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ハテナ?のメール箱の回答。皆さんからお寄せいただいた“ハテナ?”のメール。番組では、代表的な質問や、多かった疑問を、講師の先生にお聞きしました。

第8回「君主論」編 武田好さん回答!

Q

PANOP(40代・男性)

マキャベリはどんな家に生まれ、どんな少年時代を送ったのでしょうか。外交官としての資質がどのように育まれたのかを知りたいです。

A 武田好さんからの回答。

PANOP さま

マキャベリの家は、もともとは名のある有力貴族でしたが、その後没落してしまい、生活に困窮していたわけではありませんが、裕福でもない状態でした。
父のベルナルドは法律家で、近郊に山荘と農園を持つ小地主。しかし法律家といっても、法律だけで生計をたてるほどは稼げていなかったようです。ベルナルドは読書家で、稼いだ金は惜しみなく書物に注ぎ、金のないときは自分が収穫した農産物と物々交換で書物を借りることもあったとか。とくに古代ギリシャやローマの哲学者アリストテレスやキケロの著書や、修辞学の巨匠の作品、イタリア史に関する本などを好んで集めていました。また、ベルナルドは子供たちとも気の利いた冗談を交わし合う、家族思いで親愛の情に満ちた優しい父親でした。
母親についての記述はほとんど残っていませんが、敬虔な心の持ち主で、詩や賛歌を書く教養豊かな人物であったことが分かっています。
おそらくマキャベリは、父親が集めた本を読みながら、独学で人文主義や歴史についての知識を深めるとともに、母親からは物を書いて表現するという才能を受け継いだのだと思います。

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Q

ぽんたさん(40代・男性)

マキャベリは「運命の半分程度は人間の力で変えられる」としていますが、そう考えるに至った経緯は何なのでしょうか?実際の事件から学んだのでしょうか?

A 武田好さんからの回答。

ぽんた さま

マキャベリは、時代の流れと自分のやり方を一致させて成功を収めた君主として、教皇ユリウス2世のエピソードを出しながら説明しています。ユリウス2世とは、チェーザレの父であったアレクサンドル6世のあとに教皇となった人物で、チェーザレをイタリアから追放した後、大胆不敵なやり方で数々の戦いに勝利を治めることになりました。まさに時代や時勢を見ながら運を味方につけていった君主と言っていいでしょう。
ユリウス2世の活躍ぶりが、マキャベリに運命について考えるきっかけとなったことは、『君主論』が書かれる以前、彼が同僚のソデリーニに宛てて書いたとされる書簡の中からもうかがえます。その内容は運命に関する独白のようなもので「運命を前に人間の活動の余地はどこまで開かれているのか?」について書かれています。マキャベリは、決して優勢とは思えないユリウスがなぜ勝利できるのかを考察し、その結果、時代の流れを見ながら果断に進んでいけば「運命」を「力量」で変えることができると考えたのです。
もちろん運命のすべてを変えるのは無理です。半分、いや半分に近い割合は「力量」が握っているというのが彼の考え方です。自信を持って言い切ることはできないまでも、「運命というものは変えられると思いたい。そう信じたい」という気持ちが、君主論からはひしひしと伝わってきます。

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