おもわく。
おもわく。

「人生100年時代」が到来し、100歳まで生きる人生に備えよ、といわれている現代。平均寿命は、10年前と比べるとおよそ3年延びました。65歳以上は人口の3割で、4人にひとりは高齢者という社会を私たちは生きています。これは、人類が初めて遭遇する事態といえます。このテーマにいち早く手をつけ、多角的に「老い」の姿をとらえたのが、哲学者・作家のシモーヌ・ド・ボーヴォワール(1908-1986)です。彼女が62歳の時に書いたのが「老い」。フェミニズムの代表作「第二の性」と並ぶ名著として知られている本です。

「第二の性」では、女は女であるが故に人間性を疎外された存在であると論じましたが、「老い」のなかでも老人が老い故に人間性から疎外された存在だと説きます。女も老人も社会から「疎外された存在」なのです。自身が女であることから「第二の性」を書き、老いの始まりに立って「老い」を描く…当事者として書かずにはいられなかった切実な書物なのです。

ボーヴォワールは、「老齢は我々を不意にとらえる」と書きます。老いとは他者から指摘されて知る、認めがたいものなのです。この「老い」から目をそらさずに、外部(生物学的、歴史的、社会的見地)からと、内部(老いの発見と受容)からの両面で、徹底的に「老い」を論じていきます。その筆は見過ごされがちな老人の性にも及び、老人=情欲から解放された清らかな存在という、ステレオタイプの老人像を容赦なく打ち砕きます。

「老い」が書かれてから半世紀。高度資本主義社会が到来し老人は増え続けていますが、相変わらず、生産性の低い者たちとして蔑視され続けています。そんな中で、ボーヴォワールはどのようなヒントを私たちに与えてくれるのか? 番組では、自らも「老い」の問題を思索し続ける、社会学者の上野千鶴子さん(東京大学名誉教授)を指南役に迎え、「人間にとって老いとは何か」「老いを疎外しない社会はどうしたら作れるのか」といった普遍的なテーマを考えていきます。

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第1回 老いは不意打ちである

【放送時間】
2021年6月28日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2021年6月30日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2021年6月30日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
上野千鶴子(東京大学名誉教授・社会学者)
【朗読】
筒井真理子(俳優)
【語り】
目黒泉

ボーヴォワールは「第二の性」で、女とは社会的、歴史的に作られた存在だと論じ、女性が社会のなかで、搾取されていると説いた。同じ手法で「老い」に着手し、老人もまた社会から疎外された存在であると説く。「老い」が書かれた1970年代、消費社会が極まり生産性のない「老人」が疎外されているのにそれについて全く語られることはなかった。だからこそ、「老い」をとらえ直す必要があるという。第一回は、「老いは文明のスキャンダルである」と語るボーヴォワールの視点から、人類にとって「老い」とは何かを考える。

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第2回 老いに直面したひとびと

【放送時間】
2021年7月5日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2021年7月7日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2021年7月7日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
上野千鶴子(東京大学名誉教授・社会学者)
【朗読】
筒井真理子(俳優)
【語り】
目黒泉

著名な作家に対して「60歳を過ぎて書くものは二番煎じのお茶ほどの価値しかない」と喝破するボーヴォワール。作家ばかりではなく、アインシュタインら科学者、チャーチルら政治家など、老いによって創造性や判断力を失った職業人たちが過去の業績にこだわり柔軟さを失っていく姿を容赦なく描き出す。その一方で、90歳近くになっても敢然と平和運動に取り組む哲学者ラッセル、衰えをなんのてらいもなく聴衆にさらすゲーテなど肯定的な老いの姿を描くことも忘れない。第二回は、著名な職業人たちの老いの姿を通して、ひるむことなく「老い」をさらけ出して生きていくことの大切さを考える。

名著、げすとこらむ。ゲスト講師:上野千鶴子
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第3回 老いと性

【放送時間】
2021年7月12日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2021年7月14日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2021年7月14日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
上野千鶴子(東京大学名誉教授・社会学者)
【朗読】
筒井真理子(俳優)
【語り】
目黒泉

フェミニストでもあるボーヴォワールは老人の性にも言及する。男性から見て性的な存在である女性は長らく、自らの性を語ることが許されてこなかった。同じく老人も性から解脱した人間としてとらえられてきた。「老人は純潔であるべき」という道徳に対し彼女は異議申し立てを行う。階級、ジェンダー、生物学的な見地から多角的に分析し、老人に対するステレオタイプの決めつけを否定するのだ。第三回は、40代で年下の男性と恋に落ちたというボーヴォワールならではの視点から、老いても人間は性から解放されないがきちんと向き合う道もあるという、ポジティブな「老人の性」のあり方を伝える。

安部みちこのみちこ's EYE
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第4回 役に立たなきゃ生きてちゃいかんか!

【放送時間】
2021年7月19日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2021年7月21日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2021年7月21日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※高校野球中継のため地域によって中止になる可能性があります
【指南役】
上野千鶴子(東京大学名誉教授・社会学者)
【朗読】
筒井真理子(俳優)
【語り】
目黒泉

「老いた人どう処遇するかでその社会の姿がわかる」と考えたボーヴォワール。各国の社会保障制度や年金制度、高齢者施設の在り方などを徹底的に調査した彼女は、現行の制度では、人間の尊厳は踏みにじられていると批判する。更に、先駆的な認知症や安楽死への考察などを交え、数少ない理想的な対策の事例を通して、人間が尊厳をもって老い、死ぬことができるためには何が必要かを徹底的に考えぬくのだ。第四回は、「老いは文明が引き受けるべき課題だ」という視点から、老いてもなお尊厳のある生き方ができる社会とはどんな社会なのかを深く考える。

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『老い』 2021年7月
2021年6月21日発売
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こぼれ話。

怯むことなく堂々と老いよ!

「100分de名著」のプロデューサーを担当してちょうど7年になりますが、今回、初めて画期的なことが起こりました。7月放送の「老い」の回は、制作を担当するディレクター自身の企画書による初めての番組制作となったのです。

この番組は、これまでほぼ100%、プロデューサー自身による企画と講師ブッキングで成り立っていました。この番組では、番組制作のみならず、副読本たるテキストの制作が必須です。そのため、相当早い段階からの企画立ち上げが必要。故に、プロデューサー自らが企画書を作成するというのが慣例でした。ただこのやり方だけに依存すると、果たして持続的に企画を出し続けることができるのかという不安は、常にありました。

詳しくは、このコラムの後の「ディレクターYのこぼれ話」を読んでいただきたいのですが、ひょんなことから、フリーのディレクターの山田あかねさんから、「フェミニズム」についての名著を番組で解説ができないかとの提案があったのです。「フェミニズム」の問題については、相次ぐ政治家の差別発言や「#MeToo」運動などの盛り上がりを受けて、いつか絶対に取り組むべき問題だと考えていた私には、まさに「渡りに船」で、企画書を作るに際しても、当事者である女性が書いた方がよい…と考えて、山田さんに書いてもらうことにしたのです。

山田さんは、社会学者の上野千鶴子さんとたびたびお仕事をしていて親交があるので、まずは「女性学」の草分けといっていい上野さんに相談してみることになりました。私自身、上野さんの著作にはずっと刺激を受け続けていたので、お会いするのがとても楽しみでした。おそらくボーヴォワール「第二の性」が有力候補になるのではないかとも思い、少し読み直しなども始めていました。

ところが、驚いたことに、上野さんから出たアイデアは、同じ著者の「老い」。もちろん主著の一つではありますが「第二の性」に比較すると、やや知名度が低いともいえる本でした。私自身も全くの未読。少し戸惑いましたが、上野さんにお会いして話を聞くにつけ、「あああ、この本こそ、この時代に読むべき本だ」と確信するに至ります。番組をすでにご覧いただいた方は、その点、ご納得いただけるかと思いますし、当初の目論見である「フェミニズム」や「ジェンダー」の問題にもきちん触れることもできましたとも思っています。

上野さんとのお仕事は、まことにスリリングなものでした。「老いは文明のスキャンダル」というボーヴォワールの言葉がずっと心の中で鳴り響いていたという上野さん。自らの当事者として「比較老年学」などを深く研究している視点からの読み解きは、目から鱗が落ちる体験の連続でした。私自身、50代半ばを迎え、当事者の一人として「老い」について真剣に考え始め、まとまった文章も書いたことはあるのですが、その視点がかなり甘かったこと、常識に縛られて「老い」について見誤っていたことなどを思い知らされました。

実は、上野さんとの出会いは、80年代後半、熊本大学で哲学や社会学を学んでいた頃のこと。「女という快楽」といった著作の数々で、私たちのものの見方や行為がいかに社会構造に規定されているか、そしてそこから脱却していくにはどういう見方が必要なのかといったことなど多くのことを学びました。熊本に講演会でいらした際には駆けつけて質問などもさせていただいたことをよく覚えています。その上野さんに、あの切れ味の鋭い視点から「老い」を読み解いてもらえれば、画期的なシリーズになるなと、わくわくしながら番組制作に取り組みました。

「老い」は、いわば「老いのエンサイクロペディア」ともいえるほどの規模で、文明史から社会制度、心理学的調査、膨大な数の作家、作家、芸術家、政治家、科学者らの評伝や告白録の分析等に至るまで、およそ「老い」に関わる現象や資料、研究成果の網羅的に検証した本です。私自身、読み進める中で、広大な森の中に迷い込み、論点が錯綜してややカオス状態に陥ってしまいました。この膨大な記述から、現代に通じる論点や記述を鮮やかに取り出していく上野さんの手さばきは見事で、4つの明快なテーマを設定していただけたことに深く感謝しています。独力では到底できなかったことですし(通常はある程度行うのですが)、上野さんが示してくれた道筋は、いわば原著を読む際の絶好のガイドになっていると思います。この番組やテキストを先に見てもらえれば、原著の深い森の中で迷うことはないでしょう。

特に、感銘を受けたのは、晩年の講演の際、20分間も沈黙するゲーテの姿を描いた場面にフォーカスしてくださったこと。衰えをなんのてらいもなく聴衆にさらすゲーテ、そして、その沈黙を尊敬の念からじっと見守る聴衆たち。そのことを肯定も否定もせずに淡々と書くボーヴォワール。そこには、「老いの現実はこういうものだ。だからどうした?」というボーヴォワールの潔いまでの「老いへの向き合い方」があります。

そして、何よりも、「老いは文明が引き受けるべき課題だ」という視点から、老いてもなお尊厳のある生き方ができる社会とはどんな社会なのかを追求したボーヴォワールの論を、「介護保険」「在宅ケア」など私たちにとって身近な事例を交えて、自分たちの問題としてとらえなおす通路を開いてくれたこと。

私自身「老い」の当事者として、ボーヴォワールのいう「老いという冒険」に立ち向かっていく勇気をいただきました。そんな見事な解説をしてくれた上野さんに、この場を借りて深く感謝したいと思います。

私も、年齢に抗わず、怯むことなく堂々と老いさらばえようと、今、思っています。……続いて「ディレクターYのこぼれ話」もぜひお読みください。

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こぼれ話。

ボーヴォワールの娘たち

ボーヴォワール著「老い」のディレクターを担当させてもらった。

以前からこの番組のファンであり、上野千鶴子さんが指南役になって、フェミニズム系の本をずばっと解説するのがやりたかった。企画提案したのは2年ほど前で、「老い」に決まったが、そこからが結構長かった。コロナや上野さんのスケジュールもあり、やっと今年の春に収録にこぎ着けた。「老い」は上下刊で各300ページ以上ある大著で、ここからどうテーマを切り出すかはなかなかやっかいだった。しかし、そこは上野さんである。二日に渡る打ち合わせで、4回の大まかな方針が決まった。

この時、上野さんも私もこだわったのが、「老人の性」だ。「老い」では、性に関する記述はそう多くない。通常なら「性」で1本分を作ることはしないだろう。どこかの回のワンコーナーとして「老人の性」に触れる。しかし、著者は「第二の性」を書いたボーヴォワールなのだ。分量はそう多くないのだが、性に関する記述の、切れの良さと辛らつさと熱量は他の部分とはちょっとちがうものがあった。上野さんの著書にも「性的な自由ほど大事はものはない」(セクシュアリティを言葉にする)という記述があり、ここは「性」で1回分をやりたかった。結果、3夜目は「老いと性」になった。

上野さんが「老い」のなかから切り出してくる言葉ー男の子は彼のペニスに第二の自我を見いだすーも強烈であり、そもそもそれを書いたボーヴォワールも強烈だった。構成を書いていて、「放送できるだろうか」と心配になるほどだった。

そして、スタジオ収録。伊集院光さんと上野さんとのトークは熱を帯び、予定時間を大きく上まわった。やはり、「性」というテーマはひとを熱くさせ、語らずにはいられないものなのだ。それは若かろうが老いていようが、関係がない。「老いの性」がテーマであったのに、いつのまにか「性」そのものについて語ることになった。伊集院さんががっつり向き合い、正直に話す姿に敬服した。この白熱した空気を少しでも届けられたらと思う。

4夜目は社会保障がテーマだが、個人的には、ボーヴォワールが亡くなったあと、フランスの哲学者エリザベート・バダンテールが寄せた追悼文に心打たれた。ここでは全文を紹介しないが、朗読を担当してくれた女優の筒井真理子さんもこの言葉に心を動かされたと言う。一度収録したあと、筒井さんがどうしてももう一度読みたいと言い、あらためて撮りなおした。もっと思いを込めて読みたいというのだ。この朗読は何度見てもぐっと来てしまう。ボーヴォワールの「老い」を解説しながら、最後にこの追悼文を紹介しようと決めた上野千鶴子さんの周到さといったら。この瞬間に私たちは、ボーヴォワールの娘になってつながったと思った。

テレコムスタッフ
山田あかね(スモールホープベイプロダクション所属)

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