
去年12月、宇和島の元軍人が所有していた軍刀が77年の時を経て、家族のもとに帰ってきました。軍刀はどのような旅をしてきたのか。そこには「持ち主にどうしても戻してあげたい」というフランス人男性の強い思いがありました。
(NHK松山放送局 木村京)
待ち望んだ来日
12月上旬、フランスから松山空港に到着したミシェル・ラヴィニュさん。
コロナによる入国制限が緩和され、ようやく来日が実現しました。
その手には軍刀が入ったケースがしっかりと握られていました。

ミシェル・ラヴィニュさん
「長旅で本当に疲れたけど、ようやく来られてとてもうれしいです」
軍刀の数奇な運命は戦後の日本にさかのぼります。

戦後、GHQが刀や銃を接収
太平洋戦争の後、GHQは日本の武装解除の一環として刀や銃を接収しました。
その数は刀だけでも、数十万本と言われています。
多くが廃棄されたり海外で転売されたりしたとみられ、持ち主のもとに戻ったものは一部にとどまっています。
日本政府は1995年、アメリカなどに返還を求めるための法律を制定したものの、戦後70年以上が経った今も多くは持ち主不明のままとなっています。
軍刀との出会い

オークションのカタログ
ミシェルさんと軍刀の出会いは2022年4月、フランスで行われたオークションでした。
日本が好きで、数年前から工芸品などを集めていたミシェルさん。
カタログを見て、刀の木の札に書かれていた美しい文字が目に留まったといいます。

気になってフランスに住んでいる日本人の知り合いを頼り、解読を試みたところ、文字は漢字で「宇都宮政徳」と書かれていたことがわかりました。
力強い文字に、軍人としての意志を感じ取ったというミシェルさん。
刀の接収の歴史を知るうちに、名前のある刀を自分が持っていていいはずがないと思うようになったのです。

「軍人たちは刀がいつか戻ってくることを信じて名前と住所を書いたのではないか。だから私は返すという使命を果たさなくてはいけないと思ったのです」
ミシェルさんはSNSや日本大使館を通じて宇都宮さんに関する情報を集め、30件以上メールを送りましたが手応えはなく時間だけが過ぎていきました。
そんな中、ミシェルさんの思いに感銘を受けたという日本人女性が協力を申し出てくれました。フランス在住の打楽器奏者で日本とフランスの交流イベントなども手がける中村啓子さんです。
中村さんは四国に住む知り合いにたずねたり、地元紙、愛媛新聞の協力も得て、ついに4月下旬、家族を特定することができました。

宇都宮政徳さんは、愛媛県西予市出身の元陸軍少尉です。戦後、宇和島で教師となり校長まで勤めました。2003年に亡くなりましたが、家族は今も宇和島で暮らしています。

「70年以上の年月が経っていたので、もう家族は誰も残っていないかもしれないと不安でした。だから見つけ出せた時は本当に信じられず、うれしかったです」
持ち主は特定できましたが、軍刀はオークションに出品されたままでした。
主催者に出品を取りやめて本人に返すべきだとかけあいましたが受け入れられませんでした。
そこでミシェルさんは、確実に返すためには自分が入手するしかないと考え、最終的に日本円で80万円あまりで落札したのです。


「刀と別れることは少しさみしいですが、家族と離ればなれになっていることはもっと悲しいことです。早く返してあげたい」
そして再会へ
来日したミシェルさんが向かったのは宇和島市内の高齢者施設。
ここにどうしても会いたい人がいました。

政徳さんの妻、宇都宮淑子さん(98歳)です。
娘の潤子さんたちが見守る中、ミシェルさんはそっと刀を手渡しました。
亡き夫の軍刀との再会が叶ったのです。
娘の潤子さん
「お父さんの軍刀よ、お母さん。お父さんの字に間違いないやろ? 触っていいよ、触ってあげて」
協力者の中村啓子さん
「この刀は世界旅行をして1990年頃にアメリカからフランスにやってきたそうです。フランスでもいろんな方の手に渡って、最終的にミシェルのもとに来たんです」
淑子さんの目からは涙があふれてきました。
「ありがとうございました。うれしゅうございます」
77年の時を経て家族に返された軍刀。

淑子さん
「お帰り、長い間大変だったねと言いたいです。主人が生きていてこれを受け取ったらどんなによかっただろうと思っております。本当にありがとうございました」
ミシェルさんの目にも涙が浮かんでいました。

「とても感動しています。それしか言えません。言葉にできません。とても幸せです」
平和への思い 新たに
淑子さんを訪問したあと、ミシェルさんと家族は政徳さんが眠る宇和島市内の墓地に向かいました。
ミシェルさんが軍刀とともにフランスを発った12月4日は政徳さんの誕生日でした。
娘の潤子さんは、その巡り合わせに運命的なものを感じていました。

宇都宮潤子さん
「ミシェルさんの目に留まったというのは、どこかで彼の思いと父の思いがつながって触れあったものがあると思います。軍刀は父の思いの結晶で、戦争を経験した人の思いの結晶だと思います。大切に保管して、折に触れて父との会話の時間になるんじゃないかと思います」

ミシェルさん
「不思議な感覚ですが、彼のことを既に知っていた気がするんです。この軍刀は戦争の武器かもしれませんが平和の象徴として戻ってきたんだと思います。軍刀がなければ、出会えていなかった縁です。今でも信じられませんが、お返しできて本当に良かった」
取材後記
淑子さんの言葉がとても印象に残りました。
「戦争でつらい思いをたくさんしてきたけれど、長生きしたのはきっと何かしなくてはいけないことがあったんだと思います。その一つがこの刀を受け取ることだったかもしれません」
「軍刀の持ち主が日本で見つかった」という話題はフランスでも大きく伝えられ、ミシェルさんの友人たちだけでなく、オークションで軍刀を競り合った男性も寄付をしてくれたそうです。
軍刀は地元の警察署で正式に所持するための手続きを経て、宇都宮家で大切に保管されているということです。