名著118

「存在と時間」

目 次

【放送内容】

第一回「存在」とは何か?

第二回「不安」からの逃避

第三回「本来性」を取り戻す

第四回「存在と時間」を超えて

(NHKサイトを離れます)

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おもわく。

20世紀最大の哲学者の一人とされるマルティン・ハイデガー(1889-1976)。彼の哲学は「存在論」と呼ばれ、「存在とは何か」という哲学史上最も根源的な問題を問い続けました。そんな彼の前期の主著が「存在と時間」です。

「現象学」という新しい哲学的方法を用いて「存在の意味」に迫ろうと企図された「存在と時間」は、1927年2月に発表されるや圧倒的な評価を受け、「まるで稲妻のように閃いて、見る間に思想界の形勢を変えた」と伝えられます。この著作によりハイデガーは世界的な名声を得ました。その後、この哲学書は世界各国で翻訳・出版され、現代思想を担う数々の哲学者や思想家たちにも巨大な影響を与え続けます。では、ハイデガーの哲学はなぜそこまで人々を魅了したのでしょうか。

第一次大戦直後のヨーロッパでは、戦前まで人々を支えてきた近代思想や既存の価値観が大きく揺さぶられ多くの人々は生きるよりどころを見失っていました。巨大な歴史の流れの中では、「人間存在」など吹けば飛ぶようなちっぽけなものだという絶望感も漂っていました。そんな中、「存在とは何か」を問うための前提として、「人間存在」の在り方(実存)に新たな光をあて、「本来的な生き方とは何か」を追求したハイデガーの哲学は、「根源的な不安」にさらされた人たちに、人間の尊厳をとりもどす新しい思想として注目されたのです。

現代ドイツ思想を研究し続ける戸谷洋志さんは、既存の価値観が大きくゆらぐ中で、多くの人々が生きるよりどころを見失いつつある現代にこそ、ハイデガーを読み直す意味があるといいます。彼の哲学には「不安への向き合い方」「生きる意味の問い直し」等、現代人が直面せざるを得ない問題を考える上で、重要なヒントが数多くちりばめられているというのです。

番組では戸谷洋志さん(関西外国語大学准教授)を指南役として招き、哲学書の中でも難解で手にとりにくいとされる「存在と時間」に新しい角度から光を当てて分り易く解説。ハイデガー哲学を現代社会につなげて解釈するとともに、そこにこめられた【本来的な生き方とは何か】や【不安との向き合い方】、【世間との関わり方】などを学んでいきます。

各回の放送内容

おもわく。

「存在とは何か」。古代ギリシャ以来続く根源的な問題を問うためにハイデガーは「存在と時間」を執筆した。彼は「存在とは何か」を明らかにするためには、まずそうした「存在の意味」を問わずにはいられない人間に着目する必要があると考えた。世界の中に存在し、自分以外の存在者と関係をもち、自分自身の存在の仕方を自ら決めていかざるをえない存在者が人間であるという意味を込めて、人間存在を「現存在」と呼ぶことにしたハイデガーは、この「現存在」の在り方を徹底的に分析することを始める。第一回は、「存在と時間」が執筆された背景やハイデガーの人となりを紹介しながら、「存在とは何か」を問う意味とは何か、そして、「存在の意味」を問わずにはいられない人間とは何かについて深く考える。

【指南役】戸谷洋志(関西外国語大学准教授) …現代ドイツ思想の研究者。著書に「Jポップで考える哲学」「ハンス・ヨナス 未来への責任」等がある。

【朗読】野間口徹(俳優)

【語り】加藤有生子

ハイデガーによれば、どんな人間であっても、その人生はさまざまな可能性に開かれている。しかし、そのことは人間に対して「不安」をもたらしもする。人間は、この「不安」から逃れるために「世間」に従属しようとする。その中に安住していれば、自分自身の根拠のなさから目を背けることができるできるからだ。ハイデガーはこのような生き方を「非本来的」であると批判し、むしろその「不安」をきっかけにして「本来的な生き方」に覚醒できるのだと説く。第二回は、最重要概念ともいえる「不安」の意味を深掘りし、私たちはなぜ「不安」に陥るのか、そして、なぜ「不安」から目を背けようとするのかを明らかにする。

【指南役】戸谷洋志(関西外国語大学准教授) …現代ドイツ思想の研究者。著書に「Jポップで考える哲学」「ハンス・ヨナス 未来への責任」等がある。

【朗読】野間口徹(俳優)

【語り】加藤有生子

「世間」において人間は誰でもない誰かとして生きている。すなわち、それは他者と交換可能であることを意味する。しかし、「死」だけは交換可能ではない。私は、誰かの代わりに死ぬことはできないからだ。「死」は、それぞれがかけがえのない個人であることを思い知らせる。このように自分の死の可能性を引き受けながら生きることをハイデガーは「死への先駆」と呼び、非本来的な生き方から、本来的な生き方へ向かう大きなきっかけであると説く。その結果、人間は一回限りの人生をどう生きるのかを選び取る決意に立てるというのだ。第三回は、「死への先駆」「決意性」といった難解な概念の意味を解きほぐし、人間が自分らしさを取り戻す生き方をするには何が必要なのかを考える。

【指南役】戸谷洋志(関西外国語大学准教授) …現代ドイツ思想の研究者。著書に「Jポップで考える哲学」「ハンス・ヨナス 未来への責任」等がある。

【朗読】野間口徹(俳優)

【語り】加藤有生子

1933年、ハイデガーはフライブルグ大学の学長に就任。その就任演説でナチスドイツへの支持を表明する。なぜ「存在と時間」で人間の本来性を追求したハイデガーがナチスに加担してしまったのか? 彼に影響を受けながらも後に決別した政治哲学者のアーレントは「孤独な決断」を称揚したハイデガーには「公共性」という概念が欠落していたと指摘し、哲学者のバンス・ヨナスは、「何に対して責任を取るのか」という視点が欠けていたと考える。第四回は、ナチスに加担してしまったハイデガーには何が足りなかったかを考究し、次世代の哲学者たちが考え抜いた「存在と時間」のもつ限界を乗り越える方法を模索する。

【指南役】戸谷洋志(関西外国語大学准教授) …現代ドイツ思想の研究者。著書に「Jポップで考える哲学」「ハンス・ヨナス 未来への責任」等がある。

【朗読】野間口徹(俳優)

【語り】加藤有生子

こぼれ話

ハイデガー「存在と時間」を取り上げる企画は、私のプロデューサー在任期間中には実現しないのではないかと、半ばあきらめかけていた名著でした。思い入れがなかったわけでは決してありません。むしろ、大学時代から読み続け、社会人になってからも大きなヒントをくれた名著だったのですが……。この本を入門者向けにわかりやすく伝える角度を見つけられずにいたのです。

世に「存在と時間」を解説した研究書は数多くあるのですが、これが原典に輪をかけて難しいものばかり。ハイデガーという哲学者には一種独特の魔力があり、その魔力にとりつかれてしまうと、みんなハイデガー語をしゃべり始めるのです。少しでもかみ砕いてしまうと、ハイデガーの真意からずれてしまう…とばかりに、難しい用語で埋め尽くされた本が解説書と称される。ジャーゴンともいえる、謎の言葉の羅列に陥った本が多数ありました。「存在と時間」を一般向けに解説するためには、ハイデガー自身からきちんと距離をとることができる講師でないと、間違いなくわかりにくい解説になってしまう。下手に扱ってしまうと、かえって視聴者からハイデガーを遠ざけてしまうことになる……そんなことを感じ続けて、手を出すのを躊躇し続けていたのです。

その意味で、今回の講師・戸谷洋志さんとの出会いは、とても、幸運なものでした。知人の編集者の紹介でお会いしたのが最初でしたが、このときには、戸谷さんが研究している哲学者ハンス・ヨナスのお話を聞いてみたいというのがきっかけだったのです。さすがにご専門だけあって、ハンス・ヨナスについてのお話は明快で、「これはいつでも企画化できるな」という確信はもったのですが、問題は、この番組では、まだデカルト、ヘーゲル、ハイデガーなど哲学界の巨人たちを取り上げていなかったこと。彼らを差し置いて、ヨナスをいきなりというのは、ちょっと難しいかなというのが当時の私の判断でした。

話がひと段落した後、「ハイデガーの『存在と時間』でしたら、すぐに取り上げられる可能性は高いのですが……」という言葉が私の口からぽろっと出てしまいました。すると、「ハイデガーなら解説できるかもしれません」と戸谷さんの目が少しだけ光りました。そういわれてみれば、ヨナスはハイデガーの元弟子だから、哲学的な関係性は深いはず。とはいえ、戸谷さんはハイデガーに特化した専門家ではないので、どこまでうまく解説できるのかは未知数でした。そこで、戸谷さんの視点を知りたいということもあって、一か月後くらいを目途にプランを出してもらうとのお約束をして、その日はそのまま別れたのです。

一か月内に戸谷さんから綿密な構成案が届きました。実は、「おそらくハイデガーの術語満載の難しい案ではないだろうか」と少し危惧していたのですが、驚きました、ほとんど専門用語を使わずに、解説のストーリーラインが展開されたものだったのです。あまりのわかりやすさに「ハイデガーをここまでかみ砕いてよいのか」と逆の危惧を抱いたほどでした。

このプランの中核は、今回、番組で中心的に展開した「世人論」でした。当初の内容は、サッカー選手を目指す少年といった非常に卑近な事例なども引き合いに出されていて、とても具体的でイメージ豊かなプランでした。J-POPの歌詞を解説に使ってみようという案もありました(ハイデガーの理路の厳密さを優先して、いずれの方法も断念しましたが)。私自身も「世人論」は原典の中では一番面白く読んだ部分で、強い影響を受けたところでもありました。ここが一つのクライマックスになるだろうという予感もあったのですが、ここまで潔く論点を絞り込むという方法、そして、若い世代に伝わりやすい事例を豊富に盛り込む視点はとても新鮮で、このプランを見せていただいた段階で、「戸谷さんに解説してもらえば、ハイデガーの思想を視聴者にも受け入れてもらえる」と確信したのです。

私のほうからは、「世人論」が中心になっていた構成をやや引き戻す形で、第一回に、「存在とは何か」という根源的な問いや、「現存在」「世界内存在」といったハイデガー独自の概念をまず視聴者に理解してもらう回として位置づけて、二回目から「世人論」に向かう形にしようとご提案したくらい。あとは、第三回までにほぼ「存在と時間」の内容を語りつくすので、第四回にどんな内容を盛り込むかという課題が残されました。

当時、戸谷さんが「原子力の哲学」という、ハイデガーの技術論にも触れた興味深い著作を出したばかりだったので、第4回は、ハイデガーの後期思想やその立場からの技術論を展開するのはどうかというのが私の案でした。ところが、戸谷さんからは、以下のようなご意見をいただいたのです。

「第4回について、技術思想を扱うのもとても面白いと思いますが、前期から後期への移行はなかなか解説するのが簡単ではありません。たとえば、ハイデガーのナチスへの加担と、その批判的な克服を目指した教え子であるアーレントとヨナスの思想を紹介する、という形にしてはどうでしょうか。この場合、アーレントについては、ハイデガーが「世間」を批判したのに対して、他者とのつながりに基づく公共性を重視したこと、ヨナスについては、ハイデガーが責任を個人の「決意」に結び付けるのに対して、自然の傷つきやすさに対する人類の責任へと拡大させたことをご説明し、それらが現代の社会課題とも直結していることをご説明できると思います」

この戸谷さんの提案に、知的誠実さと強い勇気を感じました。私自身の中にも、ハイデガーのナチス加担の問題は、このシリーズのどこかで必ず触れなければならない論点だと思っていました。いずれ切り出さないといけないとは思いつつ、ハイデガー研究者の中には、この問題を可能なら避けたいという人もよくいるので、実際にテキストの執筆が始まってから、論点の入れ方も含めて、ゆっくりご相談しようと思っていたのです。

ところが、戸谷さんご自身から「真正面からハイデガーのナチス加担問題を取り上げよう」と提案が飛び出したわけです。私は、更に深い信頼感をもちました。ハイデガー哲学の良質な部分もきちんと解説しつつ、彼の弱点や問題性についても距離をもって冷静に論じる……これは、私が当初から理想的だと思っていた方向性だったので、即座に賛同しました。

私自身、大学時代、理屈でしか読めなかった「存在と時間」の哲学を、NHKに入局したばかりのときに遭遇した雲仙普賢岳災害現場で、身で読むような体験をしました。もし少し状況とタイミングがずれていたら、私は、火砕流に巻き込まれて死んでいたかもしれない……そう思ったとき、「いい番組出してかっこいいジャーナリストになりたい」といった若気の至りの野望のようなものがことごとく吹っ飛び、「この被災地のために何かできることをしなければ」という純粋な思いに駆られて、無我夢中で番組作りに取り組んだ記憶があります。私流の解釈になってしまいますが、これがハイデガーのいう「死への先駆」であり、「良心の声に耳を傾ける」ことだと感じました。ハイデガーの思想が机上の空論ではなく、深く理解できた瞬間でした。

戸谷さんの解説のおかげで、このときの体験のことをもう一度思い起こし、整理することができました。そして、ハイデガーのナチス加担問題にも誠実に向き合うことで、「孤独な決断」の中で陥ってしまう罠にも気づけました。私自身は、取材対象の方々と語り合うことによって、自分の思い込みや独断に陥ることなく、また自分が所属している組織の都合のみの判断基準ではなく、「何よりも今、大変な思いをしている一人ひとりのために」というぶれない軸をもつことができた。これがアーレントのいう「複数性」なのだということも、あらためて、答え合わせをさせていただいたような思いです。

ハイデガー「存在と時間」は、このように、自分自身の人生ともダイレクトに接続する要素をもった哲学書です。今回の番組では、多様に読み込める「存在と時間」の中の一番太い幹にあたる部分を、戸谷さんや制作にあたったディレクター陣のおかげで、最も近づきやすい入門編として構成することができました。原典も読めば、もっともっと多様な論点を見出すことができます。「道具連関」「適所性」「共同存在」「根源的情状性」「配慮的気遣い/顧慮的気遣い」「歴史性」等々、番組では、概念そのものを大きくフィーチャーできなかったところもあります(間接的には、戸谷さんがうまく入れてくださったところも多々ありますが)。いきなり全部は難しいかもしれないので、自分の関心のあるところからでもかまいません。ぜひこれを機会に原典に触れていただけると、企画者としてこれ以上の喜びはありません。

アニメ職人たちの凄技

今回、スポットを当てるのは『ケシュ#203』

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<プロフィール>

ケシュ#203(ケシュルームニーマルサン)仲井陽と仲井希代子によるアートユニット。早稲田大学卒業後、演劇活動を経て2005 年に結成。NHK Eテレ『グレーテルのかまど』などの番組でアニメーションを手がける。手描きと切り絵を合わせたようなタッチで、アクションから叙情まで物語性の高い演出得意とする。『100 分de 名著』のアニメを番組立ち上げより担当。仲井希代子が絵を描き、それを仲井陽がPC で動かすというスタイルで制作し、ともに演出、画コンテを手がける。またテレビドラマの脚本執筆や、連作短編演劇『タヒノトシーケンス』を手がけるなど、活動は多岐に渡る。オリジナルアニメーション『FLOATTALK』はドイツやオランダ、韓国、セルビアなど、数々の国際アニメーション映画祭においてオフィシャルセレクションとして上映された。

ケシュ#203さんに“「存在と時間」ハイデガー”のアニメ制作でこだわったポイントをお聞きしました。

今回は今まで手がけた解説アニメーションの中でもかなり難解で、画コンテを考える作業に通常よりも多くの時間がかかりました。

特に最初の方は、ものの『在り様』ではなく『在ること』そのものをテーマにしているので、先走って解釈してしまったり、理解したあとも、分かりやすくまとめようとするとハイデガーの主張と異なるニュアンスが含まれてしまうので、どう表現すれば正確に、かつ開かれて伝わるのか悩みました。

アニメーションの枠になっているハイデガーTVという表現は今回の構想の軸で、これは構成台本のなかのテレビの例えから着想を得ました。

テレビを観ている私たちをメタ的に感じられるようにテレビ枠をそのまま使用し、『これは私たちの話である』と思ってもらいたいという狙いがあります。

デザインは「存在と時間」が書かれた当時のドイツの時代感やイメージを現代的に解釈して造形や色彩設計を行いました。難解だからと敬遠せずにより身近に感じてもらうため、ハイデガー氏をユーモラスに描いたり、登場人物たちにコミカルな動きをしてもらっています。

今回のような解説がメインのアニメーションは、いかに物事を記号化できるかどうかにかかっていますが、その際、注意しないとステレオタイプなイメージばかり使ってしまいます。安易な表現でジェンダーバイアス等を強化しないよう、意識して制作しました。

責任を持って主体的に生きること、我々の現在と響き合うように感じて頂けたら幸いです。

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