2023年2月16日

松山南高校砥部分校存続を 署名2万4000の願い

2022年7月、愛媛県教育委員会の“ある発表”が県内を震撼させました。
少子化の影響で生徒数の減少が続いている学校が多いとして、県立高校や中等教育学校を2027年度までに現在ある55校から44校へと再編する案を示したのです。

その一つが人口約2万の砥部町にある松山南高校砥部分校です。
町唯一の高校存続を訴えて、地元住民が中心となって署名活動を展開したところ、全校生徒107名の学校に、町の人口を上回る2万4389もの署名を集まりました。
さらに、町も2023年度の当初予算案に費用を盛り込み、存続を強く訴える狙いです。

なぜ、これだけ多くの署名が集まり、どんな人が署名を寄せたのか、取材しました。

(松山放送局ディレクター 兒玉 章吾)

保護者の声から始まった3か月の署名活動

「署名を県庁に持って行きます。ようやく決まりました」

2022年12月、私(ディレクター)は携帯に届いたメッセージを受けて愛媛県庁を訪ねました。
会議室に入ると、砥部分校の存続を求めて署名活動を行った”砥部分校存続の会”のメンバーが机に署名を並べていました。

そこにはメッセージをくれた代表の中川礼さんの姿もありました。

中川礼さん

砥部町でパン屋を営み、息子が砥部分校に通っている中川さん。
町外の高校に統合されると知り、在校生の保護者らと存続の会を発足させ、3か月、署名活動を続けました。

目標数を1万近く上回った署名。
県教育委員会に手渡す中川さんの目には涙が浮かんでいました。

砥部分校存続の会 中川礼さん
「これだけの人に託された思いの重さをひしひしと感じていました。本当に多くの人に協力してもらい、砥部分校の“底力”を感じたのでチャンスを与えて欲しい」

涙ながらに中川さんが発した「底力」ということば。
そこに多くの署名が集まった答えがあるのではないかと思い、取材を進めました。

デザインの学び舎を守ろうと全国から集まった署名

松山南高校砥部分校は県内で唯一デザイン科がある県立高校です。

生徒たちは国語や数学、英語などの授業に加えて、パソコンでのイラスト制作やデッサン、陶芸などの知識や技術を学びます。
毎年、全国の芸術大学に合格する生徒を輩出していて、町の地場産業でもある砥部焼の窯元の1/3が卒業生だとされています。

この学校の存続を願い、全国から署名が寄せられました。
こちらは存続の会に届いた封筒をまとめたものです。

中川さんによると、少なくとも27の都府県から署名が送られたということです。
中には手紙も同封されており、活動を応援したり、存続を願ったりする声が寄せられていました。

「砥部分校は心の支え」 感謝の念から署名を集めた人びと

なぜ県内外から署名やメッセージが届いたのか?
そこには卒業生の存在が大きく関わっていました。

きなこっこさん

12年前に砥部分校を卒業した きなこっこさん。
シングルマザーとして子ども2人を育てながら、愛媛を拠点に動画クリエイターとして活動しています。
育児に関する動画をSNSに配信し、そのフォロワー数は25万人を超えます。

きなこっこさんは母校が統合されることを知り、存続の会が街頭で行う署名活動に参加し、SNS上でも協力を呼びかけました。

すると、多くのフォロワーが反応し、中には、街頭署名中のきなこっこさんを訪ね、目の前で署名してくれた人もいました。

きなこっこさん
「卒業生にとって砥部分校は心の支えなんです。あの学校があるから救われた子は多いだろうし、自分の才能を伸ばせる子も多いと思います」

子どものころから絵を描くのが好きで、イラストレーターを志して砥部分校に入学したきなこっこさん。
その夢は実現しませんでしたが、砥部分校で学んだ日々があったからこそ、いまの自分があると感じています。

きなこっこさん
「中学時代は絵を描いていると異様な風景になってしまうんですよね。誰もしていないので。でも砥部分校だったら休み時間に絵を描くのは当たり前で、自分の好きなことをやっていても認められている感じがある。あの場所であの人数でデザインを学べる場がずっと続いていけばいいなって思います 」

「砥部分校に救われた」という人はきなこっこさんだけではありません。

勝浪勇作さん

松山市内でパン屋をしている勝浪勇作さんです。
娘の瑠寧さんを大きく成長させたのが砥部分校だと感じています。

中学時代まで自分の意見を伝えるのは苦手で、授業中、手を上げることはなかったという瑠寧さん。
砥部分校に入学し、好きな絵を集中して学ぶ中で徐々に自信が芽生え、体育祭で選手宣誓をおこなったり、文化祭でデザインした衣装をみずから身にまとって披露したりするようになったのです。

勝浪勇作さん
「子どもを成長させてくれる。デザインだけではなくて、人間的に成長させてくれる学校なんだなと。たぶんほかの学校ではなかなかないんじゃないかなと思いますね」

「学校に恩返ししたい」と、勝浪さんは存続の会が制作したポスターを店内にはって常連客に協力を訴え、700近い署名を集めました。

「砥部分校に救われた」という感謝の気持ちこそが、全国各地の人を巻き込み、多くの署名を引き寄せた底力だったのです。

意外な人たちも署名に協力

「こんな人たちも協力してくれたんです」
そう語ったのは存続の会・代表の中川礼さんです。

見せてくれたのは一枚の封筒で、全く同じものが全国各地から送られていました。

送り主は、松山市にある松山南高校の卒業生たち。
砥部分校の本校に位置づけられ、愛媛県有数の進学校として知られています。

きっかけとなったのが、砥部町出身で松山南高校の卒業生・神野昭子さんです。

中学まで砥部町で過ごした神野さんにとって、砥部分校は“仲間”と感じていました。
その仲間が別の高校に統合されると聞き、居ても立ってもいられませんでした。
存続のための署名活動が行われていると聞き、同窓会のメンバーに同じ封筒を渡して協力を呼びかけたのです。

松山南高校卒業生 神野昭子さん
「私が愛媛にいたころは、なかなか上に意見できない雰囲気があった。だけど、今回は諦めずに、草の根で活動している様子を見て、同じ愛媛県人としての誇りを感じました」

署名を機に生まれた世界とのつながり

砥部分校が育んできたつながりはさらに広がっています。

国の伝統的工芸品に指定されている砥部焼。
窯元の一つを経営する泉本明英さんは存続の会に参加し、署名活動にも携わりました。

泉本明英さん

実はいま、海外向けに新しい砥部焼の開発に取り組んでいる泉本さん。
パリなどで活躍する愛媛県出身の洋画家・智内兄助さんの監修のもと、ヨーロッパの顧客の志向に合ったデザインを探っています。

プロジェクトを進める中で、注目していたのが砥部分校です。
生徒に世界を肌で感じてもらうことで、将来、砥部焼を担う人材が育ってほしいと考えています。

砥部焼の窯元を経営 泉本明英さん
「若い人材が残っていくのが一番の活力。海外のスケール感も含めて、若い時に接することができれば、次の世代の人たちの育成には非常に有効になるんじゃないかなと」

実際、今回の活動をきっかけに智内さんが砥部分校を訪問。
生徒の作品にアドバイスするなどの交流も生まれています。

泉本さんは署名活動を通して新たなつながりが生まれたことで、町と学校がどう発展していくのかを改めて考えるきっかけになったと感じています。

砥部焼の窯元を経営 泉本明英さん
「若い人が活躍できる未来の形が描けたらいいんじゃないかなと。一人ではできないんですけど、いろんな方が集まってくれば、いろんなことができると思うので、いい機会かなと思っていますね」

取材を通して

取材した人が口々に語る「あの学校があったから今の自分がある」という砥部分校への感謝の念。
自分の母校にそこまで強い思い入れがない私にとって驚きでしたが、その熱量こそがこれだけ多くの署名につながったんだと感じています。
同時に、多くの人が「今回の再編計画は学校の価値や意味を再発見する機会になった」とも答えていました。
実際、2023年1月、愛媛県教育委員会との非公開の面談には、存続の会・代表の中川さんに加えて、砥部町長の姿もあり、官民一体となり、砥部分校を支えていく未来図を提案したということです。
その内容も踏まえて、県教育委員会は最終的な再編計画をまとめる時期を、2023年1月中から3月中にするとしていて、2万4000超の願いがどう結実するのか、取材を続けていきたいと思います。

この記事を書いた人

兒玉 章吾

兒玉 章吾

2009年入局のディレクター。
神戸、おはよう日本、首都圏を経て、2018年から松山。
松山では、これまで福祉、防災、原発などの分野を取材。