2023年2月20日

松本零士さん 愛媛からも惜しむ声

「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」など壮大なSF作品で知られる漫画家の松本零士さんが亡くなりました。松本さんは戦時中、愛媛県大洲市に疎開していたことがあります。県内でもその死を悼む声が聞かれました。

通っていた小学校では

松本さんは福岡県出身ですが、戦時中は小学1年から3年まで、両親の出身地である大洲市に疎開していました。

当時通っていた、現在の新谷小学校の玄関ホールには、校舎の改築にあわせ平成24年に松本さんから贈られた代表作「銀河鉄道999」の壁画が飾られています。

タイトルは「ふるさとからの旅立ち」で、田園風景が広がる大洲市の空を飛ぶ「999」と、それを眺めるヒロインの「メーテル」などが描かれ、直筆のサインも記されています。

また、掃除の時間を伝える音楽に「宇宙戦艦ヤマト」の主題歌が使われたり、クラスを表示するプレートに「銀河鉄道999」のキャラクターが描かれたりと、校舎の至る所に松本さんの作品が息づいています。

小学6年の男子児童
「『銀河鉄道999』や『キャプテンハーロック』の映画は迫力があって絵もきれいでおもしろかったです。松本先生と会ったことはないですが、絵や曲が身近にあるので、亡くなって悲しいです」

小学6年の女子児童
「松本先生は新谷小学校の自慢を作ってくれた人です。たくさんアニメを作ってくれてありがとうと伝えたいです」

新谷小学校 徳田昭治 校長
「子どもたちからするとやや昔のアニメですが、いまでも松本先生の作品を知る機会があり、子どもたちにとっても誇らしい存在です」

地元の人は

松本さんが小学生時代を過ごした大洲市新谷地区では、生前の思い出とともに松本さんをしのぶ声が聞かれました。

料理店を営む78歳の男性
「訃報を聞いて驚いています。松本さんはコロナ前には毎年秋に新谷を訪れていて、自分の料理店に来てもらったこともあるので、親しみを感じていました」

地区に住む79歳の女性
「さみしいです。昔、息子が松本さんにファンレターを送ったら返事が来たことがあります。いい思い出をありがとうございましたと伝えたいです」

作品の原点となった風景

松本零士さんは小学生時代、大洲市にあるJR予讃線の新谷駅を利用していました。
今はホームだけの無人駅ですが昭和58年までは木造の駅がありました。

地元の新谷公民館によると松本さんは山のふもとを走る旧内子線の風景が「銀河鉄道999」の作品のモデルになったと、後年話していたということです。

かつて暮らした家

松本さんが小学生時代に暮らしていた家は今も新谷地区にあります。
現在は誰も住んでいなく、松本さんのいとこの村本知律さん(73)が管理しています。

村本さんは、松本さんとは年が12歳離れているため一緒に暮らすことはありませんでしたが、松本さんは生前、新谷を訪れるとこの家にも足を運んでいたということです。

いとこの村本知律さん
「家を訪れるたびに懐かしそうに部屋や家の中からの景色を見ていました。高齢だったのでしかたがないことだとは思いますが寂しくなります」

作品は大洲の町おこしにも

大洲市では、地元住民らで作る団体が松本さんの作品を通してまちおこしを行っています。

公民館には作品の模型が

このうち、新谷公民館には団体が手作りした代表作の「銀河鉄道999」に登場する列車の模型や、松本さんが描いた原画のコピーなどが飾られています。

大洲城とメーテルたち

 また、団体では松本さんの作品にちなんだイラストを募集する催しも定期的に開いていて、松本さんが公民館を訪れたときのサインも飾られています。

新谷一万石まちおこしの会 大塚弘一会長
「松本先生はとても穏やかな方で、作品でも新谷の風景をいたるところで描いてもらいました。亡くなられたことは本当に残念ですが、これからも活動を通して先生の功績を伝えていきたいと思います」

公民館の外には、「銀河鉄道999」をモチーフに、松本さんがデザインした石で作られた記念碑も飾られています。

記念碑の製作に携わった地元の石材店の黒田富士夫さんは「除幕式で松本先生が喜んでくださったことを覚えています。新谷にとって大切な存在を失ったと感じて残念です」と話していました。

東映によりますと、松本さんは2月13日、急性心不全のため東京都内の病院で亡くなりました。85歳でした。