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名著、げすとこらむ。

◯「武士道」ゲスト講師 山本博文
日本人と武士道の全体像を示した書

維新からほぼ一世代をへた一九〇〇年の前後、明治初めの文明開化期に英語を学んで成長した日本人のなかから、すぐれた英文の著作が相次いであらわれました。内村鑑三の『代表的日本人』(「Representative Men of Japan 」明治四十一年)、岡倉天心の『茶の本』(「The Book of Tea 」明治三十九年)、そして新渡戸稲造の『武士道』です。いずれも、日本の文化や思想を外国人に向けて紹介・解説した名著ですが、内外に大きな影響を与えたという意味では、やはり『武士道』を筆頭にあげるべきでしょう。
『武士道』の原題は「BUSHIDO The Soul of Japan 」。滞米中の新渡戸稲造が英語で書き、明治三十二年(一八九九)にアメリカ・フィラデルフィアの書店から出版されましたが、数年のうちにドイツ語、ポーランド語、フランス語、ノルウェー語、ハンガリー語、ロシア語、イタリア語に翻訳されるなど、世界的なベストセラーになりました。
なぜそんなにも欧米で読まれたのか。その理由は本書が出版された時期にあります。明治三十二年といえば、日本が日清戦争(一八九四〜九五年)に勝利して、ようやく世界の列強の仲間入りを果たそうとしていた時期。逆にいえば、世界が日本に注目していた時期にあたります。つまり、このアジアの片隅の新興帝国のことを、欧米人たちは知りたがっていた。彼らにとって日本とは「サムライの国」であり、日本を知ることとは要するにサムライを知ることでした。そんなとき、まさにサムライの意識と行動について日本人が書いた「BUSHIDO 」が出版されたので、これに飛びついたのでしょう。さらに、出版から五年後に起きた日露戦争(一九〇四〜〇五年)でも日本が大国ロシアに勝利したことが、このブームに拍車をかけました。日本を知るための恰好の参考書として、『武士道』を自国語に翻訳する国が一挙に増えたのです。
一方日本では、出版の翌年(明治三十三年)に英文『武士道』が出版されていますが、翻訳はむしろ他国よりやや遅く、原著出版から九年後の明治四十一年(一九〇八)に桜井鴎村が訳した『武士道』(丁未出版社刊)が最初です。その後、昭和十三年(一九三八)には、植民政策学者で新渡戸稲造・内村鑑三に私淑するクリスチャンでもあった矢内原忠雄の訳した『武士道』が岩波文庫から出て、現在にいたるまで広く読まれつづけています。
もっとも、岩波文庫版が出たのは日中戦争から太平洋戦争へと八年間(一九三七〜四五年)にも及ぶ戦争の時代のさなかです。この時期、武士道は「武士道と云は、死ぬ事と見付たり」(『葉隠』)という言葉と結びついて、戦時下における国民の覚悟というようなニュアンスで受け取られていました。そこで新渡戸の『武士道』も、もっぱらその角度から読まれていたわけですが、これは本書にとっては不幸なことでした。これから内容を見ていけばすぐにおわかりになると思いますが、新渡戸の『武士道』は時代に左右されない根本的な道徳としての武士道について語ったものだからです。
じっさい本書は、武士道というものを解説した本にはちがいないけれども、ただ単に、かつて日本に存在した「武士」という身分に属する者たちの規範や倫理について述べただけのものではありません。「日本(人)の魂」(The Soul of Japan)という副題からも察せられるように、日本人の拠って立つ道徳意識や思考方法というものを、つまりは日本の文化というものを、さまざまな事例をあげながら明らかにした本なのです。
明治以前の武士の世には、これが武士道だという書物は存在しませんでした。本書のなかで新渡戸も、「(武士道は)文字に書かれた掟ではない。せいぜい口伝によって受け継がれたものだったり、有名な武士や学者が書いたいくつかの格言によって成り立っているものである」(第一章)と指摘しているように、現在、武士道書として知られている書物も、武士道を体系的に教えるようなものではなく、多くは古い時代に武功をあげた武士の逸話集であって、簡明に武士道の心得を教えるものではなかったのです。
そのようななかで、新渡戸は「武士道とは何か」という問題に正面から理論的に取り組み、彼なりの答えを出しました。そして結果として、それがひとつの日本文化論にもなっています。その意味で、日本人にとっての『武士道』の価値は、武士道というものを欧米人に理解させたということよりも、史上初めて、日本人が日本人と武士道の全体像を描こうとしたことにある、と言ってよいと思います。
現代の日本人にとって武士道は過去の道徳ですが、にもかかわらず、現代でも「武士道を学べ」という声があがることがあります。特に近年は、その声が高まっているようです。しかしこれはもちろん、武士の世にもどれということではありません。この場合の「武士道」とは、まさに新渡戸が『武士道』で書いた、道徳意識の基礎としての武士道のこと。出版から百十年をへた現在でも、新渡戸の『武士道』は日本人のものの考え方に一定の影響を与えつづけているのです。まさに「名著」と言うべきでしょう。

山本博文(やまもと・ひろふみ)
東京大学大学院情報学環
・史料編纂所教授

プロフィール 1957年岡山県生まれ。東京大学文学部国史学科卒業。文学博士。専門は近世日本政治・外交史。『江戸お留守居役の日記』(読売新聞社、のち講談社学術文庫)で第40回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。著書に『殉死の構造』(講談社学術文庫)、『武士と世間』(中公新書)、『切腹』『日本史の一級資料』『殉教』(以上、光文社新書)、『江戸に学ぶ日本のかたち』(NHKブックス)、『大奥学事始め』(NHK出版)、『日曜日の歴史学』(東京堂出版)、『学校では習わない江戸時代』(新潮文庫)など多数。訳書に新渡戸稲造『現代語訳 武士道』(ちくま新書)がある。

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