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ハテナ?のメール箱の回答。皆さんからお寄せいただいた“ハテナ?”のメール。番組では、代表的な質問や、多かった疑問を、講師の先生にお聞きしました。

第9回「徒然草」編 荻野文子さん回答!

Q

兼好法師はどんな和歌を詠(よ)んでいたのでしょうか? 作風に興味があります。

A 荻野文子さんからの回答。

家集のなかから、[1] 隠遁生活 [2] 自然 をテーマの和歌をご紹介します。
いずれも、技巧に走らず、文字そのままのシンプルな詠み口です。
[1] 出家して年月が過ぎたころ、訪問者を煩(わずら)わしく感じるまでに閑居に慣れた様子を、
さびしさも
ならひにけりな
山里に
訪(と)ひ来(く)る人の
厭(いと)はるるまで
と詠むいっぽう、たまに都にもどって友を訪ねる人恋しさもあったようで、
たちかへり
都の友ぞ
訪(と)はれける
思ひ捨てても
すまぬ山路(やまぢ)は
と詠むなど、出家はしても人づき合いを絶ったわけではないことがわかります。
[2] 花鳥風月のなかでは、「月」の歌が多く、満ち欠けに無常を感じたのかもしれません。
月やどる
露(つゆ)の手枕(たまくら)
夢さめて
晩稲(おくて)の山田
秋風ぞ吹く
手枕の
野辺(のべ)のはつ霜(しも)
冴(さ)ゆる夜(よ)の
寝ての朝(あさ)明(け)に
残る月かげ
閑居で寝そべってひとり眺める月です。のちに「手枕の兼好」と称されたそうです。
*意味がとりやすいように、漢字表記を多用しました。

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Q

孤独を愛した兼好ですが、仲のよかった友達はいるのでしょうか?

A ロジャー・パルバースさんからの回答。

「親しく交流した人」として文献から拾える人物に、[1] 弘融僧都(こうゆうそうず) [2] 頓阿(とんあ) がいます。
[1] 弘融僧都は仁和寺(にんなじ)の僧で、『徒然草』第82・84段に登場します。故実(こじつ)にくわしいうえに柔和で優雅な人柄を、兼好は高く評価していました。番組でも、第4回の第84段で、優しい目線を持つ人物としてご紹介しました。
[2] 頓阿は、「出家した隠遁者」で「二条流門下の和歌四天王のひとり」という点が、兼好と共通しており、『徒然草』第82段にも風雅を解する好人物として登場します。
兼好の家集には、頓阿の母親が亡くなったときの哀悼の贈答歌があります。また、頓阿の『続草庵集(そうあんしゅう)』には、隠遁生活の困窮から「米」と「銭」を融通(ゆうずう)し合う様子が、各句の冠(かんむり:句の冒頭)と沓(くつ:句の末尾)に暗号として織り込まれた贈答歌も見られます。

そのほか、今日的な友情とは違うかもしれませんが、宮家では[3] 邦良親王(くによししんのう)、和歌の道ではのちに二条家の当主となる[4] 二条為定(ためさだ)との交流も深かったようです。
[3] 邦良親王は、第4回でゲストの嵐山先生から、兼好が『徒然草』で「帝王学」を教えようとした皇太子とのお話がありました。
[4] 二条為定は、第2回にアニメーションでご紹介した第32段で、月を眺める女性を訪問した「ある人」ではないかといわれています。また、邦良親王亡きあと、兼好は為定を『徒然草』の最初の読み手と想定して書いたとする説もあります。

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