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もっと方丈記

『無常という力 「方丈記」に学ぶ心の在り方』玄侑宗久(新潮社)より

この世はそもそも暮らしにくいものであり、人とその住む家がいかにはかなく、頼りないものであるかは、これまで述べてきた通りである。ましてや、環境や身分によって、心を悩ます種はじつに千差万別だから、数え上げようもないのである。
もしも自分が取るに足らない立場でありながら、権力者の家の隣りに住んでしまったら、仮にたいへん嬉しいことが起きたとしても、大喜びして騒ぐこともできない。深く悲しいことが起こっても、大声をあげて泣くわけにはいかない。いちいち気になって気持ちも落ち着かず、自らの一挙手一投足に神経をつかわざるをえないのは、まるで雀が鷹の巣の近くにいるようなものだ。
もしも自分が貧しくて、富んだ家の隣りに住んでしまったら、朝に夕に自らのみすぼらしさを恥じ、自宅にさえ卑屈に出入りすることになるだろう。妻子や召使が隣家を羨ましがる様子を見るにつけ、またその金持の横柄な態度を聞くにつけ、心は穏やかでいられず、休まることがない。もしも立て込んだ土地に住めば、近くで火事が起きた時、逃げられないし、辺鄙な土地に住めば、出かけるのにも不便だし盗賊に遭う危険だって多い。また、権勢を持つ者は貪欲だし、孤独に生きる者は軽んじられる。財産があると不安になるし、貧しければ恨みがましくなる。人に頼って生きると我が身さえ不自由になり、人を愛せば心がその思いに囚われる。世の流れに従えば窮屈だし、従わずにいると今度は狂人扱いされかねない。いったい、どこに住んで、どんなふうに暮らせば、ほんのしばらくでもこの身を落ち着かせ、せめてつかのま、この心を休ませることができるのだろうか?

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