おもわく。
おもわく。

インターネットやSNSの隆盛で、常に他者の動向に注意を払わずにはいられない私たち。その影響で、現代人は自主的に判断・行動する主体性を喪失し、極論から極論へと根無し草のように浮遊し続ける集団と化すことが多くなりました。今から一世紀以上も前に、そうした集団を「群衆」と呼び、彼らの心理を鋭い洞察をもって分析した一冊の本があります。「群衆心理」。フランスの心理学者ギュスターヴ・ル・ボン(1841 - 1931)が著した、社会心理学の嚆矢となる名著です。

ル・ボンは、群衆が歴史に表舞台に躍り出てきた原因が、西欧を支えていた伝統的な価値観が崩壊したことにあるといいます。自分たちを縛る箍がはずれた時、群衆はその盲目的な力を発動させました。人は、群衆の中にいるとき「暗示を受けやすく物事を軽々しく信じる性質」を与えられます。論理ではなく「イメージ」によってのみ物事を考える群衆は、「イメージ」を喚起する力強い「標語」や「スローガン」によって「暗示」を受け、その「暗示」が群衆の中で「感染」し、その結果、群衆は「衝動」の奴隷になっていきます。これが「群衆心理のメカニズム」です。

18世紀後半から19世紀、圧倒的な多数を占め始めた彼らが社会の中心へと躍り出て支配権をふるうようになったとル・ボンは分析し、彼らを動かす「群衆心理」が猛威を振るい続ければ、私たちの文明の衰退は避けられないと警鐘を鳴らすのです。

ル・ボンはまた、こうした群衆心理が為政者や新聞・雑誌等のメディアによってたやすく扇動されてしまうことにも警告を発します。政治家やメディアは、しばしば、精緻な論理などを打ち捨て、「断言」「反復」「感染」という手法を使って、群衆たちに「紋切り型のイメージ」「粗雑な陰謀論」「敵-味方の単純図式」を流布していきます。極度に単純化されたイメージに暗示を受けた群衆は、あるいは暴徒と化し、あるいは無実の民を断頭台へと送り込むところまで暴走を始めます。こうなると、もはや事実の検証や論理では止めることができなくなると、ル・ボンは慨嘆するのです。

「わかりやすさの罪」という著作で知られるライターの武田砂鉄さんによれば、ル・ボンのこうした分析が、SNS全盛時代における民主主義の限界やポピュリズムの問題点を鋭く照らし出しているといいます。果たして、私たちは、群衆心理とどう向き合ったらよいのでしょうか? 現代の視点から「群衆心理」を読み直し、「単純化」「極論」に覆われた社会にあって「思考し問い続ける力」をどう保っていけばよいかを考えます。

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第1回 「群衆心理」のメカニズム

【アンコール放送】
2022年11月7日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【アンコール再放送】
2022年11月8日(火)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2022年11月14日(月)午後1時5分~1時30分/Eテレ

【放送時間】
2021年9月6日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2021年9月8日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2021年9月8日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
武田砂鉄…ライター。デビュー作「紋切型社会」で第25回「Bunkamuraドゥマゴ文学賞」。近著に「わかりやすさの罪」「マチズモを削り取れ」。
【朗読】
長塚圭史(俳優)
【語り】
藤井千夏

フランス革命期、社会の中心へと躍り出て支配権をふるうようになった「群衆」。彼らをつき動かす「群衆心理」が猛威を振るい続ければ、文明の衰退は避けられないとル・ボンは警告する。彼は、「衝動的」「暗示を受けやすい」「誇張的で単純」「偏狭で横暴」「ある種の徳性をもつ」という5つの特徴を分析。人は群衆の中にいるとき「暗示」を受けやすくなり、その「暗示」が次々に「感染」し、その結果、群衆は「衝動」の奴隷になっていく。これがSNS時代にも通じる群衆心理のメカニズムだ。第一回は、ル・ボンによる「群衆心理」の分析を通して、それがもたらすさまざまな弊害や問題点を浮き彫りにしていく。

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第2回 「単純化」が社会を覆う

【アンコール放送】
2022年11月14日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【アンコール再放送】
2022年11月15日(火)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2022年11月21日(月)午後1時5分~1時30分/Eテレ

【放送時間】
2021年9月13日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2021年9月15日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2021年9月15日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
武田砂鉄…ライター。デビュー作「紋切型社会」で第25回「Bunkamuraドゥマゴ文学賞」。近著に「わかりやすさの罪」「マチズモを削り取れ」。
【朗読】
長塚圭史(俳優)
【語り】
藤井千夏

19世紀末、伝統的な価値観が崩壊し啓蒙が進んだ結果、人々からはむしろ深遠な思想は失われ、単純化した思想のみが定着していった。人々の思考能力や想像力は、見かけ上の連想のみに基づいて働くようになり批判精神を失っていく。代わりに群衆の中で席捲し始めるのは「イメージ」とそれを喚起する「標語」。たとえ誤謬であっても鮮やかで魅力的なら群衆はそれを信じるようになる。群衆心理によって、社会全体が「単純化」「わかりやすさ」のみに覆われ、瞬く間に一色に染め上げられていくのだ。第二回は、ル・ボンの洞察を通して、「単純化」が社会を覆っていくことの怖ろしさに警鐘を鳴らす。

名著、げすとこらむ。ゲスト講師:武田砂鉄
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第3回 操られる群衆心理

【アンコール放送】
2022年11月21日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【アンコール再放送】
2022年11月22日(火)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2022年11月28日(月)午後1時5分~1時30分/Eテレ

【放送時間】
2021年9月20日(月・祝)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2021年9月22日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2021年9月22日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
武田砂鉄…ライター。デビュー作「紋切型社会」で第25回「Bunkamuraドゥマゴ文学賞」。近著に「わかりやすさの罪」「マチズモを削り取れ」。
【朗読】
長塚圭史(俳優)
【語り】
藤井千夏

ル・ボンによれば、「群衆心理」は、為政者や新聞・雑誌等のメディアによってたやすく扇動されてしまうという。彼らは、しばしば、精緻な論理などを打ち捨て、「断言」「反復」「感染」という手法を使って、群衆たちに「紋切り型のイメージ」「粗雑な陰謀論」「敵-味方の単純図式」を流布していく。極度に単純化されたイメージに暗示を受けた群衆は、あるいは暴徒と化し、あるいは無実の民を断頭台へと送り込むところまで暴走を始める。第三回は、「群衆心理」を操るものへのル・ボンの警告を通して、為政者やメディアに扇動されたり、コントロールされないためにはどうしたらよいかを考える。

安部みちこのみちこ's EYE
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第4回 群衆心理の暴走は止められるか

【アンコール放送】
2022年11月28日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【アンコール再放送】
2022年11月29日(火)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2022年12月5日(月)午後1時5分~1時30分/Eテレ

【放送時間】
2021年9月27日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2021年9月29日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2021年9月29日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
武田砂鉄…ライター。デビュー作「紋切型社会」で第25回「Bunkamuraドゥマゴ文学賞」。近著に「わかりやすさの罪」「マチズモを削り取れ」。
【朗読】
長塚圭史(俳優)
【語り】
藤井千夏

群衆心理の暴走にブレーキをかけることはできないのか。ル・ボンは人間の資質を定める「教育」にその可能性を求めた。彼は、当時席捲していた暗記中心の「詰め込み教育」が、何事も鵜呑みにしてしまう人間を育てるとして異を唱え、判断力・経験・創意・気概を育てる職業教育を拡大せよと説く。ル・ボンの議論を受けて、武田砂鉄さんは、「わからなさ」を引き受け問い続ける力こそが、現代人に求められているという。第四回は、ル・ボンが群衆心理の暴走に対して描いた処方箋を読み解き、「思考し問い続けること」の大切さについて深く考える。

アニメ職人たちの凄技アニメ職人たちの凄技
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○NHKテレビテキスト「100分 de 名著」
『群衆心理』 2022年11月
2022年10月25日発売 アンコール放送版
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こぼれ話。

「群衆心理」の活かし方

「紋切型社会」の武田砂鉄さんとフランス文学者の鹿島茂さんが対談する! オールレヴューズという鹿島さんが主宰する書評サイトの企画でのオンライン対談イベントが開催されたのが去年8月30日のこと。当時新刊だった「わかりやすさの罪」を巡っての対談でした。私自身、手にしたばかりでまだ完読していなかったのですが、これは面白いに違いないと思って、わくわくしながら拝聴したのをよく覚えています。

わかりやすさが席捲する社会……その気持ち悪さと脅威を巡って語られた内容に、心を揺さぶられました。お話しを聞きながら、「この現実に鋭く切り込むような名著があれば、砂鉄さんに解説してもらいたい」という妄想が膨らみました。だが、そんな名著が果たしてあるのか?

終了後に、運営者のYさんにお願いして、砂鉄さんとつないでいただきました。最初のメールで、ぶしつけながら「もし名著を番組で解説するとしたらどの名著を選びますか」という質問をぶつけてしまいました。ほどなく返ってきたメールの中で、候補にあがっていた数冊…その中にあったのが「群衆心理」だったのです。

実は、一年くらい前に、完読ではありませんが、「群衆心理」の面白そうなところを拾い読みしたことがありました。保守思想家の西部邁さんが「思想の英雄たち―保守の源流をたずねて」という著作で、卓越したル・ボン論を展開されていて興味をひかれたからでした。西部さんがご存命中であれば、彼に講師をお願いしたいところでした。ですが、西部さんはお亡くなりになった後。しかも、ル・ボンはアカデミズムでは、ほぼ忘れ去られた存在で、著作等で言及する例がそれ以外に皆無。解説する講師がいなければ番組は成立しません。

そんなこんなで、ほとんど放置状態にあった「群衆心理」でした。ところが、全く予期もしないところから「群衆心理」の名前が現れて驚きました。しかも、読み直すにつけ「群衆心理」で書かれていることと「わかりやすさの罪」で書かれていることがシンクロしてきます。一週間後くらいには、ぜひ砂鉄さんに「群衆心理」を解説してもらいたいという気持ちが高まっていました。

問題は放送の時期でした。当時は新型コロナ禍の第二波真っ只中。オリンピックが開催されるかどうかも全く定かではない状況でした。おそらくオリンピック・パラリンピックを巡っては国民を分けての大議論になるだろう。ネット上でも、おそらく常軌を逸した炎上や論戦が繰り広げられるに違いない。新型コロナ禍の状況についても「陰謀論」めいた言説が少しずつ湧き上がっていました。おそらく1年後くらいには、コロナを巡る言説もヒートアップしているだろう……そんな予測をもとに、オリンピック・パラリンピック終了直後の9月に放送時期を設定しようと最終的に結論づけました。

テキストを講師が執筆する時間が必要な関係で、毎度8か月くらい前に企画の仕込みをやらないといけないという、かなり厳しい条件での名著選びになります。ですから、このように、その時点で置かれている状況の中で、限界まで考え抜いて予測を立てて企画を考えます。もちろんはずれることはありますが、ぎりぎりまで考え抜いたときには、不思議にタイミングが合っていくということも実感しています。

今回も、武田砂鉄さんによる絶妙な事例選択などのおかげもあって、まさに「この時、このタイミング」で「群衆心理」の放送を出せたことは、さまざまな問題を考える上で本当によかったと思っています。解説の中で、とりわけ印象的だったのは、政治家やメディアによって、群衆がたやすく扇動されてしまうという事実。政治家やメディアは、ある状況下では、精緻な論理などを打ち捨て、「断言」「反復」「感染」という手法を使って、群衆たちに「紋切り型のイメージ」「粗雑な陰謀論」「敵-味方の単純図式」を流布していくことがあります。たとえ誤謬であっても鮮やかで魅力的なら群衆はそれを信じるようになります。群衆心理によって、社会全体が「単純化」「わかりやすさ」のみに覆われ、瞬く間に一色に染め上げられていくことの恐怖。これは全く他人事ではないと思いました。

ル・ボンが主に分析したのは、フランス革命後のロベスピエールによる恐怖政治下に実際に起こったことですが、これと同じことが現実にも起こっているのではないでしょうか? 「安心安全」という言葉が独り歩きし、「ワクチン陰謀論」が盛んに語られ、自分の意見を少しでも異なる意見を語ると「敵対勢力」として罵倒され排除される。

とりわけ砂鉄さんの解説は、鋭い「メディア批判」も含んでいました。「メディアは主語を取り戻すべきだ」という言葉は、わが身を貫かれるような思いで受け止めました。ル・ボンのいう「断言」「反復」はそれほど多用していないかもしれません(多用するメディアも見かけますが)が、国民にとって重要な情報を時に隠蔽することに加担していないかということについては、もう一度私たちは胸に手を当てて考えなければならないと痛感します。

また、番組ラストで、「わからなさを引き受けることの重要性」「思考し問い続けることの大切さ」を言葉を尽くして語ってくれた砂鉄さんのメッセージから、私たちメディアは、群衆心理の暴走を食い止められるような役割を果たしてできているのだろうかということも深く考えさせられました。本来であれば、権力を鋭くチェックし検証していくことがメディアの使命と位置付けられていますが、その役割を果たせているのか。発表された情報を鵜呑みにしてそのまま流すだけの存在になっていないか、世論を一方向に向かわせるようなことに加担していないか。私たちは常に襟を正していかなければならないとあらためて感じています。

メディアは本来、多様な意見の行きかい、共存し、自由に論議し合う空間であったはずです。対立意見ですら尊重される空間です。価値観を一色に染め上げ、常に敵を作り出し、意見を一方向だけに推し進めるようなあり方であってはなりません。自らが「暴走する群衆」にならないようブレーキをかけ続けること、政治家やメディアが扇動しようとしてきたとき、そのからくりを鋭く暴き出すこと。それこそが「群衆心理」という名著を今に活かす一番の方法だと思えてなりません。

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