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名著、げすとこらむ。

◯「般若心経」ゲスト講師 佐々木閑
「日本で一番人気のお経」の新しい見方

多くの人が心に不安を抱えている時代です。震災の後遺症、長引く不況、高止まりのままの失業率、超高齢化の進行……。様々な理由から精神に不調をきたし、うつや引きこもりになる人もあとを絶ちません。そのような状況の中でいわゆる“心のよりどころ”を求める人たちの数も一層増えてきているように思います。そういう流れを受けて、仏教への関心も高まっているのですが、なかでもとりわけ人気の高いのが『般若心経』です。写経する人、音読する人、そして宙でそらんじることのできる人も大勢おられます。
仏教に親しもうと思っても、「坐禅」のような修行はそれなりの場所に行かないとできませんし、正しい指導も必要です。しかし『般若心経』でしたら、数分で読める短いものですから、どこにいても唱えることができますし、毛筆、あるいはペン字のお稽古帳のようなものを使って気軽に写経もできます。しかも、やってみるとこれがなかなかよいのです。思った以上に落ち着きます。精神安定にはかなり効果があると思われますので、多くの人の役に立っていることは間違いありません。
一年くらい前に、この「100分 de 名著」でブッダの『ダンマパダ(真理のことば)』を取り上げました。『ダンマパダ』は「世界の仏教国の中でもっともよく読まれているお経」です。これに対して今回取り上げる『般若心経』がどのような位置づけになるかというと、「日本でもっとも人気のあるお経」ということが言えるでしょう。もちろんお隣の韓国や中国でも人気はあるのですが、特に日本での人気はものすごいものだと思います。しかしその一方でタイやスリランカのような上座部仏教国(古い姿の仏教をそのまま守っている国々)では、人気がありません。人気がないどころかほとんど誰も知らないのです。世界に仏教国はたくさんあるのに、その中でもなぜ日本で人気があるのか、またお経は数えきれないほどたくさんあるのに、その中でもなぜ『般若心経』が一番人気なのか、その理由は、これからゆっくり述べていくつもりです。
実は、最初に告白しますが、今回この本の中で私は、そんなふうに日本人に愛されている『般若心経』のイメージをひっくり返してしまうかもしれません。もちろん貶めるつもりなどは全くないのですが、みなさんが抱いている理解と、私はたぶん違うことを言うと思います。
いま巷を見回すと『般若心経』の解説本が山のように出回っています。どれもイラストや図解をふんだんに使ってわかりやすく説明していて感心するのですが、何かしらしっくりこない、肝心なことに触れていないという思いが湧いてきます。そのもどかしさを解消して、たとえ今までのイメージとは違ったものではあっても、『般若心経』の本当の意味をお伝えしなければならないと思っているのです。
たとえば、「『般若心経』というお経は、誰の教えでしょうか?」と問えば、おそらく多くの方が「それは仏教なのだから、お釈迦様、つまりブッダの教えでしょう」とお答えになると思います。「『般若心経』こそが釈迦の教えのエッセンスである」などという言葉もよく聞きます。しかしそれは違います。『般若心経』の作者は、釈迦の死から五百年以上たって現れた「大乗仏教」という新しい宗教運動を信奉する人たちの中にいます。それがどういう人なのかは全くわかっていません。その大乗仏教という宗教運動には様々な流派があったのですが、そのうちの一派が、釈迦の教えを部分的に受け継ぎながらも、そこに全く別の解釈を加えて「般若経」と呼ばれる一連のお経を作りました。何百年もの間に、「般若経」という名のついたたくさんの新しいお経を作ったのです。そして『般若心経』は、そのたくさん作られた「般若経」の一つです。ですから、『般若心経』が述べていることは必ずしも釈迦の考えではありません。それはむしろ、「釈迦の時代の教えを否定することによって、釈迦を超えようとしている経典」なのです。
ついでに言えば、昨年私が解説した『ダンマパダ』もまた厳密には釈迦が自分で作ったものではなく、釈迦の死後、あとに残された弟子たちがまとめた「口伝」です。しかしそこには、釈迦の述べたことがかなり色濃く伝えられていると思われますし、なによりそこには、釈迦の考えを素直に延長していこうという思いが溢れていますから、「作者は釈迦である」といっても構いません。でも、『般若心経』はそうではないのです。
一見、ありがたみが失せるようなことを述べてしまいましたが、私が言いたいのは「『般若心経』は、釈迦自身の教えとは違う別の道をわれわれに教えている」という事実です。『般若心経』には『般若心経』独自の価値がある、ということを申し上げたいのです。
日本人の暮らしの中に『般若心経』はごく自然に溶け込んでいるようです。たとえて言えば、「お茶」のような存在ですね。もし日常生活から「お茶」が消えてしまったとして、それが命に関わるような大事件になるわけではありません。しかしそれでも私たちは、かけがえのない大切な暮らしの支えをなくしてしまったような気持ちになることでしょう。お茶が、知らぬうちに私たちの暮らしの一部になっているように、『般若心経』の教えも、それを実際に読んだことのない人たちに対してさえ、なにがしかの影響を与えていることは間違いありません。だからこそ今回は、その『般若心経』の意味を正しくお伝えしたいと思っているのです。
言うまでもなく、『般若心経』は、由緒正しいれっきとした経典です。作者はわかりませんが、インド語で作られた正真正銘の仏教聖典です。しかもそれを漢文に翻訳したのはみなさんもよくご存じの玄奘三蔵、そう、『西遊記』で有名なあの三蔵法師です。他にもいろいろな訳本があるのですが、日本でもっとも普通に読まれているのは玄奘訳です。素晴らしい名訳です。今回は、その玄奘訳を使って解説していくことにします。
ということで、私流の“新・般若心経講座”を始めることにいたします。みなさんに「知らなかった、面白い」と言っていただけるか、「知らないほうがよかった」と言ってお叱りを受けるか、それはわかりませんが、ともかく『般若心経』の本当のありがたさを理解するには、その真の姿を知らねばならないという信念で、テキストを書き、出演しました。みなさんのお役に立てば幸いです。

佐々木閑(ささき・しずか)
花園大学教授

プロフィール 1956年、福井県に生まれる。京都大学工学部工業化学科、および文学部哲学科仏教学専攻卒業。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。米国カリフォルニア大学バークレー校留学を経て、花園大学文学部国際禅学科教授。文学博士。専門は仏教哲学、古代インド仏教学、仏教史。日本印度学仏教学会賞、鈴木学術財団特別賞受賞。著書に『出家とはなにか』『インド仏教変移論』『犀の角たち』(以上、大蔵出版)、『日々是修行』(ちくま新書)、『「律」に学ぶ生き方の智慧』(新潮選書)、『NHK「100分 de 名著」ブックス ブッダ真理のことば』(NHK出版)など。共著に『生物学者と仏教学者七つの対論』(ウェッジ選書)。翻訳に鈴木大拙著『大乗仏教概論』(岩波書店)などがある。仏教的世界観を一般向けに解説する『仏教は宇宙をどう見たか—アビダルマ仏教の科学的世界観』(化学同人)を、2013年1月に出版予定。

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