ページの本文へ

WEBニュース特集 愛媛インサイト

  1. NHK松山
  2. WEBニュース特集 愛媛インサイト
  3. めくるめく“旧車”の世界

めくるめく“旧車”の世界

  • 2023年05月17日

小さな町の駐車場に、ぞくぞくと車が集まってきた。日産スカイラインやトヨタセリカなど日本の名車のみならず、フォードやポルシェまで。愛媛県西予市で開かれたイベントでは奇跡のような出会いが待っていた。

(NHK松山放送局 宇和島支局 山下文子)

おっと、国内外の年代物の車60台。往年の名車の数々がずらりと並んでいるではないか。
会場となったのは、西予市野村町の乙亥会館の駐車場である。
ブロロロと響く走行音に、立ちこめる排気臭。時代を飛び越えてやってきた名車が並ぶ夢のような光景に、私は興奮を抑えることができなかった。
5年前、この場所は土砂にまみれた家財道具などが山積みになっていた。2018年の西日本豪雨で濁流が押し寄せた被災地だったのである。

兵頭史朗さん

主催者は、地元に住む兵頭史朗さん(71歳)。
38年前、車好きの仲間とイベントを立ち上げたのが始まりで、東日本大震災のあった2011年からはチャリティイベントとして開催している。ことしの開催はコロナの影響で4年ぶりとなった。

「チャリティとして開催するのはことしで10回目です。5年たったけど人々の心にはまだ傷が残っています。『忘れないことも支援』と思って少しでも自分たちにできることはないだろうかと。いい人たちがいい車を連れてやってきてくれるので本当にありがたい」

「車のオーナーたちにも皆それぞれのドラマがあるから、ぜひ聞いてみてほしい」と話す兵頭さん。やってきた人たちに話を聞いた。

ひときわ目を引く真っ赤なボディ。長く平べったいボンネットに、特徴的なヘッドライト。1968年式のトヨタ2000GTだ。国産車初のスーパーカーとも言われる名車中の名車である。オーナーは、岡山県から参加した常定功さん(57歳)。父親から受け継いで50年、大切にしているという。

常定功さん

「昭和46年に父親が東京から岡山まで、ちょうどできたばかりの東名高速道路を走ってこの車で帰ってきたんです。僕は5歳くらいで当時は価値もわからずにこのボンネットを滑り台代わりにしていました。父、母とあちこちドライブした思い出があります」

当時も人気の車種ではあったものの、今では希少価値も高く、状態のいいものではオークションでは1億円になることもあるという。メンテナンスも一筋縄ではいかないだろう。

「もう手に入らなくなった部品もあるんですが、家業が製造業なのでないものは作ります。コロナ禍に思い切って仲間たちと協力してエンジンを下ろしたんです。オーバーホールしても水漏れがしますがこの車はもう家族ですから」

阪野智枝子さん

女性のオーナーも見つけた。松山市でカフェを経営しているという阪野智枝子さん(54歳)。
ファミリーカーセダンの王道、1972年式のダットサンブルーバード510の横に立つジーンズ姿が粋だ。ご主人が結婚前に19歳の時に買ったもので、5年前にサビだらけだった車体をレストアしたという。

「主人は7、8年前に亡くなってしまったのですが、私がこの車に乗りたくて直しました。自分が動かしているという気持ちになれるので運転していてすごく楽しいんです。古い車ってかわいいですよね。一台一台個性があって。「ぶるお」と呼んでます。今はこの車が彼氏みたいな存在ですかね」

阪野さんは、他にもう一台、赤いB10型サニーも所有している。その車は「さにこ」と呼んでいるのだとか。

子どもの頃の夢を叶えた大人たちにも出会った。
80年代に激しいカーアクションを繰り広げたテレビドラマ「西部警察」の警察車両ことスカイラインRS。赤と黒のツートンボディに「4VALVE DOHC RS-TURBO」の文字も忠実に再現されている。
子どもの時にあこがれた車を手にしたのは、松山市のディーラーに勤務する大下孝次さん(47歳)だ。

大下孝次さん

「小学5年生のときに、夕方の再放送を見ていました。車のイメージそのものがドラマという強烈な印象があってまさに男のロマンです。夢を手に入れました。自動車業界に就職したのも、このとき受けた衝撃が影響しているのは間違いないですね」

そして、漆黒のボディの中央部に赤く光るライト。まさか、あの車は!!
80年代に大ヒットしたアメリカのアクションドラマ「ナイトライダー」のドリームカー「ナイト2000」ではないか。ここで出会えるとは、まさに奇跡のようだ。

大興奮でカメラを構えていた私に「この車ご存じですか」と渋い声で話しかけてくれたのは、オーナーの曽我部智博さん(48歳)だ。四国中央市で一級建築士として事務所を設けている。

曽我部智博さん

「小学生の時にドラマを見て、稲妻が走りました。大人になって、一番好きな車を手に入れたらどんなに楽しいだろうと思って。しばらくは、本当に自分の車なのかって思うほどでした。所有して何年も経つんですけど、乗るたびに非日常を味わっています」

外装もさることながら、その内装にも驚く。ダッシュボードからハンドル、シートに至るまで想像を超えるレベルで再現されているのだ。言葉をしゃべる機能まで搭載されているではないか!ドラマの世界からそのまま飛び出してきたかのような一台なのである。
会場では、ひっきりなしに人々が訪れている。オーナーの曽我部さんは、快く運転席にも座らせてあげている。

「最初は自分のために作った車ですが、イベントなどで多くの人が車を見て喜んでくれるんです。この車が大好きだという人にたくさん出会いますし、その人たちが喜んでくれると私だけでなく、車も喜んでいるみたいな気分になってとても幸せな気持ちになります」

年代物の車には、修理もつきもの。しかし、苦労を感じたことはないという。古いものは壊れる。でもきちんと修理すればずっと長持ちをする。直していくほどに愛着が湧くという。

修復中の筆者の愛車 マツダシャンテ
 

かくいう私も車が大好きだ。現在、修理中の車は、私より5歳年上の1974年式のマツダシャンテ。わずか360ccだがエンジン音は心臓の鼓動のように力強い。なぜこんなにも古い車に心を奪われるのだろう。時代とともに自動車も進化し続けているのにも関わらず、この会場にいた誰もが「おっと、懐かしいな」「このデザインはたまらん」「大事にしとるな」とほおを緩め、お互い初めて顔を合わせたとは思えないほど会話が弾んでいる。イベントは4年ぶりということもあって再会を喜ぶ人たちも多く、会場は笑顔であふれていた。車たちが次々と人々を結びつけていくのだろう。主催者の兵頭さんがいったとおり「いい車にいい人たちが集まっている」と感じた。

西日本豪雨の被害を受けた乙亥会館の駐車場

参加した野村町のある男性の言葉が忘れられない。
「被災当時、ここはゴミの山だった。でも今こんなに美しい車たちが並んでいる。本当に夢のようだ」と。復興はまだ道半ばかもしれない。でも、もしほんのひとときでもこの夢のような光景を見て心がワクワクすれば、それがまた一歩、未来へ進む原動力になるのではなかろうか。

  • 山下文子

    山下文子

    2012年から宇和島支局を拠点として地域取材に奔走する日々。 鉄道のみならず、車やバイク、昭和生まれの乗り物に夢中。 実は覆面レスラーをこよなく愛す。

ページトップに戻る