2022年10月17日

ボルドーの武士(もののふ)と呼ばれた男 道上伯

「ボルドーの武士(もののふ)」。
「生涯無敗」。

そう呼ばれた柔道家が愛媛にいたことを知っていますか。
八幡浜市に生まれた、道上伯さん(1912~2002年)。

「ヘーシンクを育てた男」と言えば、ピンと来る方もいるかもしれません。
海外への柔道の普及に非常に大きな貢献をしたとして、功績を高く評価されているんです。

ただ、国内での知名度は決して高くありません。
生誕から110年を迎えることし、郷土出身の柔道家の教えに触れてみませんか。

(NHK松山放送局 清水瑶平)

2つの衝撃 その陰に・・・

2021年東京オリンピック・柔道

去年の東京オリンピック、日本武道館で取材をしていた私(清水)は、記者席に立ち尽くしていました。
柔道の混合団体、決勝で日本がフランスに敗れ、金メダルを逃したのです。

個人種目で9個の金メダルを獲得した日本ですが、チーム力を結集した「混合団体」で敗れたことは、柔道発祥国として大きな衝撃でした。

このとき、一度目の東京オリンピックのことを思い出した人も多いかもしれません。

1964年東京オリンピック・柔道

日本の選手が柔道の無差別級でオランダのアントン・ヘーシンク選手に敗れ、金メダルを逃したときのことです。
「柔道の聖地」と言われる日本武道館で「お家芸」が敗れる。
それは屈辱とともに、柔道が世界の競技になったことを示してもいました。

この年月を越えた2つの出来事の陰に、1人の日本人がいました。
それこそが、八幡浜市出身の道上伯さんです。

50か国以上で指導をした“ボルドーの武士”

道上伯さん

道上さんは1912年に八幡浜市で生まれ、12歳で柔道を始めました。
国内外で行われたあまたの試合で負けたことはなく、「生涯無敗」だったと言われています。

40歳のときにフランス柔道連盟に招待され、指導者として渡仏します。
ボルドーに開いた道場には、「ボルドーの武士」と言われる道上さんの指導を受けようと、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカから選手が集まるようになりました。

左:ヘーシンク選手 右:道上伯さん

さらに世界各国から指導依頼を受けるようになり、50を超える国に弟子がいると言われています。
その中に、東京オリンピックで金メダルを獲得したヘーシンク選手もいたのです。

1998年の映像より

24年前のNHKのニュースに生前の映像が残っていました。
そこには85歳になっても、フランスで実技を交えて柔道を教え続ける道上さんの姿がありました。

海外の弟子

「師の指導は技術だけでなく生きる哲学を教えてくれます」

当時の道上さん

「私の人生、私は武道の末席を汚してきましたけれども末席を汚したものとしてもやることだけをやってきたと。そういう面では満足しております」

フランスの柔道人口はいまや60万人と言われ、日本の約4倍。
最も人気のあるスポーツの1つとなり、去年の東京オリンピックでは混合団体で日本を破るまでになりました。
そんな「柔道大国」の礎を築いた1人が、道上さんだったのです。

フランスで記念シンポジウムを

道上さんの胸像

道上さんの功績は海外で高く評価され、 1987年にはフランスから胸像が贈られています。
ところが、日本での知名度は決して高くありません。

招待状

そうした中でことし9月、八幡浜市の大城市長のもとに、1通の招待状が届きました。

(八幡浜市 大城市長)
「これなんですよ。『道上伯の記念シンポジウムがあるから、招待したい』と書いてあります」

10月22日、フランスの柔道連盟が生誕110年を記念したシンポジウムを開くことになったので、大城市長にも出席してほしい、という連絡でした。

海外でシンポジウムが開かれるほどに尊敬されている柔道家。
大城市長は「大変ありがたく、うれしく思っています」と喜ぶと同時に、こう話しました。

八幡浜市 大城市長

「日本で、そして八幡浜でもあまり知られていないことは残念に思います。日本の方にも道上伯という人がいた、八幡浜からボルドーにわたって柔道を世界に広めていった、そういうことを知ってもらいたいですね」

“忘己利他”教えを受け継ぐ子どもたち

八西柔道会

道上さんの教えを受け継ぐ子どもたちもいます。
八幡浜市にある柔道の道場、「八西柔道会」は昭和24年から始まり、道上さんが初代会長を務めました。

道場に通う子どもたち

Q:道上さんは知ってる?
「はい、知ってます。フランスに柔道を広めたすごい人です」
「外国に柔道を伝えることはすごいと思ったし、勇気があって憧れます」


道上さんは「心技体」という言葉を最初に使った人物という説もあります。
それくらい、「心を磨くこと」を大切にしていました。

この道場でもそれを実践しています。
練習前に子どもたちどうしでテーマを決め、10分ほど話し合うのです。

この日は、1人が「きょうのナンバーワンはなんですか?」と聞くと、「はい!」とみんなが手を挙げて、発表しました。

「僕は受け身をするナンバーワンになります!」
「僕は打ち込みをするナンバーワンになります!」

これは積極的に人と関わり、自分の考えを話す訓練だといいます。
最後には 「人のために行動します!」「世界に通用する人間になります!」などと全員で唱和しました。

道上さんは「忘己利他」という言葉を信条として掲げていました。
「自分のことを忘れ、他人のために尽くす」という精神。
子どもたちは偉大な先輩のように、他人のために尽くし、世界に通用する人間を目指しています。

八西柔道会 居村武紀 副会長

道場の指導者であり、市長とともにフランスでのシンポジウムに出席する居村武紀さん。
道上さんのように柔道を通して大きく成長してほしいと考えています。

(八西柔道会 居村武紀 副会長)
「道上先生の時代に世界に出ていこうという発想が、この八幡浜から生まれたということを思うと、僕たちは今、もっともっとそういう意識を持つべきじゃないかと思います。
教えをどこかで絶やしてはいけないという使命感が僕らにもありますので、下の世代に継承していきたいと思います」

フランスを強くした道上伯の教えとは

フランスでは再来年、パリオリンピックが開かれます。
地元で最も盛り上がる競技の1つが、柔道になるのは間違いありません。
日本は個人種目はもちろん、柔道発祥国の威信をかけ、フランスから混合団体の金メダルを奪い返しにいくことになります。

そんな日本の最大のライバルを育てた、道上伯。
金メダルのカギは、その教えを見つめ直すことにあるかもしれません。

この記事を書いた人

清水 瑶平

清水 瑶平

2008年入局、初任地は熊本。その後社会部で災害報道、スポーツニュースで相撲・格闘技を中心に取材。2021年10月から松山局。学生時代はボクサーでした。