もどる→

名著、げすとこらむ。

平野啓一郎
(ひらの・けいいちろう)
小説家

プロフィール

1975年、愛知県生まれ。京都大学法学部卒業。在学中に文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』により芥川龍之介賞を受賞。以後、数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。2020年より芥川賞選考委員。小説に『決壊』(新潮文庫、芸術選奨文部大臣新人賞)、『ドーン』(講談社文庫、Bunkamuraドゥマゴ文学賞)、『マチネの終わりに』(文春文庫、渡辺淳一文学賞)、『ある男』(文藝春秋、読売文学賞)、『本心』(文藝春秋)、エッセイに『私とは何か――「個人」から「分人」へ』『「カッコいい」とは何か』(いずれも講談社現代新書)など。

◯『金閣寺』 ゲスト講師 平野啓一郎
三島の問いを受け止め直す

『金閣寺』は、昭和三一(一九五六)年に、文芸誌『新潮』一月号から一〇月号に連載され、同年一〇月に新潮社より刊行された長編小説です。作者の三島由紀夫は、この時三十一歳。彼は一九七〇年一一月二五日、四十五歳で自決しますが、作家として最も充実していたのは三十代前半でした。本作は、膨大で多彩な三島作品の中でも最高傑作であると僕は考えています。

この作品は、昭和二五(一九五〇)年七月二日に実際に起こった金閣放火事件に材を取っています。鹿苑寺(金閣寺の正式名称)の青年僧・林養賢が、国宝の舎利殿(金閣)に放火し、建物や文化財を焼失させた事件です。しかし、三島が小説『金閣寺』に於いて行ったのは、実在の事件の真相に迫ることではありませんでした。金閣放火という事件の枠組みを使い、その中で、事件に触発された三島自身の思想を展開する。これが創作の動機だったようです。そのため、とりわけ作中のネガティヴな老師の描き方から、刊行後は鹿苑寺に不当な誹謗・中傷が寄せられたとも伝えられています。

僕が最初にこの作品を読んだのは中学二年生の時でした。僕は一九七五年生まれで、小学生の頃には、三島の自決が大人たちの間に、まだ生々しい記憶を残していました。「三島は自衛隊に突入して割腹自殺をしたちょっと頭のおかしな人」と言う人もいれば、三島文学に心酔している人もいました。そんな状況の中で彼に関心を抱くようになり、たまたま書店で最初に手に取った三島作品が『金閣寺』だったのです。

読んで、非常に感動しました。まず魅了されたのが文体です。きらびやかで、レトリックが華麗です。その人工性が好きになれないという読者もいるようですが、僕は強く惹かれました。一方で、描かれている主人公の内面は非常に暗い。吃音のため実社会とのコミュニケーションがうまくいかず、金閣に象徴される美だけが心の拠りどころになっている。

そんな主人公の設定に、当時、だんだん自我が芽生えてきて友達とのコミュニケーションに何となく疎外感を覚え、絵や文学や音楽が好きになりつつあった自分と近いものを感じました。陰気な青年の内面をこんなにも詩的な文章で美しく表現できるということに、心の慰めを得たのです。そこから他の三島作品を手当たり次第に読んでいったのですが、最初の出会いが『金閣寺』でなかったら、こんなにも三島にのめり込むことはなかったかもしれません。

昨年は三島の没後五十年にあたり、三島関連の本の出版や、映画・テレビ番組の制作が相次ぎました。僕自身、これまでに書いた三島の作品論をまとめた単行本を準備しています。

ところで、三島の衝撃的な死から半世紀が過ぎた今、改めて三島の代表作『金閣寺』を読む意味はどこにあるのでしょうか。

一つには、三島が拘り続けた「言葉と現実の合致」の意味を改めて考えるということが挙げられます。三島は、自身の戦中体験から敗戦、そして晩年の政治行動に至るまで、言葉と現実を合致させることに拘っていました。三島が割腹自殺をした理由は複雑ですが、外形的には、憲法九条は現実と合致していない、だから合致させなければならない、合致されないのであれば自分は合致の理想に殉じる、というのが彼の理屈でした。『金閣寺』に於いても、三島は観念と現実、或いは、認識と行動の乖離を主人公の苦悩の中心に据え、小説全体にわたって、言葉で認識している世界と現実とのギャップの問題を描いています。

これは、今日僕たちが置かれている社会の状況に通じはしないでしょうか。フェイクニュースが世界を席巻し、言葉と現実の乖離という現象が社会を大混乱に陥れていますし、総理大臣までもが平気で嘘をついている。そうした時代に、言葉と現実の一致という三島的な問題をもう一度受け止め直すことには、大きな意味があると思います。

また、戦後に三島が抱えた問いと苦悩を追体験することにも大きな意義があります。三島の一番大きな問いは、寄る辺ない戦後社会をどう生きていくべきかでした。詳しくは後ほど解説していきますが、早熟の天才として戦中に作家デビューした三島は、敗戦と同時に自分は早くも時代遅れになったという感覚を抱いていました。自らの戦中体験とどう折り合いをつけ、戦後社会にどう小説家として立つか。三島は苦悩し、十年の時をかけて、価値が転倒した社会を生きていこうと決断します。その決意表明とも言える作品が『金閣寺』だったのです。

今の時代、自分の存在を託すような対象が見出せずに迷っていたり、とりあえず声の大きな人に付いて行こうと割り切っている人は多いと思います。しかし、価値観の大転換が起こった戦後社会に投げ出された三島の苦悩を追体験し、「生きる」という決断に至るプロセスを見ることは、僕たちに様々な示唆を与えてくれるに違いありません。

ページ先頭へ
Topへ