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波紋を呼んだ 愛媛県別子山の「地域おこし協力隊」動画

ディレクターが現場で見たこと
  • 2023年04月14日

愛媛にやってきた地域おこし協力隊が、地域住民とのトラブルが原因で退任した経緯を赤裸々に語った動画が380万回再生され、世間で物議をかもしました。
いったい何があったのか。
私たちは協力隊と地域住民、双方のもとを訪ねました。

(NHK松山放送局 髙橋英佑/大久保凜)

物議をかもした動画

今回の取材の発端となった動画が投稿されたのは2022年の暮れ。
そこには「地域団体と関係が劣悪に」「ストレスから体調不良」といった、退任に至るまでの経緯が赤裸々に語られていました。
派手な演出があるわけではなく、ナレーションもない。
地域で撮影された映像に淡々と表示されるテロップからは、怒りや憤り、失望といった、様々な感情が伝わってきました。

投稿された動画より

再生回数はこの記事が書かれた2023年4月現在で380万回に達し、投稿された当時はSNSだけでなく、ニュースなどでも扱われて話題になりました。

動画の投稿者はいま

私たちは動画の真相を確かめようと、投稿した本人にコンタクトをとることにしました。

複雑な感情を抱いていることは間違いなく、すでに引っ越しをして新天地で新たなスタートを切っていることを考えると、取材に応じてもらえないかもしれない。そんな不安を抱いたままメッセージを送信しました。

返事が来たのは3時間後。

「ご連絡いただきありがとうございます。私にできることがありましたらぜひ協力させてください」

少し拍子抜けするほどの快諾。
一方で「きちんと伝えたい」という、覚悟のようなものも文章から感じました。

何度かやり取りを重ねた後、実際に会えることになりました。
移り住んだ先を訪ねると、私たちが間違えないように建物の前までわざわざ出迎えてくれました。

動画を投稿した柳生明良さん。
落ち着いた口調で冷静に語る姿が印象的でした。

動画を投稿した柳生明良さん

「(動画を投稿したことについて)不思議と後悔はしてないですね。自分も考えがあって分かってほしかったっていうのと、泣き寝入りで終わりたくないっていうのもあったし、この動画が出なかったら何一つ変わらなかったと思うんですよね。地域おこし協力隊という制度の隠れた部分とかも」

現在は3人の子どもと妻の5人暮らし。
移住先で古民家の改修をしながら、その様子を動画で投稿する生活を送っていました。

柳生さんは地域おこし協力隊として活動していた愛媛でも同じように古民家改修の動画を投稿していたので、文字通り、ゼロから再スタートをきっていました。

休日に再び柳生さんを訪ねると、一家は地域の祭りの準備に参加していました。

台所をのぞくと、そこにはイノシシ肉でカレーを作る柳生さんの姿が。
このイノシシ肉、以前協力隊として暮らしていた新居浜市別子山地区の知人が分けてくれたものだといいます。

イノシシ肉

慣れた手つきで肉を切りながら、別子山でもよくイノシシを食べていたと笑顔で話す柳生さん。
聞くと、さばき方を教えてくれたのは別子山で知り合った“和田さん”という人だったと教えてくれました。

「和田さんが仕留めてくれたイノシシとかいっぱい分けてくれて。イノシシ肉料理もふるまってもらったこともありますし。猟に行ったときは解体が終わった後とか、みんなでちょっと団らんしたりしましたね。お酒とかもたまに飲みながら。和田さんは懐は深い人だとは思います。純粋にうれしかったですね」

新しい地域で地元の人たちと和気あいあいと過ごし、別子山にいた頃の話も楽しそうに語る柳生さんは、トラブルを起こすような人には見えませんでした。

“イノシシ鍋のお出迎え”から始まった別子山の取材

私たちは別子山地区の和田さんとも連絡をとりました。
イノシシのさばき方を柳生さんに教えてくれた和田さんですが、柳生さんとトラブルになった相手でもあったのです。

和田輝世伸さんは、別子山で地域団体の代表をしていました。
電話して「直接会って話を聞きたい」と申し出ると、自宅へ来るように言われました。
私たちは雪の降る中、松山から車で2時間ほどの場所にある別子山へ向かいました。

到着した私たちに、和田さんは自ら獲ったというイノシシの鍋を振る舞ってくれました。
寒い中、遠方から来る私のために準備してくれたそうです。

イノシシをふるまう和田さん

鍋をつつきながら柳生さんとの出会いについて聞くと、当時も同じようにイノシシ鍋を振る舞って歓迎したといいます。

和田輝世伸さん
「好青年やし、夫婦で来てくれるしね。子どももおるし。これ以上、別子山にとっていいことないなと思いましたよ。だから手たたいて、万々歳じゃなっていうふうな感じでしたね」

柳生さんの名前を出しても嫌な顔をせず、むしろうれしそうに話してくれました。

取材の間も「イノシシの肉は体がぬくもりますからね」「そんな臭いことないじゃろ?」と気にかけてくれて、動画を見て抱いたイメージとは違う、気さくな印象を持ちました。

両者は最初から対立していたわけではなかったのです。

意見の相違を生んだ、畑

では、なぜ両者はトラブルになったのか。
和田さんに尋ねると、10年ほど前から仲間と一緒に管理している畑に連れていってくれました。

地域おこし協力隊の人にも入ってもらい、サトウカエデや朝鮮人参を育てて、町の特産品にしようと作った畑なんだといいます。

サトウカエデの木

10年たってもサトウカエデは細いまま。
朝鮮人参も成長せず、いまだに収益化のメドはたっていません。

「協力隊の力も借りて畑をなんとかして地域活性化につなげたい」という和田さん。
「この畑の作業以外にも別子山の役に立つ活動があるのでは」と考えた柳生さん。
両者の認識の違いが、深い溝へと発展してしまいました。

あいまいだった「地域活動」の定義

和田さんと柳生さんとの間に認識の食い違いができた理由の一つとして、地域おこし協力隊に求められる「地域活動」の内容があります。

地域おこし協力隊の活動内容は、受け入れ側の各自治体の判断に委ねられています。

柳生さんが選んだ別子山は、8割は自分でテーマを設定して活動することができ、2割は「地域のため」にあてることとされていました。
具体的な活動内容までは書かれてなかったため、柳生さん、和田さんそれぞれが自分たちなりの「地域活動」をイメージしていたのです。

“生まれ故郷に再びにぎわいを”という強い思い

そもそもサトウカエデや朝鮮人参が別子山で育つ確証がないまま、なぜ和田さんはそこまでして畑を作ったのか。

そんな疑問をぶつけると、和田さんは1枚の写真を見せてくれました。

右:髙橋ディレクター

写っていたのは、父親の秋廣さん。
新居浜市に合併される前の最後の別子山村長だったそうです。

和田さんの父・秋廣さん

「親父も地域の皆さんにお世話になったわけじゃないですか。だから少しでも恩返しができればという気持ちでやっています。できれば我々の代でこの地域を最後にしてしまうという形にはしたくないんです」

別子山にはかつて銅山があり、労働者が多く住んでいました。多い時で約12000人。
しかし50年前に閉山してから過疎化が急激に進み、現在の人口は120人ほどに減ってしまいました。

賑わいのあった頃を知る和田さんだからこそ、縮みゆく地域を黙って見過ごせない思いがありました。

「小中学生の頃は、友達もたくさんいましたし、バドミントンやテニスコートもあって、にぎわっていました。私の人生の中でもけっこう楽しい時間だったと思いますね、今振り返れば。特産品のようなものを作らなかったら、このままじゃ終わりじゃないですか。だからわれわれが頑張ってなんとかしたろうと…」

「別子山を良くしたい」という思いは協力隊にも

動画を投稿した柳生さんにも、別子山に貢献したいという思いはありました。

東京で生まれ育ち、7年間小中学校の教員を勤めていたという柳生さん。
コロナ禍で人生を見つめ直し、自らの手で事業を行いたいと一念発起して教員を辞めました。

教員時代の柳生さん

その後はプログラミングやネット販売、そして動画づくり…。
可能性を感じたことに果敢に挑戦していきました。

そんなある日、「地域おこし協力隊」という制度の存在を知ります。
地域おこし協力隊の制度は2009年に始まった総務省の取り組みで、都市部から地方に移り住んで地域の活性化をサポートすることを目的とします。
任期は1年~3年で、給料や生活費も国がまかないます。

柳生さんはこの制度を知った時、「協力隊をやりながら起業の準備をすればいい」と、当時の自分にとって一番いい選択肢だと感じたそうです。

柳生さんはすぐに検索して、その日中に電話。豊かな自然にひかれて別子山に応募しました。

柳生さんが別子山で成し遂げたかったこと

応募したときに書いた文章を柳生さんに見せてもらいました。
家族で定住する覚悟で就任したこと。
そして別子山のことをより良くしたいという思いがつづられていました。

柳生さんが地域おこし協力隊に応募した時の文章

就任後、念願だった古民家の改修とその様子を撮影した動画の投稿をはじめました。

「別子山の商品を僕の動画で紹介して、この人が紹介する商品だったら買おうかなって思えるような仕組みをつくっていこうと思っていました。動画を通じて別子山の魅力を伝えて、移住を考えている都会の若者や、別子山に来たいと思ってくれる人たちの背中を押せる存在になりたいと思っていました」

“たった1人の卒業式” 別子山に残る現実

3月。
別子山地区にも卒業シーズンがやってきました。

地域団体の代表の和田さんは、別子小学校の卒業式に来賓として出席していました。
今年度の卒業生は1人だけでした。

卒業式に出席する和田さん

「子どもが育つのはうれしいことですが、同時にさみしいですね。できればもっとたくさんの子どもたちがいて、子どもの声が至る所で聞こえる、そういう地域であったらいいなと思っています。現実はだいぶ違いますけどね…」

動画を投稿した柳生さんの3人の子どものうち、2人は小学生でした。
柳生さん一家が離れたことで、子どもの声が響く地域にしたいという和田さんの願いとは真逆の結果になってしまいました。

手前:髙橋ディレクター

「柳生くんの子どももいなくなって非常に残念ですね。できればこの地にいて一緒にやっていけたらよかったと思います。最初は非常にいい雰囲気でした。それがだんだんと離れていった。会話もない。そういう状況になってしまったのですが、もう一歩踏み込んで会話がちゃんとできる状況づくりをすれば、少しは変わったのかもしれません」

動画を投稿した柳生さんも、もう少し何かできることがあったのではないか、思い返すことがあるといいます。

「本当に話し合いが足りなかったですね。もっと地域の団体の人と話し合う機会を作っていけばよかったと思います。こちらから何かアクションを起こせばよかったなと今思います」

そのとき行政は

和田さんと柳生さん、双方がコミュニケーション不足を感じていた一方で、協力隊員を雇う行政側はどう考えていたのでしょうか。

別子山支所の鍋井慎也支所長に話を聞くと、和田さんの畑仕事は強制ではないため、具体的な作業を指導することはなかったといいます。
トラブルについても把握しておらず、両者の間を調整することもありませんでした。

新居浜市別子山支所長 鍋井慎也さん
「地域団体と隊員のあいだでのトラブルはお互い両方から聞いておりません。畑仕事に出る、出ないは本人のスケジュールを優先していましたので、地域活動への参加については言っておりましたけれども、未来プロジェクト(和田さんの畑)をしろということは言っていません」

取材を終えて

髙橋ディレクター
動画をきっかけに、大きな波紋を呼んだ今回の一件。取材を通してわかったのは、両者の考える「地域おこし」像のすれ違いが根本にあったのかもしれない、ということでした。それが表面化したのが、畑をめぐる仕事の進め方だったのだと思います。
地域おこし協力隊の増員を国が計画している中で、この問題を別子山固有の問題と捉えるのではなく、協力隊が地域にどう向き合うのか、受け入れる地域はどうあるべきか、そして行政が果たすべき役割は何なのか。
さらに深掘りして取材していく必要があると感じました。

大久保ディレクター
地域おこし協力隊にキラキラしたイメージを抱いていた私にとって、柳生さんが投稿した動画に大きな衝撃を受けました。
取材を進める中で印象的だったのは、柳生さんと地域側が抱いた後悔が同じだったこと。
ちょっとしたボタンの掛け違いですれ違いは起こり、互いに直し方がわかっていても、直せない。
そのことに残念さと問題の複雑さを感じました。

  • 髙橋英佑

    髙橋英佑

    2020年入局のディレクター。趣味はフィルムカメラを持って街中を歩くこと。愛媛は歩きがいがあって楽しいです。

  • 大久保凜

    大久保凜

    松山放送局ディレクター 2022年入局。 愛媛が初めての一人暮らし。

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