2023年1月16日

廃線跡にロマンを感じて ~旧内子線をゆく~

草むらをかき分けてたどり着いた場所には、まっすぐに伸びる1本のレールがあった。雨に濡れた落ち葉をまとい、ひっそりとただ静けさの中にある。かつて国鉄時代、松山駅から五郎駅(大洲市)で予讃本線と分岐して、内子駅を終着としていた「旧内子線」の廃線跡である。レールを背に耳を澄ませば、どこからともなく汽笛が聞こえてきそうではないか。

(NHK松山放送局 山下文子/鈴村奈美)

高松駅から宇和島駅を結ぶ予讃本線にはかつて小さな支線があった。
愛媛鉄道「内子線」は1920年(大正9)5月、五郎駅から内子駅までのわずか10キロの区間で開業した。
旅客だけでなく木材や木ろうなどを運ぶ貴重な産業路線だったが、予讃本線に新たな駅が誕生し新ルートが開業したことに伴い、1986年(昭和61)3月に廃線となった。

角田清治さん

現在の内子駅で私たちを待っていてくれていたのは元鉄道マンの角田清治さん(64歳)だ。今回の取材にあたってNHKに残る古い映像をカラー化した映像を見てもらうと、角田さんの記憶は鮮明によみがえり、懐かしさを込めた口ぶりで話してくれた。

カラー化した昔の映像

角田さん
「このカラーリングが懐かしいです。朱色とクリームのこの車両は子どもの時よく乗りました。鉄道が大好きだったので、運転席のそばまで行って、運転台をのぞき込んでました。当時は仕切りがなかったので運転士との距離が近く感じました」

窓側に取り付けられているのが枕

当時、内子線を走っていた車両はキハ20形。青いモケットのボックス席の窓側には、なんと枕があったのだ。

角田さん
「ガタンゴトンと揺れる車内でこの枕に寄りかかって寝ている人がいました。当時の車両には乗客への優しさが感じられましたね。内子から大洲まで歩いて行くと昔は危険な山道だったのでいかに鉄道が町を発展させてきたのかよくわかりますね」

「旧内子線」が廃線となった頃、角田さんは松山保線区にいたという。古いレールが剥がされ、新たにレールが敷かれていく様子を目の当たりにしながら、時代の大きな変化を感じていた。

JR時代の角田さん

角田さん
「廃線といっても完全になくなるわけじゃなかったので、寂しいというよりも新しい路線ができるといううれしい気持ちがありましたね。観光客も増えて地域も活気づくことへの期待が大きかったんじゃないかな」

内子駅を出ると駅前の広場には蒸気機関車が展示されている。C12形231号機だ。
かつて内子線を実際に走っていた蒸気機関車は、昭和45年に引退した。その役割を終えても地域の人に愛され続け、しばらくは内子小学校に静態保存されていた。

鉄道写真家の坪内政美さん

この蒸気機関車を撮影していたのは、鉄道写真家の坪内政美さん(48歳)。かれこれ30年以上鉄道写真を撮影しているその道のプロである。全国各地の鉄道、もちろん廃線にも詳しいという。
「廃線跡にはロマンが詰まっていますよ」と言う坪内さんに旧内子線を案内してもらった。

旧内子駅

今の内子駅から北へ500メートルほど歩くと、内子自治センターに着いた。建物があるこの場所が、旧内子駅のあったところだという。終着駅だったことを思わせるのは、小さな石碑だけだったがそこには「国鉄 旧内子駅跡」と書かれている。

坪内さん
「まさに今ここまで歩いてきたところが、旧内子線の線路跡になります」

今は道路になっている

旧内子線の線路跡は、そのほとんどが道路に転用されている。今まさに歩いてきたこの道は線路だったのか。振り返ると遠くに高架が見え、現在の予讃線であることがわかる。
道路に立つと、線路の軌道が目に見えるようだ。ロマンとはこういうことなのか。

旧内子駅からしばらく道路を歩いてうっそうとした草むらをかき分けていくと、その向こうにレールが見えてきた。本物のレールだ。
今にも列車が走ってくるかのようなきれいな状態で保存されている。長さにして200メートルほどある。まっすぐに伸びるレールは二本松トンネルまで続いているという。
トンネルは塞がれてしまっているが、耳をすませば汽笛さえ聞こえてきそうな雰囲気である。

坪内さん
「このレールの上を列車が走っていることを想像するわけですよ。ああ、ここにあの蒸気機関車が走っていたのかとロマンを感じます。地元や愛好家の人たちがこの場所をすごく大切にしていてときどき草刈りをしたり見学会をしたりするそうです。全国の廃線でもトップ10に入る美しさですね」

レールをよく見ると、「1908」の文字が。
坪内さんによると、このレールは国内で作られ始めた初期のもので、八幡製鉄所で作られたものだという。
内子線の開業が1920年(大正9年)だ。レールが100年以上前からここにあり、地域の歴史を見守ってきたと考えると確かにロマンを感じる。

井上金徳さん

次に五郎駅に向かった。旧内子線の分岐の駅としてたいそう栄えていたという。
ここにもにぎわいをよく知る人物がいた。駅の近くで理髪店を営む井上金徳さん(81歳)だ。井上さんが幼かった頃、五郎駅には立派な駅舎もあり、駅員も10人ほどいたという。

井上さん
「おぎゃあと生まれたときから、この駅を見つめてきました。通学に使っていたし、乗り換えの駅でした。いつも人が多くて物流の駅でもあったので、荷物を乗せたり下ろしたりしていましたね」

無人駅となってしまった今、井上さんが9年前から行っているのが観光列車のお見送りだ。地域の人たちと一緒に列車が通過する時間になると、駅のホームでタヌキの着ぐるみに身を包み、ゆっくり徐行する列車の乗客へ手を振る。時には「いい旅を」と書かれたメッセージボードを掲げて。

井上さん
「五郎駅はかつての賑わいはないけど、この駅を知ってもらえたらうれしいです。手を振っていると乗客の皆さんが笑顔になる。その笑顔を見ると地域のみんなが元気をもらうんよ」

井上金徳さん

雨の日も雪の日も、どんなときも駅のホームで列車に手を振り続ける井上さん。わずか数分間のささやかなふれあいが楽しみのひとつになっている。五郎駅が今も人々の暮らしに寄り添っていることに変わりはないようだ。

全国の廃線跡に感じるロマン

全国に残る廃線跡は、それ自体を観光資源として活用しているところもある。いくつかを紹介しつつ、そのロマンを共有したい。
写真提供:坪内政美さん

士幌線タウシュベツ川橋梁

北海道上士幌町にある旧士幌線の一部である。近くにダムがあり季節によって水没したり雪に埋もれたりすることから「幻の橋」として知られている。
風化が激しく、この橋の上を列車が走っていたことを想像するのはなかなか厳しいものの美しいアーチとそのはかなさにロマンを感じる。

熊延鉄道八角トンネル

熊本県美里町に残る熊延鉄道の遺構である。国鉄とは別の私鉄としてあった路線で、半世紀以上前の1964(昭和39)年に廃線となった。
線路の両側が崩れないために作られたトンネルはなぜ八角形なのか、謎はのこるばかりだが、朽ち果てずにたたずむその姿は当時の建造物の美を現代に残している。

魚梁瀬森林鉄道

高知県馬路村にあったその名の通り、木材を運搬するための鉄道として地域の産業を支えていた。
当時の面影を残す遺構の数々は国の重要文化財にもなっているほか、公園内に復元された軌道には本物の車両を走らせている。運転体験もできるとあってまさに子どもたちにとってもロマンあふれる観光地になっている。

住友別子鉱山鉄道

愛媛県新居浜市にあったこちらも産業鉄道の廃線跡だ。歴史を今に伝える別子銅山の観光施設では、工業のまち、新居浜の技術を集結して当時鉱山で使われていた機関車「別子1号」が復元されてある。復元にあたって地元企業38社の絆が深まり、観光のみならず地域連携も実現したという。ここには地元の廃線を後世に残すものづくりのロマンを感じずにはいられない。

【取材後記】

旧内子線をカラー化したNHKの昔の映像を見てもらうと、皆の口から生き生きとした思い出話があふれ出てきた。今も美しく保存されている廃線跡に身を置くと、当時を知らない私たちはまるでタイムトリップしたかのような気分を味わえる。旧内子線は多くの人々の暮らしを支え、今も愛され続けている。実にロマンを堪能できた取材であった。

この記事を書いた人

山下文子(やました・あやこ)

山下文子(やました・あやこ)

2012年から宇和島支局を拠点として地域取材に奔走する日々。
鉄道のみならず、車やバイク、昭和生まれの乗り物に夢中。
実は覆面レスラーをこよなく愛す。

鈴村奈美

鈴村奈美

2020年度から「ひめポン!」キャスターを隔週で担当。愛称は「すずむ~」。
社会人3年目。最近俳句をはじめました。俳号は「ちりん」。佳作入選が目標です。