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名著、げすとこらむ。

◯「方丈記」ゲスト講師 小林一彦
八百年目のツイート

『方丈記』は、国語の教科書などにもしばしば登場する、多くの方におなじみの古典です。とくにその書き出しは有名です。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみにうかぶうたかたはかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖と又かくのごとし。

流れる川の流れは絶え間ないが、しかし、その水はもとの水ではない。よどみの水面に浮かぶ泡は消えては生じて、そのままの姿で長くとどまっているというためしはない。世の中の人間と住まいも、これと同じなのだ─。読み手がぐっと惹きつけられる印象的な書き出しですが、ここだけ記憶にあって先を読んだ覚えがない、という方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。
『方丈記』の最大の不幸は、あまりに有名な冒頭のために読んだ気になってしまい、その先が読まれていないことだといってもよいでしょう。
「ゆく河の流れは絶えずして」という冒頭のとおり、この世にあるものはすべて移ろいます。『方丈記』といえば「無常観」といわれますが、読み進めると、そこにあるのは静かな無常観ではなく、はかない世のありようを説明するための「世の不思議」、つまり平安京を襲った五つの災厄が、まるでルポルタージュのように生き生きと、迫真の描写でつづられているのに驚かされます。
『方丈記』はいわゆる普通の随筆ではありません。しばしば「三大随筆」の一つといわれ、清少納言の『枕草子』、兼好法師の『徒然草』と並び称されますが、はたして『方丈記』は随筆といえるのでしょうか。というのも、随筆というのは筆の向くまま気の向くまま、思いついたことを縷々つづっていくものです。ゆえに、『徒然草』も『枕草子』も、一つ一つの章段はたいへん短く、全体としてはそれらがたくさん集まったスクラップブックのようになっています。話題は天気のこと、食べ物のこと、人間関係のこと、世間の噂などバラエティに富み、登場する人物も、恋人、友人、仕事仲間、歴史上の人物と多数にのぼります。
しかし、『方丈記』はそのような性質の書きものではありません。基本的に一つのテーマについて最初から最後まで書き通した一話完結の書です。一話ですから、ボリュームもありません。四百字詰めの原稿用紙に換算すれば、わずか二十枚と少しです。
その『方丈記』のテーマとは何かというと、「自分」です。自分の経験、自分の暮らし方、自分の人生観、自分の考え方、自分の感じたことなど、徹頭徹尾一人語りの形で自分について書いた「自分史」なのです。そこが『枕草子』や『徒然草』とは違います。
それは鴨長明の「つぶやき」、あるいは「ぼやき」でもあり、現代の私たちから見れば、まるでツイッター文学のようです。
こうした個人的な文章は、よほどの名著でないと後世に残ることはありません。昔は今のように出版社が商品化して売ってくれるわけではありませんし、宣伝してくれる人もいませんでした。読みたいという人が現れ、筆写してくれて(印刷技術のない時代ですので筆写で流布されます)、それによって世の中に伝わっていくのを期待するしかないのです。とくに長明の場合は、親族や有力政治家がバックアップしてくれたわけでもないので、「口コミ」がすべてということになりますが、その高いハードルを越えて生き残ったのですから、たいへん優れた作品だといえます。
長明は若き日から文学への志が高く、多くの歌を詠い、歌集も編みました。地下の芸術家集団では若い頃から頭角を現してはいたものの、中央の歌壇で脚光を浴びたのは老年になってからでした。しかしそれもほんの一瞬で、再び転落の人生が彼を待ち受けていました。後から見れば、そうしたどん底の人生が幸いしたように思います。『方丈記』につづられている生活スタイルは、長明が幾度となく挫折して辛酸をなめつくしたからこそ獲得されたものであり、また、長い人生の中で芸術的感性がしっかり養われ、文章的熟練も十二分に達せられていたからこそ、完成度の高い作品を書くことができたのではないでしょうか。
さらに、末世といわれた無常観ただよう時代だったことも読み手に受け入れられやすい背景としてありました。『方丈記』を執筆した建暦二年(一二一二)三月は、長明にとっては「書くなら今しかない」という最大のチャンスでした。こうした機会を逃さずものにしたのは、芸術家としての鋭い勘があったからでしょう。『方丈記』はもっとも書かれるにふさわしい時期に、書き手の最高のモチベーションと、最高の文学的習熟をもって誕生したのです。
興味深いことに、『方丈記』は、かつてない親近感をもって現代の人びとに読まれつつあるようです。長明の言葉は、今の時代にぴったりと添ったツイッターのような存在にとらえられるのかもしれません。そう見えるのは、現在の日本が、『方丈記』が執筆された当時に劣らぬ激変の時代にあり、多くの日本人が、先の見えない世の中でどう生きたらいいのかを探し求めているからでしょう。
今年二〇一二年は、くしくも『方丈記』が書かれてからちょうど八百年にあたります。これを機に長明をフォローする方が数多く出てきて、人びとの価値観が変わったら、日本の未来も変わるかもしれません。

小林一彦(こばやし・かずひこ)
京都産業大学文化学部教授

プロフィール 1960年栃木県生まれ。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院後期博士課程単位取得。洗足学園魚津短期大学を経て、現職。専攻は和歌文学・中世文学。和歌文学会常任委員、中世文学会委員、日本文学風土学会理事、方丈記800年委員会委員。教育・研究のかたわら、古典の魅力をわかりやすく伝える講演活動にも力を入れており、幅広い年代を対象に小学校の教室から大規模ホールまで、古典の語り部として各地を歩く。主な著書に『鴨長明と寂蓮』(日本歌人選049・笠間書院)、『歌論歌学集成 第7巻』(鴨長明「無名抄」担当、三弥井書店)、『続拾遺和歌集』(明治書院)などがある。

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