おもわく。
おもわく。

「ロビンソン・クルーソー」「モル・フランダーズ」などの名著の作者として知られる18世紀イギリスの作家、ダニエル・デフォー(1660- 1731)。彼が、ロンドンの人口の2割が死亡したというペスト大流行(Great Plague of London)の体験を後世の教訓にしようと、膨大な資料を駆使して小説化した作品が「ペストの記憶」です。

1665年、イギリスの首都ロンドンをペストが襲いました。「ペストの記憶」は、この実際に起きたできごとを、パンデミック下のロンドンを生き延びる架空の主人公の視点で克明に描いた、実録とフィクションのあいだにある独自の文学作品です。当初は少しずつ死者の数が増減していたのが、いつの間にか爆発的な流行へと変化する様子。患者を出したため、行政によって封鎖されてしまった家に住む人々の苦悩。田舎に停泊する船上に逃げ、あるいは自宅を固く閉ざしてペストを遠ざけた人々のドラマ。ペストにかかった人々の示す多様な症状と、彼らを襲う絶望。さらには、人々の恐怖につけこんで儲けようとする者や、他人との接触を恐るあまり人々のとった滑稽な行動などなど。個人の視点、社会の視点、行政の視点のすべてを含む、様々な切り口でパンデミック下の世界が描かれています。

ここに現れる人間たちの姿を見ると、現代の私たちとあまりに重なる点が多く、驚かずにはいられません。それは何よりも、本書が1665年のペスト大流行という具体的な事象を扱いながらも、独自の書法によって普遍的な人間のあり方を極めて生々しく描くことに成功しているからだと、英文学者の武田将明さんはいいます。その意味で、この作品は、新型コロナウィルス禍に苦しむわれわれ現代人たちに、さまざまなケーススタディと貴重な教訓を与えれくれる作品なのです。

番組では、武田さん(東京大学准教授)を指南役として招き、パンデミックの問題を鋭く描ききった屈指の名著「ペストの記憶」を分り易く解説。この著作に現代の視点から光を当てなおし、そこにこめられた「パンデミックとどう向き合うか」「危機管理のあり方」「生命の安全と経済問題の葛藤」といった、現代の私達にも通じる問題を読み解いていきます。

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第1回 パンデミックにどう向き合うか?

【放送時間】
2020年9月7日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2020年9月9日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2020年9月9日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
武田将明(東京大学准教授)…英文学者。デフォー「ペストの記憶」、「ロビンソン・クルーソー」など訳書多数。
【朗読】
福士誠治(俳優)
【語り】
内藤裕子

デフォーは、『ペストの記憶』の中で、疫病が流行しているとき、どのような心構えが必要かについて入念に記している。デフォーはペストを単に肉体的な病気として見るのではなく、その精神的な影響にも注目していた。その認識は、作品の各所で描かれ、この著作の文学的な価値を高めている。第一回は、パンデミックを前に、人はどのように精神の健康を保つことができるのだろうかを作品を読み解きながら考える。

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第2回 生命か、生計か? 究極の選択

【放送時間】
2020年9月14日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2020年9月16日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2020年9月16日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
武田将明(東京大学准教授)…英文学者。デフォー「ペストの記憶」、「ロビンソン・クルーソー」など訳書多数。
【朗読】
福士誠治(俳優)
【語り】
内藤裕子

『ペストの記憶』のはじめの方で、語り手のH.F.はペストを逃れるために田舎に疎開すべきか、商売のためにロンドンに残るべきか悩む。他にも、疫病の蔓延を防ぐことと、経済活動を維持することとの矛盾は、本書の至るところに見てとれる。それらの描写は、まさに新型コロナウィルス禍の中で世界中の人々が直面している問題と重なる。第二回は、パンデミックのさなかで、人間はどうやったら、生命の安全と経済を両立できるのかを考える。

名著、げすとこらむ。ゲスト講師:武田将明
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第3回 管理社会 VS 市民の自由

【放送時間】
2020年9月21日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2020年9月23日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2020年9月23日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
武田将明(東京大学准教授)…英文学者。デフォー「ペストの記憶」、「ロビンソン・クルーソー」など訳書多数。
【朗読】
福士誠治(俳優)
【語り】
内藤裕子

『ペストの記憶』は、ロンドンの行政府がいかに手際よくペストに対処したかを褒め称える一方、感染者を出した家屋の封じこめや、ロンドンからの逃亡者への厳しい措置が生んだ悲劇について、さらには特に貧民に被害が拡大したことについても記されている。その上で、行政が市民の身体を管理する、という近代的な政治のあり方について鋭く問いかける。第三回は、パンデミックに対して、行政府の政策はどこまで有効で、どのような問題を孕んでいるのかを考える。

安部みちこのみちこ's EYE
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第4回 記録すること、記憶すること

【放送時間】
2020年9月28日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2020年9月30日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2020年9月30日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
武田将明(東京大学准教授)…英文学者。デフォー「ペストの記憶」、「ロビンソン・クルーソー」など訳書多数。
【朗読】
福士誠治(俳優)
【語り】
内藤裕子

『ペストの記憶』は、実際にあったペスト流行について、当時の記録を参考にしながらリアルに再現した記録文学であるが、同時にフィクションとしての魅力も備えている。『ロビンソン・クルーソー』の作者としても知られるダニエル・デフォーは、どうしてこのような形で彼自身の幼少期に発生した大事件を記録したのだろうか。その書き方には、後世の人々の記憶に残るように事件を記録するにはどうしたらよいかを考え抜いたデフォーの思いが込められている。第四回は、パンデミックなどの大災害について私たちがいかに記録し記憶すべきなのかを、作品の全体を通した作者の筆致から考える。

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○NHKテレビテキスト「100分 de 名著」
『ペストの記憶』 2020年9月
2020年8月25日発売
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こぼれ話。

「正解」がない中、正しく怖れる

デフォー「ペストの記憶」を企画したのは、新型コロナウィルス感染拡大抑止のために、「緊急事態宣言」が発出されたさなかの5月でした。制作体制も全く見えなくなる中、自分でも何を基準に判断したらよいかを迷いに迷っていました。会社で取り決められたルールに準拠して判断すればそれで足りるのだろうか? それとも、もっと慎重な判断が必要なのか? 人によっても新型コロナウィルス禍に対する感じ方、考え方も千差万別で、どんな対応をすべきかを悩み続けていました。少なからず、自分の中の基準もぶれまくり、果たしてすべての人の意見にきちんと耳を澄ませていたかどうか反省することしきりです。当面の基準を多くの人が共有できる「最大公約数」的な判断にする、ということで仕事をすすめてきましたが、それが正しかったかどうかは正直なところ今でもわかりません。

そんな中で、多くの教訓をもらったのが「ペストの記憶」でした。この本を翻訳した武田将明さんと出会ったのは、「飯田橋文学会」というグループが主催する「現代作家アーカイヴ」というイベントの会場でのこと。現役の作家に代表作を三作選んでもらい、それらを柱としながら創作活動の通史を概説・詳説してもらうという公開インタビューです。今日の文学を、その担い手自身の言葉を記録し蓄積してアーカイヴ化していこうという、とても意欲的な試みです。

そのイベントの主要メンバーとして活躍していた武田さんと合間にお話しする機会があり、そのお話が魅力的だったので、彼が研究しているスイフト「ガリヴァー旅行記」やデフォー「ロビンソン=クルーソー」を解説していただけると魅力的だなと思って、アイデアを温め続け続けたところに、この新型コロナウィルス禍です。デフォー「ペストの記憶」を武田さんが訳していたことは知っていたのですが、まだ未読だったので、この機会に読み返すことにしました。

「今、起こっていることとあまりにも重なっている!」とかなり興奮しながら読んだことを今でもクリアに記憶しています。もちろん現代にそのまま当てはめることはできません。ただ、これを現代の視点から読み解いていけば、私たちがこの新型コロナウィルス禍にどう向き合っていけばよいのかを考えるための大きな糧になるはずだと、直観しました。ただ、この時期から急遽企画を立ち上げると、準備期間はいつもに比べて短くなってしまいます。

武田さんには、そうした事情も含めて丁寧に説明させていただきました。断られることも覚悟していたのですが、武田さんは、私の危機感や「今こそこの名著を読むべき」という意図を共有してくださり、快く講師を引き受けてくださったのです。

この本は、「正解」を与えてくれる本ではありません。では、何のために読むのか? それは、武田さんが番組でも繰り返し強調していたように、こうしたパンデミックが起こったときに「正しく怖れること」を学ぶためです。人類は、パンデミックが起こるたびに、繰り返し同じような問題に直面し、同じような失敗を繰り返し、試行錯誤を繰り返しながら、ときどきその後も参考になるような向き合い方をしてきました。その状況を、小説を通してなぞことで学べることは数多くあります。そのエッセンスを司会の伊集院光さんは、次の言葉に凝縮してくれました。私たちが行動したり選択したりする際に、「ベターを選ぶように常に努力するが、決してその選択をベストとは思いこまない」という言葉です。

新型コロナウィルス禍にあって、もっとも心を痛めるのは、一人ひとり感じ方や考えた方にはグラデーションのように千差万別あるはずなのに、「絶対的な正義」を振りかざして、すべてを善か悪かで一刀両断するような風潮が横行していること。特にインターネット上では、そうした応酬があとを絶ちません。番組を終えた今、「ペストの記憶」をもう一度、読み返しながら、この状況には決して「正解」はないこと。「ベターを目指しつつ、それをベストと思いこまないこと」を心に刻んでいきたいと思います。

さて、今回は、「100分de名著」初期メンバーだったプロデューサーN(私の前任者)からも力強いサポートをもらいました。この後、久しぶりに「プロデューサーNのこぼれ話」を書いてもらいました。初期の頃のファンの方には懐かしいかもしれません。私などのような生真面目一本やりの「こぼれ話」ではなく、ユーモアたっぷりのNの筆致が楽しめると思います。ぜひ引き続きご覧ください。

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こぼれ話。

Nです。番組が始まったときのプロデューサーです。実は最近、別の仕事をしながら、「100分de名著」のお手伝いを時々しております。「貞観政要」「純粋理性批判」に少し携わり、「ペストの記憶」では、主に3回目と4回目を担当しました。

6月の後半から、少しずつ「ペストの記憶」を読み始めたのですが、その後すぐ、“夜の街”での感染拡大、GOTOトラベルの東京除外、うがい薬の買い占め騒動など、様々な出来事が起き、第2波の不安の中、夏が過ぎていきました。

「ペストの記憶」には、“夜の街”でしか生きる術がない笛吹き、ロンドン市民を見ると感染者ではないかと疑ってしまう世間の空気、薬の情報に踊らされる人々、油断したころにやってくる第2波などが描かれていますが、本に書かれていることが、次第に現実になっていくような感覚を覚えました。

そこで新型コロナ関連の番組や新聞記事を見ては、これと似たことが「ペストの記憶」のどこかに書いていないだろうかと、探すようにして本を読み、構成を考えてみました。第3回で、住民の声を聞くために低いバルコニーを作った市長の話が出てきますが、これを取り上げることにしたのは、台湾の新型コロナ対策を扱った番組を見たのがきっかけでした。番組では、感染の抑制を任務とする人たちが、市民の不安やニーズを丁寧に吸い上げ、対応する姿が描かれていましたが、市長と低いバルコニーのエピソードが、彼らの姿と似ているような気がしたからです。

今回のコロナ禍では、強大な権限を持った政府の方が感染を抑制出来るとした宣伝があったり、国のトップがワクチンの早期大量供給を約束するような発言をして批判を受けるなど、物議をかもす出来事がいくつかありました。いずれも社会不安を早く鎮め、指導力をアピールしたいからなのでしょうが、国の隠蔽体質が露見したり、方針が勇み足で現実と異なるなど、様々な問題が起きました。

残念ながら、新型コロナに対して、すばやく確実に効果がある方策はまだありません。どういう性質のウイルスなのか、まだ分からないのですから。暗中模索しながら、出来ることをするしかないのです。そのためには政府が市民にきちんと向き合い、今、何に困っているのか、そのために今、するべきことは何なのか、地道に考え続けるしかないと思います。そうした思いから、低いバルコニーの話を紹介したのですが、政治だけでなく報道する側の責任もあると思いますので、伊集院さんのテレビに関する発言を番組のラストに持ってきて、まとめました。

最後にミニ知識です。「熊いじめ」という日本人にはなじみがない言葉が番組に出てきましたが、これは鎖でつながれた熊に犬をけしかける見世物で、当時のイギリスではかなり人気があったようです。また「温めたビール」を女中に頼む男も登場しましたが、これは熱々のビールに、スパイスやドライフルーツ、砂糖などを混ぜて飲むものです。「ホットビール」で検索すると、レシピも出てきますので、興味がある方は試してみてください。寒さが厳しくなるこれからの時期には、うってつけかもしれません。

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