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名著、げすとこらむ。

◯「変身」ゲスト講師 川島隆
カフカを読むことは、自分を知ること

私がカフカの『変身』をはじめて読んだのは高校時代でした。学校の図書館に古い文庫本が入っているのを見つけて、何気なく手にとって読み始めました。一読して「これは私のことを書いているんじゃないか」と思ったのを、今でもはっきりと覚えています。
『変身』は、文庫本にしてわずか百ページあまりの小説です。これから四回にわたってこの作品を解説していきますが、みなさんはカフカや『変身』に対してどのような印象をお持ちでしょうか。「実存主義」や「不条理」「絶望」などといった言葉とともに語られることが多い作家ですから、なんとなく陰鬱なイメージを抱いている方が多いかもしれません。
今回取り上げる『変身』にしても、ある朝目を覚ますと自分が巨大な虫に変わっていたという、少々グロテスクな冒頭から物語は始まります。どちらかというと強く共感する人よりも、「意味がわからない」という声のほうが多く聞こえてきそうです。
後ほどご説明しますが、カフカという人は、物語から「意味」をごっそり欠落させたまま作品を書きつづけた、奇異な作家です。一読しただけでは共感できないという人が多いのは、そういったところにも原因がありそうです。研究者のあいだでも多種多様な解釈が存在し、これまでさまざまな観点から作品が読み解かれてきました。
ひとつ確実にいえることは、カフカ作品を読んだところで決して元気にはなれないし、ポジティブな気持ちにもなれない、ということでしょう。たとえ共感できたとしても、共感の先に安堵感や癒しを見いだすことができるのか—といえば、それも疑問です。少なくとも、生きる力を与えてくれるような本でない。その意味では、「イメージどおり」といっていいのかもしれません。『変身』にしても、しだいに居場所がなくなっていく主人公が、何の救いも見つけられない世界の中で、最後は孤独に死んでしまうという、どう捉えても前向きとはいいがたい内容です。
それにもかかわらず、カフカの作品はなぜ「名著」と呼ばれ、彼の死後約九十年が経った今も世界中で読み継がれているのでしょうか。
ひとつにはその作品が、私たちが今生きている社会の感覚と非常に近いということが挙げられます。「仕事が嫌いだ」「ずっと引きこもっていたい」「みんなが『あたりまえ』だということができない」「どこにも救いが見いだせない」……。現代を生きる私たちひとりひとりの悩みを、彼は代弁しているかのようです。
残念ながら、カフカはそれに対しての「解決策」を提示しているわけではありません。しかし、彼の出自やその時代背景を視野に入れながら『変身』を読んでいくと、カフカが何を考え、何に悩みながら生き、それを作品に落とし込んだのかが少しだけ見えてきます。そしてそれを知ることは、読者であるみなさんが、自分の今置かれている環境や状況を知る手がかりになるのではないか—私はそう思っているのです。
生前、カフカはこんなことをノートに綴っています。
「弱さに関してだけは、ぼくはぼくの時代のネガティブな側面をたっぷり受け継いだのだ。ぼくの時代は、ぼくに非常に近い。ぼくには時代に闘いを挑む権利はなく、ある程度は時代を代表する権利がある。(中略)ぼくは、キルケゴールがやったように、もう凋落しつつあるキリスト教の手に導かれて生命にたどり着いたわけではないし、シオニストたちのように、吹き飛ばされていくユダヤ教の祈祷用マントの裾にすがりついたのでもない。ぼくは終わりか、始まりだ」
 カフカの生涯と、『変身』という短い作品は、みなさんにとって「終わり」でしょうか、それとも「始まり」でしょうか。みなさんに自分自身の「今」という状況を考えていただくうえで、少しでもお役に立つことができれば幸いです。

川島隆(かわしま・たかし)
滋賀大学経済学部特任講師

プロフィール 1976年、京都府生まれ。京都大学大学院文学研究科博士後期課程修了、文学博士。専門はドイツ文学、ジェンダー論、メディア研究。著書に『カフカ の〈中国〉と同時代言説—黄禍・ユダヤ人・男性同盟』(彩流社)、『コミュニティメディアの未来—新しい声を伝える経路』(共編著、晃洋書房)がある。

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