
「自分が開発に携わったものが社会の役に立つ日を待ち望んでいました。この衛星に10年以上関わってきたことや、多くの人の期待を考えると残念です」。
3月7日午前10時37分。
愛媛県久万高原町の空は少しかすみがかっていました。
地球観測衛星「だいち3号」を搭載したH3ロケットの打ち上げ失敗。
JAXA=宇宙航空研究開発機構でこの衛星の開発に携わっていた元職員の男性は打ち上げを見守った展望台で呆然と立ち尽くしていました。
(NHK松山放送局 中間太一朗)
新たな観測衛星「だいち3号」

今回、H3ロケットに搭載された「だいち3号」。
高度670キロの宇宙から地上にある80センチの物体を識別できるといい、撮影された画像は、南海トラフ巨大地震などの災害対策に役立つと期待されていました。
国内有数の専門家

片山晴善さん、47歳。
かつてJAXAの主任研究開発員として活躍していました。
謙虚な人柄で、わたしが取材にうかがうと、いつも優しい表情で、少し小さな声で話してくれます。
専門は宇宙から地球を撮影するための「光学センサー」の研究で、この分野では国内有数の専門家だといいます。

片山晴善さん
「開発した衛星が、宇宙から地球を見守ってくれる。これから先、何年も何十年も。こんな感動的なことはないし、まるで自分の分身が宇宙空間にいるようです」
「だいち3号」の光学センサーも、片山さんが中心となって開発を進めてきました。
開発に着手してから10年以上、たくさんの困難を乗り越え、「だいち3号」は初代の性能を大きく上回る観測衛星として完成しました。
宇宙の魅力にはまった少年時代

星がきれいに見えることで知られる愛媛県久万高原町。
片山さんは中学生までここで育ちました。
小学5年生の時に望遠鏡で見たハレーすい星が宇宙に興味を持ったきっかけだといいます。
「学校の勉強は授業を聞いておけばなんとかなっていました。それよりも、当時から宇宙のことが大好きだったので、空いている時間があると、ずっと宇宙関連の本を読んでいました」
宇宙関連の本と言っても図鑑のようなものではありません。
当時の愛読書は、科学雑誌「Newton」。
わからない用語があれば、別の専門書で調べて読み解こうとするほどの熱中ぶりでした。
趣味から研究へ

大学時代の片山さん
中学を卒業後、高校からは関西で過ごしました。
天文学を専攻したいと、大阪大学の理学部に進学。
「地元を出て、都会の学校に行けて正直嬉しかったです。もう帰ってくるもんかって、当時は思っていました。大学では、地球から星を観測するためのセンサーの開発をしていました」
大学時代は、研究、アルバイト、サークル活動で大忙しでした。
どんなに忙しくても大学の単位は落とさなかったそうです。
阪神・淡路大震災で自分の道を決めた
そんな片山さんの人生を変える出来事が起こります。
1995年1月17日、阪神・淡路大震災。
大学2年生の冬でした。
同じ大学からも犠牲者がでました。
「被災地にボランティアに行きましたが、何の役にも立てないという無力感でいっぱいでした。こういう時に、人の役に立てる仕事ができたらいいなと、その時からずっと思い続けてきました。
それまでは地球から星を見るためのセンサーの研究をしていたんですが、今後は宇宙から地球を見守る側に生かすことができないかと考えを変えました」
地球から星を見るのではなく、宇宙から人の命を守れないか。
片山さんは将来進む道を決めました。
研究に没頭する日々を過ごし、卒業後はJAXAに就職。
被災した時に抱いた決意を実現するため、一歩を踏み出しました。
信頼される研究者へ

JAXA時代の片山さん
「宇宙開発はどんなにいいものができても満足できないんです。打ち上げられた瞬間は、100%やりきったと思うことがほとんどです。でも、データが地上に送られた時に、ここはもうちょっと改善した方がいいな、もっとよくできたなと感じるんです。それこそが宇宙開発の魅力なんです」
JAXAの研究者としての生活は充実していました。
これまで片山さんが関わった衛星が打ち上げられたのは、3回。
豊富な知識と冷静な判断で、現場では欠かせない存在になっていました。
「だいち3号」の光学センサーの開発は、片山さんなしでは実現しませんでした。
「だいち3号の光学センサーは4枚の鏡でできているんです。
その鏡の性能がいいのはもちろんなんですけど、打ち上げの衝撃にも耐えられないといけないんです。精度と硬性をいかに両立するかが難しかった」
訪れた転機 介護のため退職
研究者の道を順調に歩んでいた4年前。
突然の知らせが届きます。
父、敏明さんが脳出血で倒れ、緊急入院したというのです。
一命は取り留めましたが、会話することができなくなっていました。
片山さんは当初2020年度に予定されていたH3ロケットの打ち上げを見届けたあと、介護のために退職することを決心。
しかし、新型のメインエンジンの開発が難航するなど、打ち上げ延期が繰り返されます。
結局打ち上げを見届けることはかなわず、3年前に久万高原町に家族とともに戻りました。
「最後まで携わりたかったというのはありますね。実際にものを見ながら触って作ることって、すごく楽しかったので。しばらく、もんもんとしていました」

リハビリに付き添うため病院に通う日々。
これまでの生活が一変しました。
そんなある日、JAXAから連絡がありました。
「客員として、開発のサポートをしてくれないか」
再びプロジェクトチームに参加しないかと打診されたのです。
「私自身もここまで携わっていたので、やらせてほしいと思いました。こういう視点でデータを取ってみたらどうかなどアドバイザー的な役割です」
これまで顔を合わせて共に開発をしてきた仲間たち。
片山さんは、遠く離れた久万高原町からリモートでサポートを続けました。
父が他界
打ち上げを目前に控えた2月7日。
厳しく冷え込んだ朝でした。
片山さんの父、敏明さんが亡くなりました。
生前は寡黙だった父。
片山さんの仕事を誇りに思い、陰ながら応援していたということを母から聞きました。
「もっと父と話しておけばよかった。父がつくば宇宙センターに見学に来た時、自分の仕事を紹介したんです。その時、いつもと違った表情を見せてくれて、非常にうれしそうにしていました。
母によると、私が携わった人工衛星が打ち上げられる時には、毎回、楽しみにしていてくれたみたいです。今回の打ち上げは、空から見守ってくれているはずです」
そして最後にひと言、小さな声でつぶやきました。
「自分が関わった衛星が宇宙に行くのはこれが最後だと思います」
運命の日
3月7日。
季節は春へ移りつつありました。
この日、久万高原町の展望台に片山さんの姿がありました。
最後は自分の目で確かめたいと、ロケット雲が見られる可能性がある、この展望台にやってきたのです。
「楽しみだけです。ここから種子島は遠いですけど、うっすらでもいいのでロケット雲が見えるといいですね。無事にいけると思います」

午前10時37分。
H3ロケットは打ち上げられました。展望台では喜びの声が広がりました。
そこで突然のアナウンス。
「ロケットはミッションを達成する見込みがないとの判断から指令破壊信号を送信しました」
その時、一瞬何を言っているのか分かりませんでした。
しかし片山さんだけは、すでに起こっていることを理解しているようでした。
片山さんから笑顔が消えていました。わたしが取材を始めてから、初めて見せる表情でした。
「今回は打ち上げ失敗ということになります。衛星は宇宙にいってなんぼです。これまで関わってきてくれた人に本当に申し訳ない」

落胆する片山さん。
だいち3号は、ミッションを始めることなく散ってしまいました。
“夢”はつづく
打ち上げが失敗に終わった2日後、改めて片山さんに思いを聞きました。
「宇宙開発は残酷です。とにかく成功しないといけません。でもその裏には、多くの失敗があって、ときには自分の開発したものが無になることだってあります。でも諦めないことが大切なんです。困難を乗り越えて、開発を続けていけばきっと成功が見えてくると思います。だいち3号のプロジェクトも何回も終了の可能性がありました。それでも諦めないでここまできて、形にしてきました。そういう人たちの思いがここまでつながってきていることは大切にしてほしいです」
そして、片山さんたちのプロジェクトを支えてくれた部品メーカーの仲間たちへの思いも話してくれました。
「関わった部品メーカーのみなさんにはコストや納期の面で無理を言って開発してもらいました。彼らの顔を思い浮かべると申し訳なさでいっぱいです。打ち上げのあと、メーカーの方からメールが届いたんです。そこには、また一緒に仕事をしましょうって書いてありました。そんなこと言ってもらえるなんて、涙があふれました」
ショックは癒えていないはずなのに、片山さんはみずからを奮い立たせ、自分の知識や経験を後輩たちに受け継いでいくことを決意していました。
取材を終えて
「愛媛の山あいに、JAXA関係者が?」
片山さんの存在を初めて聞いたとき、驚きました。
何をしていた人なのか、なぜ久万高原町にいるのか。
実際に会ってみると、やさしい人柄のなかにある「強さ」が印象に残りました。
何よりも、少年のころから現在まで宇宙が大好きな気持ちを持ち続けていることこそが、多くの困難を前にしても、夢を諦めない強さにつながっていると思います。
そこには「執念」すら感じました。
新たな地球観測衛星が宇宙で活躍する日は必ず来ます。
その時、今回の「だいち3号」の技術が引き継がれ、今後起こりうる災害から1人でも多くの命が守られることを願っています。
それは、誰よりも片山さんが望んでいることです。