おもわく。
おもわく。

「人間にとって本とは何か?」「思考や記憶のかけがえなさとは?」「権力者の論理とは?」
「反知性主義」という思潮が猛威を振るう中、SFという手法を使って、私たちにとって「思考する力」や「記録することの大切さ」などを深く考えさせてくれる文学作品があります。レイ・ブラッドベリ「華氏451度」。名匠トリュフォー監督による映画化、オマージュ作品として映画「華氏911」が撮られるなど、今も世界中で読み継がれている作品です。全体主義的な風潮がじわじわと世を侵食する現代に通じるテーマを、この作品をから読み解きます。

主人公は本を燃やす「ファイヤマン」という仕事に従事するガイ・モンターグ。舞台の近未来では、本が有害な情報を市民にもたらすものとされ、所有が禁止。本が発見されると直ちにファイアマンが出動し全ての本を焼却、所有者も逮捕されます。代わりに人々の思考を支配しているのは、参加型のテレビスクリーンとラジオ。彼の妻も中毒患者のようにその快楽に溺れています。最初は模範的な隊員だったモンターグでしたが、自由な思考をもつ女性クラリスや本と共に焼死することを選ぶ老女らとの出会いによって少しずつ自らの仕事に疑問を持ち始めます。やがて密かに本を読み始めるモンターグが、最後に選んだ選択とは?

この作品は、本を焼却し去り、人間の思考力を奪う全体主義社会の恐怖が描かれているだけではありません。効率化の果てに人々が自発的に思考能力を放棄してしまう皮肉や、「記憶」や「記録」をないがしろにする社会がいかに貧しい社会なのかも、逆説的に教えてくれます。そこで描かれている人々の姿は、GAFAやSNSに踊らされ、思考し何かを問い続けることをないがしろにしがちな私たち現代人をも鋭く刺し貫いていると、哲学者の戸田山和久さんはいいます。

さまざまな意味を凝縮した「華氏451度」の物語を【本を読むことの深い意味】【思考することで得られる真の自由】【権力にからめとられないための叡知】など多角的な視点から読み解き、混迷する現代社会を問い直す普遍的なメッセージを引き出します。

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第1回 本が燃やされるディストピア

【放送時間】
2021年5月31日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2021年6月2日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2021年6月2日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
戸田山和久(名古屋大学大学院情報科学研究科教授)
【朗読】
玉置玲央(俳優)・朝倉あき(俳優)
【語り】
加藤有生子

本を燃やす「ファイアマン」という仕事に従事するガイ・モンターグ。この時代、本は有害な情報を市民にもたらすものとされ、所有が禁止。本が発見されると直ちにファイアマンが出動し全ての本を焼却、所有者も逮捕される。代わりに人々の思考を支配しているのは、参加型のテレビスクリーンとラジオ。彼の妻も中毒患者のようにその快楽に溺れている。人類の記憶ともいうべき本を焼却し去り人間の思考力を奪う社会の恐怖。そこにはブラッドベリが同時代のアメリカで直面した「赤狩り」が影を落としているといわれる。第一回は、本が燃やされる究極のディストピアを通して、全体主義的な支配の怖ろしさに迫っていく。

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第2回 本の中には何がある?

【放送時間】
2021年6月7日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2021年6月9日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2021年6月9日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
戸田山和久(名古屋大学大学院情報科学研究科教授)
【朗読】
玉置玲央(俳優)・朝倉あき(俳優)
【語り】
加藤有生子

クラリスという女性と出会ったモンターグは、17歳の彼女が、30歳の妻よりも知性や感性がはるかに豊かだと知り愕然とする。そして次の出動の際、本とともに焼死することを選んだ老女の姿をみて動揺したモンターグは、密かに本を盗み出し隠れて読み始めるのだった。作品に描かれる、本を読み続けることの豊かさやその大切さを命をもって守り抜く人々の姿は、私たちが効率化の果てに失いがちな「思考すること」の大切さを教えてくれる。第二回は、「知」や「思考する力」を決して手放さなず、命がけでそれを守ろうとする人たちの姿を通して、人間にとって「本」がいかにかけがえのないものかを考察する。

名著、げすとこらむ。ゲスト講師:戸田山和久
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第3回 自発的に隷従するひとびと

【放送時間】
2021年6月14日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2021年6月16日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2021年6月16日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
戸田山和久(名古屋大学大学院情報科学研究科教授)
【朗読】
玉置玲央(俳優)
【語り】
加藤有生子

焼死した老女の姿に衝撃を受けたモンターグは、発熱し仕事を休んでしまう。ところが隊長ベイティ―は自宅を訪ねてきて「考えて苦しむくらいなら本など読まない方がまし。私たちは幸福な生活を守っているのだ」とはっぱをかける。その後モンターグは、密かに本を愛し続けるフェイバー教授と会い「人々が自発的に本を読むことをやめ権力がそこにつけこんだ」という事実を知らされる。そこには、支配を自ら招いた人間たちの愚かさを鋭く告発するブラッドベリの思いがある。第三回は、登場人物たちの言葉を通して、人間が自発的に思考の自由を手放し、効率化・スピード化に身をまかせ権力に盲従していくことの怖ろしさを考える。

安部みちこのみちこ's EYE
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第4回 「記憶」と「記録」が人間を支える

【放送時間】
2021年6月21日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2021年6月23日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2021年6月23日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
戸田山和久(名古屋大学大学院情報科学研究科教授)
【朗読】
玉置玲央(俳優)・朝倉あき(俳優)
【語り】
加藤有生子

テレビスクリーンを観にやってきた近所の婦人たちに、思い立って朗読を聞かせるモンターグ。感動のあまり泣き出す婦人もいる中それが違法行為だと告発される。そしてついにモンターグは密告によって自宅の本の焼却にむかうことに。追い詰められるモンターグは最後の瞬間ベイティーに火炎放射器を向けるのだった。ついに逃亡犯と化すモンターグが最後に辿り着いた場所とは? そこで描かれるのは人類にとっての最後の希望「記憶」のかけがえなさだった。第四回は、「記録すること」と「記憶すること」が人間にとっていかに大切か、そして、それをないがしろにする社会がいかに貧しいのかをあらためて深く考える。

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○NHKテレビテキスト「100分 de 名著」
『華氏451度』 2021年6月
2021年5月25日発売
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こぼれ話。

心の中の「ファイアマン」

「私の心の中にもファイアマンがいるのではないか? これは決して他人事ではない」……今回、ブラッドベリ「華氏451度」を番組で取り上げようと思ったのは、そんな思いが胸の奥から湧き上がってきたからでした。そこから生まれた企画を、ベテラン、若手、新人トリオのディレクターや朗読者、アニメーターが見事な演出と編集、パフォーマンスで、素晴らしい番組にしてくれました。支えてくれた他のすべての関係者も含めて深い感謝を捧げたいと思います。

「華氏451度」を再読したのは2017年末から2018年初頭のことでした。当時、官庁によるデータ捏造、PKO部隊の日報の隠蔽、果ては公文書の大幅な改竄等々、民主主義の根幹を揺るがす事件が相次いでいました。「記録」や「記憶」をないがしろにする社会、かつては想像すらしなかった怖ろしい出来事が日常茶飯事のように起こる世界。……そんな現実がかつて読んだ「華氏451度」で描かれた世界と酷似していると思い当たったのがきっかけだったのです。

読み進める中で戦慄したのは、そこで描かれたディストピアが恐ろしかったからだけではありません。上記のような恐ろしい出来事が生じているにもかかわらず、我々はいつの間にか全てを忘れ去っている。豊かな消費生活、メディアから絶え間なく流れてくる圧倒的な娯楽、あらゆる場面で効率的に、かつスピーディーに進められる物事……その大波の中で、私たちは自ら大切な記憶を手放してしまっている。

ファイアマンの隊長ベイティーやフェイバー教授が口をそろえて語る「人々が自発的に本を読むことをやめ権力がそこにつけこんだのだ」という主旨の言葉たちが、鋭く自分自身の核の部分を刺し貫きました。「ファイアマンは外にいるのではない。私たちの心の中にこそいるんだ!」そう思えたのです。

本当に恐ろしいのは、外側で起こっている全体主義的な状況ではありません。日々の暮らしの中で私たちが深刻な事態について考えるのをやめてしまうこと、面倒臭さにかまけて大切な記憶を自ら手放してしまうことなのです。私たちの心の中にいるファイアマンが、快楽や怠惰という炎で、己の思考力や記憶を焼き滅ぼしている。しかも、そのことに気づきさえしていない。「華氏451度」の再読は、そのことを痛烈に教えてくれました。

戸田山和久さんの出会いは、そのようなことを考えている最中でしたので、まことに幸運な出会いでした。メモによれば、2018年5月11日、ある予備校が主催した講演会。とても素晴らしい書籍の数々を編集している編集者のOさんお誘いを受けてのことでした。その際にお引き合わせいただいたのですが、戸田山さんの口から出たアイデアは、ウェルズ「タイムマシン」、ザミャーチン「われら」、オーウェル「1984」、ブラッドベリ「華氏451度」を4冊並べて解説するという斬新なアイデア。どれも重量級の大著で「どれか一冊に絞れないか」と提案したことを今でもよく覚えています。最終的に戸田山さんが「華氏451度」を選んでくださったのは、私としても「願ったりかなったり」でした。

戸田山さんによる解説の素晴らしさは、今さら、私がここで繰り返すまでもないでしょう。全体のストーリーの解読はもちろん、たとえば「クラリス」という人物の名前に込められた意味合いの読みほどきなど、ディティールの解読には凄みがありました。番組では、紹介しきれませんでしたが、モンターグやフェイバー教授の名前にも深い意味が込められています。モンターグは実在する製紙会社、フェイバーは、ドイツの鉛筆メーカー・ファーバーカステルの英語読みではないかとの説を紹介し、教師たるフェイバーが、白紙(タブラ・ラサ)たるモンターグに鉛筆によって知識を書き込んでいくというイメージが重ねられているのではないかとの解読も、番組テキストでは展開されているのでぜひご一読を。

戸田山さんの作品ラストの読み解きも、想像すらしなかった読み解きでした。退廃した社会を戦争によって一瞬で焼き滅ぼすという顛末を「気に入らない」という戸田山さん。悪を絶滅して、残されたエリートだけで社会を再建するというヴィジョンは、ある意味で、火炎放射器で本を焼き払うファイヤマンたちの所業と全く同じではないかと、この作品のラストの展開を批判的に解説してくれました。

その上で、焼き滅ぼすのではなく、退廃してしまった都市にとどまりつつ、いかにして啓蒙をしていくことができるのかということを我々は考えるべきではないかと語ってくれました。田舎と都市、大衆とエリートという二項対立ではなく、それらが入り混じる現実の中で、私たちが何をなすべきかを戸田山さんは鋭く問うてくれたと、私は思います。ブラッドベリから「問い」を受け継ぐこと。これこそが名著を読む大切な姿勢だと思い知りました。

私自身は、「わずか一行で描かれた戦争」には、ブラッドベリのあるたくらみが込められていると感じられました。私たち人類が連綿と紡いできた長い歴史、そしてそれを記録してきた口承や書物。その「長大な歴史」と「一瞬の戦争」は鋭いコンラストをなしています。ブラッドベリがロウソクの火のメタファーで示してきたように、すぐに吹き消されてしまうはかなさをもちながらも、ロウソクからロウソクへと火が受け継がれていくイメージ。私たちの記憶や歴史は、そのリレーにほかなりません。あるときはシュレッダーにかけられ、あるときは「そんなものは存在しない」と権力によって隠蔽される、このはかない火をどう守り育てていくのか。

一瞬ですべてをなぎはらう戦争ではなく、はかない火を人から人へと守り伝えていくこと。その地道な作業の大切さをこそ、ブラッドベリは私たちに伝えようとしているのではないか。これが私自身がブラッドベリから受け取った「問い」です。フランソワ・トリュフォーの美しい映画のラストシーンにも同じことを感じました。ブックピープルたちが行きかいながら、それぞれが記憶した名著の言葉を朗読し、それがポリフォニーを奏でるように世界を覆っていく……私たちの未来を変えていくのは、このポリフォニーなのかもしれません。

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