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名著、げすとこらむ。

◯「パンセ」ゲスト講師 鹿島 茂
誰が読んでも答えが見つかる万能書

平均的な日本人に向かって「パスカルについてどんなことを知っていますか?」と尋ねたら、『パンセ』の名を挙げて「人間は考える葦である」とか「もしクレオパトラの鼻が低かったら」と、暗記している断片を唱える人もいるでしょうし、また、物理で習った「パスカルの原理」やそれに由来するヘクトパスカルという気圧の単位を挙げる人もいるかもしれません。
わたしはこれだけでも日本人のパスカルに対する知識はたいしたものだと思います。
なにしろパスカル(本名ブレーズ・パスカル)は一六二三年に生まれ、一六六二年に三十九歳の若さで没した十七世紀フランスの数学者・物理学者・文学者ですから、二十一世紀の日本人にとってはいたって縁遠い存在のはずなのです。それが、名前と著作名を言えるばかりか、著作の断片を引用したりできるのは、パスカルが日本人にそれだけ親しまれてきた証拠といえます。
しかし、では、主著である『パンセ』を最後まで読み通した人がいるかということになると、これはまた別問題です。むしろ、そうした人は絶対的に少数派であると断言できます。興味をもって少しページをめくって「なるほど」と頷いた箇所もあるけれど、途中からキリスト教の話が多くなって通読は諦めたという人がほとんどではないでしょうか。
これには、充分な理由があるのです。
一つは、『パンセ』の正式なタイトルが『死後、書類の中から発見された、宗教およびその他の若干の主題に関するパスカル氏のパンセ(思索)』とされていることからも明らかなように、『パンセ』とはパスカルが生前に考えを巡らした草稿の中から遺族や編者が宗教や道徳、政治、言語などに関する文章を選び出して編纂した随想集だからです。つまり、パスカルが一気に書き上げた著作ではないので、最初から最後まで読み通すのは容易ではないのです。おまけに、未定稿として残されていたものなので、草稿と草稿を結ぶ「糸」の部分にはパスカルではなく編者の意思が強く反映されています。
理由はもう一つあります。それは『パンセ』が、無神論者や自由思想家に対してキリスト教の正しさを証明するために構想された「キリスト教護教論」の一部をなすものだということです。特に『パンセ』の後半は護教論の色彩が強く、キリスト教の教義に疎い日本人には理解が難しいのは事実です。
このように、『パンセ』は未定稿である上にキリスト教護教論という性格をもっていますので、通読するのはたしかに困難なのですが、しかし、だからといって読むのを初めから放棄してしまうにはあまりにももったいないと思います。もったいないどころか、大きな損失であるとさえいえます。
というのも、『パンセ』は、就職にさいしてどんな会社を選ぶべきか迷っている平凡な大学生にとっても、また深遠たる思想問題について長い間思索を巡らしてきた大哲学者にとっても、同じように役に立つ汎用性を備えた書物だからです。
では、そのような『パンセ』の性格はいったいどこに由来しているのでしょうか?
まことに逆説的なことですが、『パンセ』が死後出版の未定稿であることから来ています。いいかえると、パスカルの頭に浮かんだ思索が、さながら『枕草子』や『徒然草』のように、折々に書きとめた断想という形で並べられていることが、小さな悩みにも大きな疑問にも同じように対応できるフレキシビリティーの原因になっているのです。
ですから、もし、パスカルが長生きして、当初の構想のように、それぞれの断想を「キリスト教護教論」を構築するレンガとしてきっちりと建物にはめ込んでいたとしたら、たとえそこに生活の知恵がたくさん含まれていたとしても、読者は「考える葦」や「クレオパトラの鼻」のような含蓄のある言葉を見つけだすことはできなかったにちがいありません。
『パンセ』が断想集だったからこそ、「考える葦」も「クレオパトラの鼻」も人口に膾炙したのです。
それだけではありません。どうやら、最近の研究では、『パンセ』には「キリスト教護教論」が完成したあかつきには排除される可能性のあった人間的な要素が多分に含まれていたのですが、じつはそうした人間的な部分こそが『パンセ』の大きな魅力となっているのです。換言すれば「キリスト教護教論」としてでなく『パンセ』として草稿が残されたために、わたしたちは汲めどもつきせぬ大きな知恵の泉を手に入れることができたのです。
この講義では、こうした深遠にして身近な『パンセ』をできる限り具体的な例に当てはめながら読んでいきたいと思います。登場するのは、就職活動中の大学生やビジネスマン、あるいはワーキング・ウーマン、また定年退職した団塊世代の人たちなどの平均的日本人です。はたして彼ら彼女らに、『パンセ』はいかなる刺激を与え、生きる方向性を示唆することになるでしょうか?

鹿島 茂(かしま・しげる)
フランス文学者・
明治大学国際日本学部教授

プロフィール 1949年神奈川県横浜市生まれ。東京大学文学部仏文科卒業、同大学院人文科学研究科博士課程修了。共立女子大学教授を経て、2008年より明治大学国際日本学部教授。専門は19世紀フランス文学。91年『馬車が買いたい!』(白水社)でサントリー学芸賞、96年『子供より古書が大事と思いたい』(青土社)で講談社エッセイ賞、99年『愛書狂』(角川春樹事務所)でゲスナー賞、同年『職業別 パリ風俗』(白水社)で読売文学賞評論・伝記賞を受賞するなど著書多数。膨大な古書コレクションを利用し、東京西麻布に書斎スタジオ「NOEMA images STUDIO」を開設。

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