2022年11月17日

イヨテツスポーツセンター 営業終了を決めたワケは

県内唯一のアイススケート場がある「イヨテツスポーツセンター」が2027年1月をメドに営業を終了することになりました。
50年以上も松山市民に親しまれてきた施設の営業終了の発表は大きな話題となりました。
その判断の背景には何があったのでしょうか。

(NHK松山放送局 清水瑶平/鈴村奈美)

「イヨテツスポーツセンター」は昭和41年に開業しました。
夏はプール、冬はアイススケート場として親しまれ、隣接する「イヨテツボウリングセンター」とともにレジャーブームに乗って多くの客でにぎわいました。

県内唯一のスケートリンクは1700平方メートルを超えるサイズで国際アイスホッケー連盟の公認を受けています。

一般営業時間外の早朝や夜間には地元のアイスホッケーチームが練習の拠点としています。
選手たちは営業終了に大きなショックを受けていました。

愛媛大学アイスホッケー部 工藤翔 主将

「愛媛で唯一アイスホッケーができる場所なのですごく大きな衝撃を受けました。部員全員で今後どうしていこうか話し合っていますが結論はまだ出ていないです。悩んでいます」

なぜ営業終了を決めたのか

営業終了を決めた理由の一つが少子高齢化による利用客の減少です。
コロナ禍の影響もあって昨年度の利用客はおよそ5万人でした。
ピークだった昭和58年の19万人と比べるとわずか4分の1の水準です。

24時間止まることのない冷凍機

さらに、維持管理コストの上昇も大きな要因です。
スケートリンクの氷はマイナス7度ほどに保つ必要があり、冷凍機を24時間運転しなくてはなりません。

夏のプールも水をきれいにするためのろ過器の運転に大量の電気が必要です。
ウクライナ情勢や円安に伴う燃料価格の上昇で、電気料金は値上がりが続いています。
施設によるとことし8月以降に負担する電気料金は25%以上増える見通しだということです。

伊予鉄不動産 毛利健司 社長

「長年、地域の皆様に愛された施設なので何とか存続できないかと、一企業として最大限の努力を重ねてきたが、今回苦渋の決断として営業を終了させていただくことになりました」

跡地はどうなる

施設は2027年1月までは営業を続ける予定です。
気になるのが終了後、約5000坪もある跡地がどうなるかです。

運営する伊予鉄グループは詳細はまだ明らかにしていませんが、賑わいや魅力ある施設を誘致するよう検討するとしています。

全国的にレジャー施設は減少

民間のレジャー施設は全国的に数が減少しています。
信用調査会社「東京商工リサーチ」によると、去年までの5年間に休廃業や解散、あるいは倒産してなくなった施設の数は67に上っています。

内訳をみると新型コロナの感染が拡大した2020年以降、倒産の件数が増えていることがわかります。

東京商工リサーチ松山支店 瀧本和将支店長

「倒産件数でみるとスキー場が最も多いです。スケートリンクやプールもそうですが、維持費に多額の費用がかかるため、民間の事業者にとって閉鎖の判断は理解できます。人生100年時代と言われてランニングをする人が増えるなど、日本人のスポーツの楽しみ方が変化していることも影響しています。冬のスポーツの競技人口の維持を考えるのであれば一定程度、行政の支援も必要になるのではないでしょうか」

取材後記

昭和57年のリンク

松山放送局に昭和57年に撮影されたスポーツセンターの映像が残されています。見ると、まるで下の氷が見えないくらい多くの客で埋め尽くされていました。私(鈴村)も北京オリンピックに感化された先輩に誘われて、何度か足を運んだことがありますが、その時広いスケート場にいた客は数えられるほど。最盛期との落差に衝撃を受けました。「スポーツの楽しみ方が変わった」という指摘は確かにその通りだと思います。
愛媛からスケートリンクがなくなることは寂しいことですが、それも時代の変化なのでしょうか。施設の営業終了は2027年1月です。燃料費の高騰はこの先も続くと見られますが、運営会社はあと4年と少しは営業を続けるとしています。それまでの間、私も愛媛のスケートリンクをたっぷりと味わおうと思います。

中央が筆者(鈴村)

この記事を書いた人

清水 瑶平

清水 瑶平

2008年入局、初任地は熊本。その後社会部で災害報道、スポーツニュースで相撲・格闘技を中心に取材。2021年10月から松山局。学生時代はボクサーでした。

鈴村奈美

鈴村奈美

2020年度から「ひめポン!」キャスターを隔週で担当。愛称は「すずむ~」。
社会人3年目。最近俳句をはじめました。俳号は「ちりん」。佳作入選が目標です。