
うっそうとツタが覆う古い車庫。JR宇和島駅から北東へ100メートル先にあるJR四国の宇和島運転区には、鉄道の歴史を現代に伝える貴重な機関庫が今も残っている。およそ80年もの間、その場所にひっそりとあり続ける孤高のたたずまいに、なぜか心がひかれてしまう。
(NHK松山放送局 宇和島支局 山下文子)

上空からみた宇和島機関庫
「扇形機関庫」なのである。
かつて蒸気機関車を格納するための車庫として、国鉄時代の旧宇和島機関区に1941年に建造された。
レールが扇状に並んでいることから「扇形機関庫」と呼ばれ、四国ではここが唯一、全国でも10か所ほどしか残っていない貴重な場所だ。

柱はイギリスの古いレール
機関庫の奥行きはおよそ23メートル、4両の蒸気機関車を収容できる。
柱には1885年製のイギリスの古いレールが使用されている。
蒸気機関車の動輪を取り外して作業するための「ドロップピット」(台車交換装置)もそのままの姿で残り、鉄道の歴史を感じさせる場所になっている。

しかし、建物の老朽化は激しい。
数年前に台風の被害を受けて窓ガラスは取り除かれ、この夏には壁も取り外されたため今は骨組みを残すのみとなっている。
その姿は、あまりに寂しくかつての威光は微塵も感じられないが、それでもなおここには鉄道の面影が見え隠れする。

なじみの写真家から、古い写真を見せてもらった。
そこには、黒光りする蒸気機関車の姿とともに機関庫で働く鉄道マンの姿もあった。
終着駅や始発駅として宇和島駅に入線する蒸気機関車たちがここで給油したり、整備をしたりと、乗客の安全安心への熱い思いを胸に日々の営みがここにはあったのだ。
モノクロームの写真からは、蒸気機関車の汽笛さえ聞こえてくるようだ。

JR宇和島運転区 区長 沖野徹さん
鉄道マンに話を聞いた。
車掌などを経て、現在JR宇和島運転区の区長を務めている沖野徹さん(58歳)だ。
「今は何もない殺風景な状態ですが、ここに入った瞬間、多くの先輩方がここで働き、いろんな方の汗や思いが伝わってくる場所です。私が国鉄に入社した時、車掌として宇和島まで乗務していましたが、この機関庫には何か特別な雰囲気がありました。松山―宇和島間でこれだけ大きな建物は当時はなかなかありませんでしたから」
機関庫は地域の宝か

かつての宇和島機関庫
横浜-新橋間に鉄道が開業して、ことしで150年。
世代を超えて人々の暮らしに寄り添う鉄道は、蒸気機関車からディーゼル車、そして電車へと変化を遂げた。
宇和島機関庫に入線する鉄道車両は、国鉄時代に投入された特急型車両キハ185系やワンマン運転のキハ32、キハ54などディーゼル車両である。
その素朴な鉄道風景を楽しみに訪れる鉄道ファンはいるが、一般的には広く知られていないのが残念だ。

津山まなびの鉄道館
全国に目を向けると扇形機関庫が地域の観光施設として成功している例がいくつかある。
たとえば、岡山県の「旧津山扇形機関車庫」は、「津山まなびの鉄道館」として鉄道文化を今に伝えている。
1936年に建設された車庫には、「デゴイチ」の愛称で知られるD51形蒸気機関車「D51-2」が美しい状態で展示され、今にも走り出しそうな躍動感すら感じる。
D51形は1936年から1945年までの間、日本で1115両が製造された。
四国では土讃本線にのみ配属されていたようだが、比類なきたくましさを持った蒸気機関車の一つである。
津山の鉄道館には時代の変化にあわせて朱色の塗装が特徴的な機関車から懐かしい気動車も展示されている。
2016年に開館し、5年で30万人が訪れたということで、まさに地域の観光資源となっている。
また、北海道の小樽や京都では、車庫が残っているだけでなく実際に蒸気機関車が走るためアトラクションの一つとして五感で鉄道の歴史を感じることができ、子どもたちを夢中にさせている。

JR四国メンテナンス宇和島支店 土居孝志さん
宇和島の機関庫に思い入れのある人に出会った。
長年、宇和島運転区で働き、今はJR四国メンテナンス宇和島支店の土居孝志さん(64歳)だ。
現役時代はディーゼル機関車の運転士としてこの機関庫で貨物や車両を出し入れしていた。

昭和40年代に撮影された予土線を走る蒸気機関車
今から20ほど前、予土線に蒸気機関車を走らせたことがあるという。
土居さんは運転士として北宇和島駅から務田駅の急勾配をディーゼル機関車で押しながら走った。
その蒸気機関車はC56形160。
京都鉄道博物館に動態保存され、全国各地のイベント列車としても活躍していた名機であったが、いくら石炭を焚いても途中の坂道で止まってしまうのではないかと思うほど、速度がぐっと落ち込んだそうだ。
(土居孝志さん)
「その時は、往年の鉄道マンが宇和島に集まって、SL(蒸気機関車)の釜の火を一晩中絶やさないように見守っていた姿をここで見ましたね。幼い頃に、車庫にSLがあったのを見た記憶はあるけど、私にとってこのときが宇和島で見た蒸気機関車と扇形車庫の最後の記憶かな。やっぱりこの扇形車庫には、SLが似合うなと。さまになりましたよ。
車庫が経年劣化で朽ちていくのは時代の流れで仕方がありません。だけどそこに残る道具の一つ一つにもドラマがあるように思うんです。ここが今、実際に車庫として使われていないことはやっぱり寂しいです。ただそこにあるだけではなかなか残していくのは難しいのかもしれませんね」
山下文子の感想

現在の宇和島機関庫(10月撮影)
生まれ育った宇和島の地に、扇形車庫はいつも変わらないものとして常にそこにあった。
昔は敷地内への立ち入り制限も今よりずいぶん緩く、地元の人たちは機関区の敷地を横切って車庫を横目に散歩道としていたほどだ。
機関区の周りには水路があり、夏になるとホタルが飛ぶ。
春には敷地内の桜が一気に咲き誇り、車庫が華やぐ。
普段はそこにあるだけの車庫も四季折々の鉄道風景を生み出していたように思う。
扇形車庫は、多くを語らずとも人々のドラマを見つめ続け、その存在そのものが歴史の証人として私たちの心を引きつける。
骨組みを残すだけの姿になった今もなお、宇和島駅を発着する列車を温かく見守るかのようにそこにあるのだ。