。現役で活躍されている作家の作品で取り上げたのは、石牟礼道子さん(2018年に死去)の『苦海浄土』(2016年9月)、大江健三郎さんの『燃えあがる緑の木』(2019年9月)ですが、この二作も「今の時点で本当に名著と言っていいのか」という議論はすごくありました。
でも、これだけ多くの人の心を動かしてきた作品を、ただ「新しいから」という理由で切り捨ててしまっていいのか。たとえば100年後に文学全集が編まれるとしたら、どちらも確実に入っているんじゃないか。そう考えた末に、取り上げることに決めたんです。
特に『苦海浄土』は、伊集院さんもすごく力を入れて取り組んでくださって、収録が終わるとへとへとになっておられたのをよく覚えているんですが、まさに現代の問題とリンクした内容になりましたよね。本に書かれているのは水俣病のことなんだけど、放送の3年前に起こった原発事故の話と見事に重なっていて。「今起こっていることが、まさにここに書かれている」という話がとても腑に落ちました。結果として、すごい回になったと思っています。
伊集院
劇作家の平田オリザさんが、自分で書く劇に登場させる固有名詞は、今後30年は使われ続けるだろうと自分が思ったものだけだ、という話をしていました。たとえば、登場人物がテレビを見ながら野球の話をしている場面で、「イチロー」という名前を出すかどうか。イチローという選手が、すぐに消えていくことはなくて、引退しても30年はその名前がもつだろう、と思えなかったら、絶対に使わないんだそうです。名著の判断基準にも、似たところがありそうですね。
やっぱり、10年後、20年後に残っているかどうかというのは考えますね。現時点ですごいベストセラーになっている本が、後で必ず「名著」になるかというと、そうでもないんです。たとえば、『ノートルダム=ド・パリ』(2018年2月)を書いたヴィクトル・ユゴーがまだ若い時代には、もっと売れた作家が他にいたんですが、そちらは今に残っていなかったりする。その意味では、私たちの目も試されていると感じますね。

番組だけで終わらず、原典を読んでほしい

伊集院
100シリーズ続いてきたこの番組ですけど、実はその100作目の『モモ』のときに、「そもそもこの番組の『100分de名著』という考え方がどうなんだ」という話をしたんですよ。
『モモ』が言っていることとは正反対じゃないか、ということですよね(笑)。
伊集院
そうなんです。『モモ』では、効率ばかりを追うのではなく、ゆっくり、じっくりやる豊かさこそが大切なんだということが語られている。それなのに、「名著をじっくり読まなくても、100分で理解できます」というのはどうなんだろう、と思ったんですね。
ただ、僕はこの番組をいつも、「解説を聞いて分かったから終わり」ではなく、それをきっかけに原典を読んでもらえるような番組にしたいと思ってやってるんですよ。そこのところはちゃんと伝わるといいな、と思っています。
講師の皆さんも、「これをきっかけに原典を読んでほしい」とおっしゃいますよね。
正直なところ、番組では時間の関係で詳しく解説できない部分もたくさんあります。たとえば先ほど話に出た『ペスト』にも、すごく魅力的なサブキャラクターがたくさん出てくるのですが、彼らが最後どうなったかについては、ほとんど番組の中に入れられなかった。それがすごく残念だったのですが、番組をきっかけに原典を読んだという知人が「いやあAさん、読んでよかったよ。あのキャラクターがいいね」と言ってきてくれて。そうやって原典にあたってくれれば、番組では描ききれなかった面白さにも気づいてもらえると思うんですね。
伊集院
あと、番組の性質上、小説であっても物語の最後まで解説するので、ネタバレを避けることはできないじゃないですか。
そうですね。「ネタバレじゃないか」という批判をお受けしたこともありますが、そう言っていた方が「いや、でも読んでみたら面白かったよ」とおっしゃることもあって。
伊集院
そうなんですよ。以前に「松本清張スペシャル」(2018年3月)をやりましたけど、あれなんて推理小説のトリックやラストまで解説してるのに、その後でを読んでもすごく面白いんですよね。
読書好きな方って、同じ本を2回読んだりするでしょう。番組を見てから読むことで、それと同じような体験ができるのかもしれないと思います。もうストーリーは全部分かっていて、「ああ、この場面にはこういう意図があるんだ、この後はこうなっていくんだ」と考えながら読んでいくという読み方は、それはそれで悪くないですよね。
取り上げる本の中には、私が若いころに読んで影響を受けた本も多いのですが、今読み返してみると、当時感じたこととはまた全然違うことを感じたりするんですよね。読み手の年代によっても読み方が変わるというのも、この番組をやって初めて気づいたことの一つです。だからやっぱり、この対談を読んでくださった皆さんにも、ぜひ番組で終わらずに原典を読んでみていただきたいですね。

「見てます!」と言われることがものすごく多い

ちなみに、伊集院さんは今後「この本をやってみたい」という本はありますか。
伊集院
面白そうだなと思う本はいくつかありますが、基本的には「言われるまま」に読んでいきたいな、と思っています。
というのは、この番組って僕にとっても、ものすごいインプットの機会になっていて。ものの考え方もトークの幅も、この番組のおかげですごく広がったと思っています。知名度アップやギャランティでいえばもっと効率のいい番組はあるのかもしれませんが(笑)、それだけじゃないんですよね。その「インプット」に自分の好みを入れてしまうと、幅に限りが出てしまうと思うので、半ば強制的に「これを読め」と言われるのがありがたいんです。
あともう一つ、この番組が特殊だなあと思うのが、街で会った人とかラジオ番組のゲストに来てくれた人に「見てますよ」って言われることがものすごく多いこと。普通に考えれば、視聴率の高い番組ほど「見てます」って言われる率も高いはずなんですけど、それはまったく当てはまらなくて。「『100分de名著』で見てます」って言われることが圧倒的に多いんですよ。
芸能界の中でも、見てくれている人は多いですよね。ある舞台女優さんから、「『100分de名著』で朗読を担当するのが夢なんです」と言われたこともあります。
それで行くと、もうちょっと視聴率が伸びてもいいんじゃないかと思ったりもするのですが(笑)。それはともかく、伊集院さんにとってよき「インプット」の場である間はぜひ続けていただきたいです。
今回は、全ての関係者を代表して私が聞き手になりましたが、番組に関わるスタッフ、テキストに関わるスタッフ一人ひとりが強い思いをもって取り組んでくれています。その思いの結集が優れたコンテンツ作りにつながっていると思います。
これからも全力で番組作りをしていきたいと思っていますので、末永くお付き合いください。
伊集院
奇をてらわず、「見栄を張らない」「分からないことは分からないと言う」という初心を忘れずにやっていきたいですね。今後ともよろしくお願いします。
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