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名著、げすとこらむ。

河合俊雄
(かわい・としお)
京都大学教授、臨床心理学者

プロフィール

1957年奈良県生まれ。臨床心理学者、ユング派分析家。京都大学大学院教育学研究科修士課程修了。チューリッヒ大学にて博士号取得。心理療法家としてスイス・ルガーノのクリニックに2年間勤め、帰国後、京都大学大学院教育学研究科教授等を経て2007年より京都大学こころの未来研究センター教授。2018年4月より同センター長を務める。IAAP(国際分析心理学会)会長。著書に『概念の心理療法──物語から弁証法へ』(日本評論社)、『ユング派心理療法』(ミネルヴァ書房)、『村上春樹の「物語」──夢テキストとして読み解く』(新潮社)、『心理臨床の理論』(岩波書店)、『いま、日本人のこころを探す──「こころの古層」と心理療法』(ミネルヴァ書房、近刊予定)などがある。

◯『モモ』 ゲスト講師 河合俊雄
子どもと大人の物語

『モモ』は、ドイツの児童文学作家ミヒャエル・エンデが一九七三年に発表したファンタジー作品です。七六年には邦訳が出版され、現在までに累計発行部数が三百四十一万部を超える人気を獲得しました。子どもの頃、読書感想文の課題図書としてこの本を読んだという人も多いと思います。

『モモ』はいわゆる児童文学です。私は、児童文学というものは本来、どんな作品であれ大人が読んでもおもしろいものだと思っています。例えば宮澤賢治の童話などがその典型でしょう。その中にあって、『モモ』は特に大人向きの本であるように感じます。なぜかというと、この作品には強いメッセージ性があり、構造がクリアだからです。

『モモ』が持つ強いメッセージ性――その象徴が、時間泥棒である「灰色の男たち」という登場人物です。灰色の男たちは、物語の舞台となる町の人たちをうまく説得して時間を節約させ、その時間を時間貯蓄銀行に預けさせます。この男たちの企みにより、町の人たちは次第に心の余裕を失っていく。灰色の男たちとは、いったい何を表しているのでしょうか――。

多くの大人の読者は、灰色の男たちをアレゴリー(寓喩)としてとらえ、そこに『モモ』が持つ文明批判的な側面を見出すことでしょう。一方、子どもは文明批判にはあまり興味はないと思いますから、『モモ』は大人こそがその真価を理解できる作品といえそうです。

しかしながら、それは物語としての弱さであるかもしれません。どういうことでしょうか。

例えば村上春樹の小説などがそうですが、物語の魅力とは、訳がわからないけれども、読者を引き込んでいくところで、そこに深い世界が開いていきます。それに対して作品の意図や構造があまりにもはっきり見えると、読んでいて驚きや感動は生まれづらい。簡単に解釈できてしまうので、物語という形にする必然性がなくなってしまいます。

しかし作者のエンデは、あるインタビューで「私の本は、分析されたり解釈されたりすることを望まない。それは体験されることを願っている」(子安美知子『エンデと語る』朝日選書)と語っています。作品の構造はクリアで解釈がしやすいのに、それとまったく逆のことを作者は志向しているわけです。

解釈を誘う作品と、解釈を拒んで物語が体験されることを願う著者。今回「100分de名著」で『モモ』を論じるにあたり、私はいずれかの立場をとるのではなく、解釈することのおもしろさと、物語としてのおもしろさの両方に注目したいと考えています。そのバランスをとることが、『モモ』という世界的な児童文学作品をより深く、多面的に受け止めるために必要だと思うからです。

また、物語の「おもしろさ」といってもさまざまです。どんどん先が読みたくなるエンタテインメント的なおもしろさもあれば、意味を知ることによってわかるおもしろさもある。例えば、地域や宗教に根差した伝統的な儀式などは、部外者がただ見ていてもあまりおもしろくありませんが、「あの踊りにはこういう意味がある」といったことを教えられると、途端に興味深く思えることがありますね。その点は物語も同じで、「意味を知ることによる物語のおもしろさ」についても、本講の中で示すことができたらと考えています。

私は臨床心理学者です。文芸評論家でも作家でもありません。そんな私が『モモ』という作品に関心を持つ理由は大きく三つあります。

まず一つは、この物語がファンタジー作品だからです。私の行っている心理療法では、夢や箱庭などのイメージの表現、つまりファンタジーを大切にします。クライエント(来談者)が具体的に語る悩みの内容も大切ですが、それとは一見すると関係がないように思えるイメージやファンタジーを扱うからこそ、悩みやこころの本質に迫れるのです。ファンタジー作品についても同じことがいえて、ファンタジーだからこそ、こころの深みや真実を見せてくれるのです。

二つめもこれに関連することですが、『モモ』には、ファンタジーの描き出すこころの深層と現実、こころの古い層と、現代のこころのあり方の対立が見られるからです。前近代の文化と現代の文明の対立といってよいかもしれません。現代において、こころの深い層に関わるとはどういうことかをこの作品は考えさせてくれます。

第三に、『モモ』には「主体が立ち上がる」というテーマが描かれているからです。物語の主人公モモは身寄りのない、けれどユニークな女の子で、最初はずっと受け身の存在です。しかし、彼女は最後に自分から立ち上がり、灰色の男たちから町の人たちを救います。受け身だった人が時間を経てついに主体として立ち上がる。このプロセスは、私が専門とする心理療法において、クライエント(来談者)にとっても、またセラピスト(心理療法家)にとっても、非常に重要なことなのです。

なぜそれが重要なのか。どうすれば主体として立ち上がることができるのか。また、それについて『モモ』という作品は何を教えてくれているのか。そんなことについてもお話ししたいと思っています。

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