
愛媛県西予市では、全国でも珍しいという、ブタの放牧をしています。
しかも急斜面で。
放牧する場所が無いからではありません。あえてここで育てているのです。
それはいったい、なぜなのか。
調べてみると、そこには「一石二鳥」いや、「三鳥」も狙える、重要な目的がありました。
(NHK松山放送局 望月悠伍)
耕作放棄地を活用したブタの放牧

訪ねたのは西予市の三瓶町皆江地区。
海と山に囲まれた人口およそ300の小さな集落で、かんきつ類の栽培と漁業が盛んな地域です。
集落に点在する、合わせて40アールほどの土地でブタたちは全部で30頭ほどを飼育しています。
飼育されているのは、生後2か月から6か月の「三元豚」という品種。
まだ子どもと思うかもしれませんが、生後5か月でも体重は100キロに達し、生後6か月ほどで出荷できる大きさに成長し、私たちの食卓に並ぶ食肉となります。
実はブタを飼育している場所は、元々は畑や農園だった「耕作放棄地」。
その痕跡を示すのが、放牧地に積まれた石垣です。

今回取材で訪れた場所は10年以上放置され、草はボーボーに生えて地面はカチカチに固まっていて、とても農業を再開できる状態ではなかったそうです。
始まりは「アニマルウェルフェア」

耕作放棄地でブタの放牧を始めたのは、養豚農家3代目の長岡慶さん(25)です。
最初は「アニマルウェルフェア(動物の福祉)」の観点からブタたちのストレス軽減を目指して2022年3月に始めたそうです。
「アニマルウェルフェア」という言葉は、動物園の取り組みとして耳にしたことがある人もいるかもしれませんが、もともとは畜産のあり方を問い直す考え方です。
※この記事の最後に「アニマルウェルフェア」についての記事のリンクがあります。
長岡さんは狭い豚舎に閉じ込められたブタたちを見て、なんとか環境を改善できないかと思ったそうです。
養豚農家 長岡慶さん
「私は幼いころから窮屈そうなブタたちを見て、もっとストレスなく育ててあげたいと考えていました。そこで始めたのが放牧です。効率はかなり落ちますが、ブタのストレスは確実に減っていると思います」
長岡さんによると、放牧してみるとブタは活発に動き回り、本来ブタが持っている好奇心旺盛な性質が表れはじめたといいます。
そして豚舎にいるブタとは表情も違うんだとか。

表情の違い、分かりますか?
「アニマルウェルフェア」に基づいて飼育された家畜が、これまで見せたことがない姿を見せることは、よく知られていることです。
さらに放牧をすることで変わるのが、その肉質です。
養豚農家 長岡慶さん
「特に脂身は溶ける温度が低くなったようです。通常飼育の肉だと約40度で溶け始めますが、放牧豚の肉は30度台で溶け始めます。食感として口溶けが柔らかくなり甘みも増した感じがすると思います」
長岡さんが放牧して出荷したブタは、松山市内の精肉店や高級レストランで扱われ始めています。
でも長岡さんがブタを放牧するのは、おいしいお肉を提供するためだけではありません。
別の狙いもあります。
全国ワースト4位 深刻な「耕作放棄地」問題
それが冒頭で出てきた「耕作放棄地」の解消です。
農林水産省の統計によると、愛媛県は2021年の時点で「耕作放棄地」の面積が1万4,533ヘクタール。
愛媛県最大の離島、大三島の約2.2個分に相当する規模です。
これは全国で4番目の広さになります。

耕作放棄地が多い主な理由は農家の高齢化や担い手不足ですが、愛媛の場合は、基幹農業である「かんきつ栽培」が急斜面で行われることが多いため、とくに重労働だとされています。
そのため今後も耕作放棄地は増え続けると予想されています。
耕作放棄地が増えると、地域にとって見過ごせない問題がいくつも生じてきます。
①景観の悪化
畑に草木がボーボーに生えた状態は当然、見た目がよくありません。
外から訪れる人の印象も悪いですが、住んでいる地元の人にとっても、「ふるさとが廃れていく…」という感覚が広がり、若者の流出も加速すると懸念されています。
②害獣の住みかになる
愛媛県内でとくに深刻なのがイノシシの被害です。
草が生い茂った場所は身を隠すには好都合。
イノシシはそうした場所を住みかにして周辺の田や畑を荒らすのです。
人に遭遇しても危険です。
長岡さんが放牧を行っている西予市には、愛媛県内の耕作放棄地の16%が集中し、地元の行政も対策に苦慮しています。
耕作放棄地の調査・指導を担当する西予市農業委員会によると、耕作放棄地を再び農地へと復旧するにはトラクターなどの重機で草木を伐採する方法が一般的だそうです。
ただ、かんきつ畑の多くは斜面にあって、重機の搬入が難しく、なすすべなく放置されてしまうケースが少なくないといいます。
カギは「ブタの鼻」
「そんな西予市の耕作放棄地の問題を解決したい!」ということで、長岡さんのブタの放牧の話に戻ります。
長岡さんが注目したのは、鼻を使って地面を掘る「ルーティング」と呼ばれる習性です。
ブタは好奇心が強く、土の中が気になって掘り続けるそうです。

ブタのルーティング
養豚農家 長岡慶さん
「ブタは放牧するとルーティングで自ら土地を耕してくれるので、イギリスなどでは開拓の際に重宝されてきた歴史があります。長年放置されてカチカチになった耕作放棄地の土も、ブタはたった1~2か月でふかふかにしてくれるんです」
実際に放牧すると、この行動を盛んに行うようになりました。

その力は成人の女性を軽々と持ち上げるほど。
長岡さんも何度もブタに持ち上げられたそうです。
放置され、カチカチに固まった土がみるみるほぐされていきます。

掘られてふかふかの土
掘り出した木や草の根も、噛み砕いて細かくしてくれます。
表面に生えている草もどんどん食べていって、あっという間に地面が見える状態まで持って行きました。

上:放牧前、下:放牧して2か月後
表面の雑草を食べ尽くすだけでなく、土を掘って耕してくれる。
ここがヤギなど、他の家畜との大きな違いです。
ブタにとっては、そこが急斜面だろうが何だろうが関係ありません。
重機の代わりに小さなトラクターのように耕していきました。
農地も活気も取り戻したい
豚舎で飼育するのとは違って、エサの管理など、放牧はコントロールしづらい側面もあるといいます。
そのため、今はまだ小規模で行っていますが、今後は行政とも協力して放牧できる場所を増やすことを目指し、再び農作物を育てられる農地に戻していきたいと考えています。

養豚農家 長岡慶さん
「もともとは荒れ果てた地域の景観を見て、自分にできることはなんだろうと思い、耕作放棄地での放牧を始めました。今後はブタの力を借りて耕作放棄地を耕すことで農地として再生して、将来的には若い人が就農で戻ってくるきっかけにしていきたいです」
望月の感想
今回取材してみて印象的だったことは、長岡さんの「私の父母のや祖父母の代は家畜の放牧が当たり前でした。今やるとSDGsとか最先端とか言われますが、本当は昔から変わらないことをやっているんですよね」という言葉でした。
今、社会が直面する様々な課題も、原点を見つめ直すことで解決のヒントが見えてくることもあるかもしれないと感じました。