(登場人物) ニーナ/女優志望 18,9歳 トレープレフ(コンスタンチン)/作家志望 アルカージナの息子。25歳 トリゴーリン/有名作家 30代後半 アルカージナ/有名女優 43歳 ソーリン/アルカージナの兄 60歳 メドヴェジェンコ/教師 30歳すぎか。 マーシャ/管理人の娘 22歳 ドルン/医師 55歳 |
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〈第一幕〉 | |
メドヴェジェンコ | どうしていつも黒い服を? |
マーシャ | 人生の喪服なの。不幸だから。 |
メドヴェジェンコ | どうして?(考え込んで) わからないなあ・・・。きみは健康で、お父さんは大金持ちじゃないとしても、暮らしに困るわけでもない。ぼくのほうが、ずっと大変だ。月給はたったの23ルーブリで、その上年金の分がさっぴかれる。でも僕は喪服なんか着ないな。(二人は腰を下ろす) |
マーシャ | お金の問題じゃないの。貧乏だって幸せにはなれるわ。 |
メドヴェジェンコ | 理論的にはね。でも現実は違う。たとえばうちにはおふくろと妹が二人に、まだ小さい弟が一人。それなのに月給は23ルーブリぽっきり。飲んだり食べたりしないわけにはいかないでしょ?お茶と砂糖だって要るし。タバコだって。きりきり舞いだよ。 |
マーシャ | (仮説舞台の方を向いて)もうすぐお芝居が始まる。 |
メドヴェジェンコ | そう。演じるのはニーナさん。脚本を書いたのはコンスタンチン君。愛し合う二人の心が今日、解け合って、1つの芸術を作り出そうとしている。ところば、ぼくの心ときみの心にはまるで接点がない。好きでたまらなくて、切なくて家にじっとしていられなくて、毎日6キロも歩いてやってきて、又6キロ歩いて帰る。ところがそのご褒美は君の素っ気ない顔だけ。まあ、しょうがないかな。財産もないし、大家族だし・・・。食べるにも困るような男と、好きこのんで結婚する人なんか、いませんよね。 |
マーシャ | ばかばかしい(嗅ぎたばこをかぐ。)お気持ちは本当にうれしいけれど、ごめんなさい、なの。それだけのこと。(彼にタバコ入れを差し出す)いかが? |
メドヴェジェンコ | いや、けっこう。 |
〈第二幕〉 | |
アルカージナ | お兄さんは病気を治療しないでしょ、よくないわ。 |
ソーリン | 治療したいのはやまやまだが、このドクターがしてくれないのだよ。 |
ドルン | 六十歳で治療ですか! |
ソーリン | 六十歳になっても生きたい気持ちに代わりはないさ。 |
ドルン | (腹立たしそうに)なあるほど! それならカノコソウの水薬でも飲むといいでしょう。 |
アルカージナ | 温泉にでも行ったらいいと思うんだけれど。 |
ドルン | まあねえ。行ってもいいし、行かなくてもいいし。 |
アルカージナ | それじゃ、わからない。 |
ドルン | わかるも、わからないもありません。わかりきったことですよ。 |
〈第三幕〉 | |
ニーナ | お別れですね・・・・きっと、もうお会いすることはないでしょう。記念にこのロケットを受け取ってください。先生のイニシャルを彫ってもらったんです。こちら側には先生の御本のタイトル。「昼と夜」です。 |
トリゴーリン | これはお洒落だ!(ロケットに口づけをする)すばらしい贈り物です! |
ニーナ | 時々は思い出してくださいね、わたしのこと。 |
トリゴーリン | 思い出しますよ。あの晴れた日のあなたの姿をきっと思い出すでしょう。ほら、一週間まえ、明るい色のドレスを着ていた日の姿です・・・・あのときは、ベンチには死んだカモメも置いてありましたね。 |
ニーナ | (考え込んだように)そう、カモメ・・・・・・。 |
間 |
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ニーナ | お話はまた後で、誰か来ます・・・・出発の前に、ちょっとだけ時間をください、お願いです・・・・・(左手に去る。) |
〈第四幕〉 | |
ニーナ | アルカージナさん、こちらにいるんでしょ? |
トレープレフ | うん・・・。木曜日に伯父さんの具合が悪くなったので、電報を打って呼んだんだ。 |
ニーナ | どうして、わたしの歩いた地面に口づけをした、なんてことを言うの?わたしなんか、殺されても仕方ないのよ。(テーブルにもたれかかる。)疲れた!休みたい・・・休めたらいいのに!(頭を上げる) わたしはカモメ・・・。そうじゃない、わたしは女優、そういうこと! |
《中略》 |
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トレープレフ | (悲しげに)君は、自分の道を見付け、自分がどこに行こうとしているか知っている。でもぼくは相変わらず、混沌とした空想とイメージの中を駆け回っていて、それが何のために誰に必要なことかも分からない。僕は信じることが出来ないし、自分の天職が何かも分からない。 |
ニーナ | (聞き耳を立てて)しっ・・・・・もう行くわ。さようなら。わたしが大女優になったら見に来てね。 |
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | |
アルカージナ | 赤ワインとトリゴーリンさんのビールは、こちらのテーブルに。ゲームをしながら飲むんですからね。さあ、席について、皆さん。 |
《中略》 |
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舞台裏の右手から銃声。皆びくっと震える |
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アルカージナ | (ぎょっとして)何、あれ。 |
ドルン | なんでもありません。きっと、わたしの薬カバンで何かが破裂したんでしょう。ご心配なく。(右側のドアから退場。30秒ほどして戻ってくる)やっぱりそうでした。エーテルの瓶が破裂したんです。(口ずさむ)「わたしは再びあなたの前に立ち、魅惑され・・・・・」 |
アルカージナ | (テーブルに向かって腰をおろしながら)ああ、びっくりさせられた。あのときのことをつい思い出して・・・・・・・。(両手で顔を覆う)目の前が真っ暗になった。 |
ドルン | (雑誌のページをめくりながら、トリゴーリンに)二ヶ月ほど前、ここにある論文が載りましてね・・・・・アメリカからの手紙というんですがちょっとお聞きしたかったんですよ。ちなみに・・・・(トリゴーリンの腰に手をかけ、舞台前方に連れ出す)・・・・この問題には非常に関心があるものですから・・・・。(声を下げ、ひそひそと)アルカージナさんをどこかに連れ出してください。トレープレフ君がね、その、自殺したんです。 |
―幕― |