2022年10月28日

ともにつかんだプロへの夢愛媛マンダリンパイレーツ 上甲凌大選手

10月20日に行われたプロ野球ドラフト会議。
四国アイランドリーグplus、愛媛マンダリンパイレーツの上甲凌大(じょうこう・りょうた)選手が横浜DeNAベイスターズに育成1位で指名されました。
西予市出身。プロ野球への切符をつかんだこれまでの道のりには2人の大きな支えがありました。

(NEP四国 小林知也プロデューサー)

指名受けた上甲選手(写真中央)

上甲選手は西予市出身の21歳。184センチ、90キロの恵まれた体格で、長打力と強肩が持ち味の大型捕手です。プロ野球への思いを強く抱き、宇和島東高校、社会人野球チーム、
独立リーグの愛媛マンダリンパイレーツでプレーを続けて来ました。

プロ野球への道 ともに歩んできた母

そんな上甲さんの夢を支えてきた人がいます。母の上甲あすかさんです。
プロ野球選手になりたいという夢をずっと見守ってきました。

母 上甲あすかさん

(母 上甲あすかさん)
「夢をかなえられる方はごく一部だと分かっていても、そこは実現させてやりたい。
実現させてくださいという気持ちが一番でしたね」

高校時代の上甲選手

3人きょうだいの次男として生まれた上甲選手。高校は野球の名門、宇和島東に進学。
このころから、プロとしてお金を稼ぐことを強く意識するようになりました。

きっかけは両親の離婚。経済的に苦しい環境に陥りました。それでも野球に専念できたのは、睡眠時間を削って働いてくれた、母あすかさんのおかげだと言います。

(上甲選手)
「母も仕事がある中で起きてくれたり、朝早くから弁当を作ってくれたり、申し訳ないというか迷惑かけるなと思っていました」

当時、上甲選手は母と約束をしていました。

(母 あすかさん)
「“今は迷惑かけるけど、絶対将来楽させてやるから。今は頑張ってくれ”って、
そういう言葉をずっと言ってくれていましたね」

その“約束”は今も大切に残されています。高校時代、上甲選手が母に渡した手紙です。

(上甲選手の手紙)
母さんへ。自分が野球を続けてこられたことや、今の進路があるのも母さんの支えがあってこそだと思います。野球を続けさせてくれてありがとう。
絶対プロになります。恩返しできるように、日々精進していきます。凌大より



(母 あすかさん)
「頑張っているのを見せてくれることで、私も頑張らないといけないなという気持ちにさせてもらえました。あの子が頑張る姿が、私が頑張れる原動力になったかな」

病気の時 支えてくれたチームメート

高校卒業後、社会人野球チーム「伯和ビクトリーズ」(広島県東広島市)に入った上甲選手。
午前中仕事をして、午後は野球の練習という日々の中、腕を磨いてきました。
そんな上甲選手が、プロ野球選手になる夢をあきらめかけたことがありました。
チームの主軸として活躍を期待された去年6月、体に異変が起きたのです。
体重が10キロ以上も減少。汗が止まらず、ボールも握れなかったといいます。
診断の結果は「バセドウ病」。甲状腺ホルモンが過剰に分泌されることでおきる病気です。

(上甲選手)
「真っ先に思ったのは“野球できなくなるのかな”ということでした。
“プロ野球に行く”と思ってやっていたので、その夢がかなわないのかなと思いました」

どん底に落とされた上甲選手を救ってくれたのが、同じチームでともにプロを目指して練習に励んでいた、高正則(たか・まさのり)さんでした。

高正則さん

高さんは大学時代、強打の外野手として、全日本大学選手権にも出場した伯和ビクトリーズの先輩。
毎日のように居残り練習に付き合ってくれた恩人です。
この時、高さんも病と闘っていました。
白血病と診断され、チームを離れなければならなかったのです。そんな、高さんがかけてくれた言葉は「お前は、治る」でした。

(上甲選手)
「高さんが先に体調を崩していて、自分より長引くと分かっていたので、“お前はまだまだ病気も治るし、野球ができる状態に絶対もっていけるから、負けずにしっかりやるように”という言葉をかけられました」

2人で誓ったプロになる夢。
上甲選手は投薬治療に加え、必死にリハビリに取り組みました。
バセドウ病と診断されてから5か月後、上甲選手はグラウンドに帰ってきました。

2021年11月、社会人野球の最高峰、都市対抗野球大会に出場した伯和ビクトリーズ。
1回戦の四国銀行戦に先発出場した上甲選手は2打席連続ホームランを放ちました。
この日4打点を上げた上甲選手。
チームを勝利に導くとともに、一躍プロ注目の選手となりました。

独立リーグからドラフト指名

今年、上甲選手は大きな決断をしました。
伯和ビクトリーズを退部、地元愛媛の独立リーグ、四国アイランドリーグplusの愛媛マンダリンパイレーツに入団したのです。
安定した収入が得られる社会人野球チームと違い、独立リーグの場合、生活は厳しくなりますが、プロ入りという目標に向け、より野球に専念できる環境に身を置くことにしたのです。

上甲選手はこの1年、レギュラー捕手としてフル稼働。
持ち前の打力に加え、捕手としての実力もアピールしました。

育成枠でプロへ!

運命の一日となった10月20日のドラフト会議。
上甲選手はドラフト候補のチームメート5人とともに、指名を待ちました。

指名待つ選手たち(右から3番目が上甲選手)

午後5時から始まったドラフト会議。
四国からは甲子園を沸かせた浅野翔吾選手(香川・高松商)が巨人から1位指名、146キロ左腕・森山暁生選手(徳島・阿南光)が中日から3位指名されましたが、支配下では上甲選手さんたち愛媛マンダリンパイレーツの選手の指名はありませんでした。

続いて始まった育成ドラフト。1巡目、横浜DeNAベイスターズが指名したのは・・・

「上甲凌大 捕手 
四国アイランドリーグplus・愛媛マンダリンパイレーツ」



愛媛マンダリンパイレーツの選手が指名を受けたのは11年ぶりです。
上甲選手が望んだ支配下での指名ではありませんでしたが、セリーグ2位のDeNAから育成1位指名を受けたのです。

(母あすかさん)
「支配下で指名されず、“このまま終わってしまうかもしれない”という不安と、“きっと指名される!”という期待が入り混じっていました。育成枠で呼ばれた瞬間は、「ほっとした・・・」という言葉がいちばん近いと思います。
瞬間的に長男と長女の手をすぐに握りました」

上甲選手はプロ野球選手としての新たなスタートに向けて、強い覚悟を口にしていました。

(上甲選手)
「今年1年、プロに行くためだけにやって来たので、育成という形で報われて嬉しいです。目標は1軍で活躍することなので、1日も早く支配下に上がり、活躍したいと思います」

会見の中で母あすかさんたち、家族への感謝の言葉も口にしました。

(上甲選手)
「今まで本当に迷惑かけて来たので、育成という形ですが、プロの世界に入ることが出来たので、これから本当に恩返ししたいという気持ちです」

母 あすかさん

(母あすかさん)
「指名後、凌大が「これからやで!」と、家族に声をかけてくれました。
育成枠での指名でしたが、良いスタートを切れたと思います。これまでも逆境を乗り越えてきた凌大には、きっと“やる気スイッチ”になるはずです」

ドラフト会議終了後、上甲選手のもとに高さんからメールが届きました。

(高さんからのメール)
「おめでとう、さすがやね。ここからだぞ」



(上甲選手)
「高さんも安心してくれたんだと思います」

支えてくれた母、そして高さんの思いを受けて、幼いころからの夢に挑み続けた上甲選手。
その第一歩を踏み出すことになりました。

小林プロデューサーの感想

今年、独立リーグからドラフト会議で指名された選手は10人。(支配下1人、育成9人)
改めて厳しい世界であることを実感しました。しかし、上甲選手はその狭き門を自分の力でくぐり抜けることができました。これからは指名順位ではなく、実力主義の戦い。球界を代表する選手に成長し、本当の意味で“夢”を掴んでいただきたいです。その姿を、これからも追いかけたいと思います。

この記事を書いた人

小林知也プロデューサー

NEP四国 小林知也プロデューサー

9月放送の「ひめDON!」で上甲選手のドキュメントを制作。
前任地では「プロフェッショナル仕事の流儀 プロ野球スカウト 苑田聡彦」
「ドラフト会議直前SP!みんなのカープ 県民大会議」等を担当。