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ユリナ ノ 目

「真理のことば」をふりかえって。

連載第五回目となりました!「ユリナ ノ 目」です。

今月は、ブッダの『真理のことば』を読み解いていきましたが、いかがでしたでしょうか?

収録中、「欲」や「執着」などの話題の流れで
「やっぱり食欲には勝てない!」「おいしいものにはつい執着してしまいます」
と、私が食べ物の話ばかりしていたら、
現場ですっかり“食いしん坊キャラ”になってしまい
最近は、温かい心遣いをしてくださるスタッフさんが、収録の時においしいお菓子を差し入れてくださったりします‥。
とても嬉しくて、収録の合間の私の密かな楽しみになっているのですが、ちょっと恥ずかしくもあります(笑)


食に対する執着を始めとして、人には沢山の欲や執着があると思いますが、
ブッダはその「執着」を捨てるように説いています。

このブッダの教えに対して
執着は必ずしも悪いモノなのか?
その執着心が何かしらの向上心にも結びついたりするのでは?
というハテナが頭に浮かびました。

それを佐々木先生にうかがうと、
「『真理のことば』は心の病院なんです」というお答えをいただきました。

心の病院。つまり、この本の言葉は心に苦しみや悩みを抱える人を対象としたものであるということ。
ですから、「執着を捨てよ」というのは、執着によって苦悩する人々に対する言葉であって、執着心が向上心などプラスの流れを生み出している人はそのままでいいのだそうです。

『真理のことば』は、苦しんでいる人を受け入れてくれる場所。そうでない人は来る必要のない場所なのです。

さらに、「苦悩を抱えて一度ブッダの教えに従った人でも、必要がなくなれば、自分の教えを捨ててよい」ともブッダは言っているそうです。

まるで「悩んだら気軽に私の教えを利用してね」と言うかのような優しさを感じますね。


ブッダの“心の病院”———
私は、この“病院”はいわば“心の自己治癒力”を養う場所なのだと感じました。

ブッダの考えの根本は「自灯明・法灯明」

つまり「他の誰も自分を救ってくれない。だからブッダの法で道を照らし出し、自分の目で世の中を正しく見て、自分で自分を救うしかない」という考え方ですから、自分の力で立ち上がる“自己治癒力”を育てるよう、ブッダは促しているように思えます。

自分で考えて、その場で一番大切だと思うものを選びとる。
だから、必要がないと自分で判断したならば、ブッダの教えでさえ捨ててもよいのだとブッダは説いたのでしょう。
なんて合理的な考え方でしょうか。そして、なんて優しくて厳しい教えでしょうか。


本当に必要なものを見極める目は、物も情報も溢れている時代である現代には
特に必要とされていると思います。

また3月11日の大震災以降、私たちが見つめ直さざるを得ないと
実感したことだとも思います。

私もそんな目を育てて、もっとシンプルな幸せに近づいていきたいと、この頃つくづく感じています。


まずは、お菓子への執着を捨てるところからでしょうか(笑)


次回からは、初めて女性の先生をスタジオにお迎えして
『君主論』を読み解いていきます!
どうぞお楽しみに!

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